大らかというかズボラというか。

 彼女の実家で、大変に不快な夢を見ながらいささかの昼寝を貪った俺だったが、目が覚めると寝転ぶ俺の足元に、大変に逞しい身体の男たち二名が立っているのに気付いた。

 彼らは無言のまま、いま目を覚ましたばかりの俺を見下ろしている。片方は禿げ上がった頭で、もう片方は伸びた髪をポニーテールのように結んでいた。二人とも、長い木の棒らしきものを携えていた。


「パパたち、狩りに行く

 お前も行く、大丈夫か?」


 俺の傍らに座っていたらしいニスヤラブタは、目覚めた俺の顔を見ながら心配そうにつぶやく。俺はゆっくりと起き上がりながら、彼らが一体何者なのか、元の肉体が持つ記憶を辿る。


 彼らは、ニスヤラブタの父親だ。

 しかも、

 そんな馬鹿な、と俺は内心で驚く。


 ……後で知ったのだが、つまり、男二人のどちらも彼女の母親と関係を持ち、結果として生まれた彼女そして母親を、彼ら二人は父として共同で養育していた。しかもそれが、この時代では普通の家族の形だったんだ。


 ある意味では、自由恋愛、というか……この世界の女性は、気に入った男性であれば誰とでも関係を持つし、それで生まれた子を男たちは「我が子」として育てる。もちろん、本当の──つまり遺伝学上の真正の──父親は一人しかいないのだが、彼らはそれは気にしない(そもそも遺伝子なんて知らないし)。婚姻という制度も無いから、不倫という認識も無い。


 唯一咎められるのは、母親と子の養育を男が放棄した場合だが……いま云った関係性では、父親たちのうちの一人が多少サボったところで、あまりウルサク云われることも無い。男はその気になれば、いくらでも、何人とでも関係できるんだ。


 すごい世界だよな。でも、ハーレムでもパラダイスでもないんだ。


 もし、女にモテる男がいたとして、彼が女から求められるままにたくさん関係を持つと、その分たくさんの母親と子供を養育しなければならなくなるし、面倒になって養育の責務を放棄すると集落内での自身の評判がどんどん悪くなる。そして最悪、集落から追放されてしまうこともある。この世界、たった一人で生きるにはあまりに過酷なので、彼はすぐ死んでしまうだろう。


 そして、関係を持つか持たないかの最終決定権は、女にしかないんだ。

 その男にいくら好きな女がいても、相手が応じなければダメ。女からの誘いを断るのもすごく勇気が必要で、自分の評判が落ちないように気を付けないとならない。ヘタな断り方をして女を怒らせると後が怖いんだ。


 まあ、それはそうとして。

 狩りに行くのか。

 病み上がり(?)なんだが君ら、問答無用、って顔つきだな。

 俺も行かなければならないようだ。


 腹もくちて、ひと眠りしたことで体力がだいぶ戻っているのを感じた俺は、彼女の父親たちに、一緒に行くと頷いてみせた。彼らはそれぞれ、自身の胸を叩いて俺に行動を促す。


 彼らが持つ長い棒は、槍だった。身の丈ほどもある、先端を鋭く尖らせた木の棒で、これを獲物に投げつけ仕留める。槍を持たない俺は、獲物を追い込む役をするべきだ、と肉体の記憶が俺に語る。


「アダブール、大きな獲物、獲ってこい」


 ニスヤラブタは、自身の首から下げていた小さな袋を、自分の首から外して俺の首にかける。中には良い匂いを放つ何かの小枝が入っている。願掛けだ。彼女の父親たちも、母親からそれぞれ、願掛けを受けていた。それぞれが頷きあうと、俺たち男三名は小屋を出て、集落の外れへと歩いていった。


─────


 集落の外れでは、既に男たちが多数、集っていた。めいめいが槍やこん棒などの武器を持ち、互いに興奮しながら喋っている。人数は三十名近くはいるだろうか。てっきり、三人で狩りをするのだと思っていた俺は、ややビビりながら父親たちの後をついていく。


 みな、互いが顔見知りらしく、父親たちと声を交わしていた。彼らは、今回の狩りに関する断片的な言葉や、或いは昨晩あった面白いこと、他人のうわさなど、たわいもない話をしていた。


 肉体の記憶が、集団のリーダー格の男を教えてくれる。ナシャムカ(赤い鷹)という名の男で、ひときわ高い岩の上に乗り、眼光鋭く集団をねめ回していた。彼はその手に、巨大な石斧を握っている。


「……ティル・アシャの仲間よ!!

 ガゼルの群れ、近づいている!!」


 十分に男たちが集まったことを見て取ったナシャムカは、突如、集団のざわめきを切り裂くように、石斧を振り上げ、雄叫びをあげた。男たちはそれを聞き、一斉に応と叫ぶ。


 ガゼルは、草原に生息するシカの仲間だ。この時代のヒトの主な狩猟対象で、生活の糧だ。それが、群れでこちらに向かっていると云う。何という幸運!

 彼らは、手に持った槍で何度も地面を突き、こん棒を宙で振り回す。歓喜の雄叫びだ。獲物をたくさん狩り、今宵は豊穣の精霊に感謝の祈りを捧げ、焚火が燃え尽きるまでドンチャン騒ぎを繰り広げるのだ!


 俺は、この時代の陽キャたちの無邪気な振る舞いに、結構気押される。そう、日本で生きてた頃はぼく、ちょっと陰キャ気味でした。


「ウル・バザンも来る!!

 ガゼルを追い、俺たちの地に来る!!」


 しかし、続いて叫んだ彼の言葉に、彼らは動きを止めて一斉にナシャムカを見上げた。先ほどとはうって変わって、静寂が彼らの頭上からのしかかる。


「ウル・バザン……」

「来る……」


 男たちは、めいめいの顔を見合わせながら、少し困惑している風だ。ニスヤラブタの父親たちも、その名を聞いて表情がより険しくなった。互いを見て、頷きあっている。

 しかし俺はその意味が分からない。肉体の記憶にも、その名は無かった。

 俺は思い切って、父親(ハゲ)に小声で尋ねる。


「……ウル・バザン、なに?」


 彼は、俺の顔をやや呆れたように見つめ、ぼそりと一言、呟く。


「山の者、ウル・バザン」

「こいつ、大きな狩り、参加しない」


 父親(ポニーテール)が、ハゲの父親にそう告げる。

 なるほど、と云う感じにハゲが軽く頷く。

 俺は、今度はポニーテールにさらに尋ねる。


「ウル・バザン、敵か?」

「敵だ」

「戦うか?」

「戦う、戦わない、わからない」


 ポニーテールは難しそうな顔をした。


 なるほど、彼らが困惑する意味がわかった。

 この集落と対立をしている集団が、ガゼルの群れを追って俺たちの領土?まで近づくかもしれない、ということか。もしかすると、獲物の取り分を巡り、彼らと戦うことになるかもしれないのかな。

 さすが原始人だ、日常が現代よりも遥かに野蛮すぎて、内心で笑うしかない。


 ……いや、ちょっと待て、それ。

 !?


 突如、自身が武器も防具も一切携えていないことに気づき、俺は身の危険を感じて震え上がった。原始時代に転生してわずか一日で、俺は原始人どもに殺されるかもしれない、だって!?冗談じゃないぞ!?


 おい、責任者出てこい!と、俺は"奴"を呼び出そうと脳内で必死に叫ぶが、"奴"は一向に姿を現す気配もなく、呼び出しに応じることもなかった。俺が死のうが生きようが関係ない、ってか。ほんとの本気でクズだな。いつか絶対殺す。


 ハゲの父親は、俺が真っ青な顔で震えているのに気付くと、ぶっきらぼうに告げる。


「お前、怖いか?」

「……怖い、死ぬ、嫌」


 震えながら俺は、恥ずかしげもなく率直に、死の恐怖を口にした。

 マジで怖い。できれば帰りたいです、帰らせてほしい。

 大変に強い威圧感のある二人の手前、そこまではさすがに口にはできないけれど、俺の形相を見ればその内心は推して知るべしだったろう。


 こうなったら、できるだけ集団の後方にいて、なにかヤバそうになったら一目散に逃げるしかない。でも、戦いから逃げた男って、彼らの中ではどういう評価になるんだろう。それはそれで、随分とつらい生活になりそうでやはり恐ろしい。

 逃げないにしろ、とにかく前線にだけは出ないようにするしか。


 ハゲの父親は、しばし黙って俺の様子を見ていたが、やがて俺の手を取ると、自分が手にしていた槍をそっと俺に握らせた。

 俺は、きょとんとした顔を彼に向ける。彼はまた、口数少なく俺に告げた。


「お前、死なない」


 そしてポニーテールの父親も、そんな俺たちの様子を横目で見て、にこりと笑う。


「お前が帰る、俺の娘、喜ぶ」


 一瞬、言葉の意味をつかみかねた俺は、彼らの顔を交互に見る。

 彼らは、言葉にならない想いをまっすぐに、目で俺に語り掛けていた。

 心配するな、俺たちに任せろ、と彼らは云っているように感じた。


 ……つまり、この槍を使ってでも、お前は生き残れ、と云うのだ。

 自分が素手で敵と戦う危険を冒してでも、俺に生き残って帰れ、と。


 赤の他人の俺を、守ってくれる、だって?

 いや、彼らもこの肉体の元の持ち主はよく知ってるだろうから他人ではないにしろ、戦うのが怖いと怖気づいている腰抜けの男を、守ってくれるだって!?


 お人好しなのか?

 いや、それとも……この時代は、これが普通なのか!?


 俺、日本で生活してた時にはそんな経験、一度たりともしたことがなかった。

 誰かを助けるだなんて面倒くさいし、うまく助けなければ後で因縁をつけられかねない。要救助者がいたら見なかったふりをしてそっと離れろ。誰かの叫び声を聞いたら耳をふさげ。それで、そいつがひどい目に遭ったとしても自分には関係のない話さ。


 でも、現代人の僕らよりも遥かに劣るはずの原始人の彼らが、赤の他人(?)の俺を守ると平気で云う。なんだこれ。そんな展開、くるのかよ。なんか目頭が熱くなってきた。


 ……そうだ、俺は彼らの気持ちに、少しでも応えなきゃいけない。


 日本では誰かと殴り合いのケンカなんて、ましてや命のやりとりなんてのも一度たりともしたことのない、完全に平和主義者だった俺だけど、だからまともに戦うことすら出来ないだろうけど、もし彼らがピンチになったらそこから救い出すくらいはしなきゃいけない。

 俺と同様、彼らが戻らなければ彼女も、彼女の母親もきっと悲しむから。


 槍を握る腕に力をありったけ込めることで、身体の震えを必死で押し殺す。

 俺は、ともすればカチカチと鳴りそうな歯を食いしばりながら、「俺、死なない」とようやっと呟いた。

 父親たちは、うっすらと微笑みながら俺の背中を、ばしん、ばしんと交互に叩く。ひりひりとした痛みが、心地よく伝わってきた。


 皆が静まり返ったのを見計らったかのように、ナシャムカは再び咆哮する。


「ティル・アシャの仲間よ!!

 この地は、俺たちの地だ!!


 おさは云う、ガゼルは、精霊の贈り物だ!!

 この地に生きる者にも、山に生きる者にも、贈られた獲物だ!!

 ウル・バザンが、ガゼルを狩る、問題ない!!


 しかし、この地は、俺たちの地だ!!

 俺たちの父親の、その父親の、その父親もここで生まれ、死んだ!!

 俺たちの子供の、その子供の、その子供もここで生まれ、死ぬ!!


 ウル・バザンが、この地を踏む、絶対に許さない!!」


 決意をみなぎらせたナシャムカの怒号が、男たちの情熱を駆り立て、燃えたぎらせる。応、応と彼らは叫び、腕を振り上げる。俺も、彼らに負けじと槍を高々と振り上げた。

 頭上の太陽が、灼熱の眩しい日差しを容赦なく浴びせる。俺たちは身体の内も外も、まるで熱気で覆われたかのように燃え上がった。


 俺たちは、ガゼルの群れを迎えるべく、移動を開始した。

 その背後にはきっと、ウル・バザンもいるはずだ。

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