水の方がまだマシというか。

 そうだ、まだ名前を云ってなかったな。

 この世界での俺(正確には俺が転生した肉体)の名は、アダブール。当時の言葉で「変な男」という意味だ。転生前の日本人名は記憶にない。"奴"が俺の名前に興味がなく、経費節約のため脳に書き入れなかったらしい。経費節約って何だよ。意味わかんねえ。


 そして、俺の妻(正確には俺が転生した肉体の妻)の名はニスヤラブタ、「夕暮れの精霊」だ。紅の瞳を持つ、長髪で普段は物静かな女だが実は感情表現が豊かで、テンションが上がったら何をしでかすか分からないという恐ろしい一面もある。


 どうやら俺はあの後、激しい頭痛でのたうち回った挙句、三日三晩昏睡していたらしい。 その間、ニスヤラブタはつきっきりで俺の看病をしてくれていたようだ。


 集落から小屋に戻ってきた彼女は、俺が小屋の入り口に呆然と立っているのに気づくと、俺の名を叫びながら駆け寄り、抱きついてきた。頭をぐりぐりと、しきりに俺の胸にこすりつけながら「生きてる」と何度も嗚咽した。


 その時点では、俺の頭の中はまだ、日本にいた時の記憶と元の肉体の記憶が混然一体となっていて不分離の状態だったから、「お前、誰だ」なんて云ったものだ。

 彼女は目を丸くして「ニスヤラブタ、覚えてないか?」とつぶやく。


「いや……覚えてる、ニスヤラブタ」

「そうだ、ニスヤラブタ」


 彼女は頷いた。少し、安心したような表情をする。

 同時に、元の肉体の記憶や、彼が彼女に抱いていた感情も、俺の思考の中に流れ込んできた。なるほど、"彼"の嫁さんだったのか。随分と彼女を愛していたようだ。


 しかし、これがゲームなら「夫らしい振る舞いをする」「妻を無視する」などの選択肢が現れる場面だ、とも思った。ちなみに俺は、こういう場合はとりあえず「無視する」を選んでバッドエンドを確認しておくタイプだ。


 日本にいた時に愛読していた転生モノのお話ではこういう時、そういった選択肢やステータス表示などが空中に現れるモンだったが、俺の転生ではそんなのは出てこないようだ。そして、これは失敗してもリカバリができるゲームとは違うことを、あの悶えるような激痛からうっすらと悟っていた。

 俺は、わかる限りで彼女の夫らしい振る舞いをすることにした。


「……俺、寝てた、長い間?」

「日が3回、昇って、落ちた」

「長い間、寝た、疲れた」


 ……なんだか、いかにも原始人みたいな会話だよな。

 これ、実はわざとじゃないんだ。

 俺も、自然に言葉を喋るつもりが、こんな喋り方しかできなくてビックリした。


 後で"奴"から聞いたんだが、脳のうち言語を司る部位は元の肉体のものをそのまま流用しているので、しゃべり言葉はどうしても彼らのレベルになる。つまり、当時の彼らは俺たち現代人よりも語彙が遥かに少なかったので、いかに脳内には豊富な情報を持とうとも、それを言葉で表現できないんだ。


 頭の中で云いたいことをたくさん考えながらも、口に出すのは原始人っぽい言葉。

 当分の間、俺は四苦八苦したもんだ。


「死んだと思った、安心した」


 彼女は涙ぐみながら、俺より少し低い背をめいっぱいに伸ばし、俺の顔にほおずりする。女性からこんなに率直な愛情表現をされたのは生まれて初めてだった俺は、どう反応してよいのやら困り果て、顔を真っ赤にしながら黙って苦笑いをしていた。


 と、突如彼女は俺から身を引き、まじまじと俺の顔を覗き込んできた。


「どうした?」

「……お前、中身、違う?」


 よほど観察眼が鋭い女なのか、と俺は少し驚く。

 いや、多分彼女の愛情表現に対し、俺の反応が今までと違うことを悟ったんだろう。


 変わってない、と嘘をつくべきか、素直に認めるべきか。

 でも、元の男がどんな奴だったかがはっきりとは分からない以上、それを完璧に演じることも、嘘をつき続けることもできそうにない。

 俺は、できるだけ彼女を脅かさないように、慎重に言葉を選びながら(使える語彙が少なすぎてこれまた困った)彼女に事情を話した。


「俺は俺、でも中身、違う」

「なに?」

「中身の俺、違う場所から、来た」

「違う場所?どこだ?」


 うーむ、遥か先の未来だ、と云いたいがそれに該当する単語がない。

 それにどうやら彼らは、かろうじて一年月までしか時間を把握する感覚が無いようで、たぶん数千年というスパンの時間は想像もできなそうだ。

 しようがないから、距離で表現するしかない。


「遠い、遠い、遠い場所だ」

「それは、いくつ遠い?」

「いくつも、いくつも遠い、

 山を越え、海を越え、何度も繰り返す、でもたどり着けない」

「中のお前は、どうやって来た?」


 転生、と云って理解してもらえたらどれだけ楽か。

 元の肉体の知識に似たものがないか、必死に総ざらいしてようやっと見つける。これで何とか理解してほしい。


「……心で、飛んできた」

「こころ」


 彼女は俺の言葉に、口をぽかんと開く。よほど驚いたのか、彼女はそのまましばらく、何も云わずに俺の顔を呆然と見つめた。

 脅かしてしまったか、もっと別の言葉を探すべきだったか、と俺が内心で焦っていると、そのうち彼女の目から涙が、ぽろぽろとこぼれ落ちた。俺は仰天する。


「なぜ、泣く?」

「こころ、かわった?

 わたし、好きではなくなった?」


 ああ、心が入れ替わったから、彼女への愛情も消え失せたのかと思ったのか。

 確かに、転生してきた俺自身は彼女には何の感情も抱いてはいないとはいえ、元の肉体の持ち主が抱く感情はそのまま受け継いでいる。彼女の泣き顔を見て、彼女をなぐさめる、という衝動が湧き上がってくるのを感じた。


 俺は、"彼"の記憶の中から、彼が彼女へのプロポーズ(?)に使った言葉を思い出し、そっと微笑みながら彼女に囁く。


「ニスヤラブタ、

 月のように、きれいな女、

 ずっと、好きだ」

「……!」


 その言葉に彼女の泣き顔が、ゆっくりと喜びの表情に変わっていったかと思うと、ああああああ、と叫びながら俺にしがみついてきた。アダブール、好きだ、好きだと彼女が何度も叫ぶので、俺は顔を真っ赤にしながら硬直するしかなかった。この時代の人々は、こんなにも感情表現が豊かなのか、と俺はやや呆れたものだ。


 そしてまた唐突に、彼女は俺から身を離す。

 今度はどうした、なにがあった、と思っていると、彼女はぽつりと呟いた。


「おなか、すいた」


 その言葉に、俺は思わず破顔した。確かに、俺もいま、腹が猛烈に減っている。何しろ三日三晩、昏睡していたらしいからな。

 彼女は眩しい笑顔を浮かべながら、からからと笑う俺の手を引く。俺たちは、集落の中心へと歩いていった。


─────


 俺が転生した世界では、人々は集落をつくって生活していた。

 人数は大体、百名前後だろうか。特に地区分けなどはなく、めいめいが気に入った場所に石を積んで小屋にしているようだ。集落の中心には、この集落の権力者──ってほどじゃないが、集団の意志決定を担う者──が住む。


 俺と彼女は、集落の中を歩きながらどこかを目指す。

 俺たちの姿を認めた者たちは、じっと俺たちの姿を見ながら見送っている。手を振り挨拶するものや、笑いながら「生きてたか」という者もいた。俺は必死に、肉体の持ち主の記憶を探りながらそれぞれに挨拶を返していた。


 やがて、俺たちはある小屋の前に立った。


「ママ、来たぞ」


 彼女は明るい声でそう告げる。そうか、ここは彼女の"実家"か。

 小屋の中からは母親が顔を覗かせ、俺たちの姿をみとめると年齢相応の柔和な笑みを浮かべた。しかしその表情から出た言葉はそれとは程遠く。


婿むこ、死ななかったか」

「アダブール、死ななかった」


 おもむきもクソもない、母親のド直球な言葉に、彼女も微笑みながらド直球に答える。ぶぶ漬けよろしおすか、みたいな惻隠の趣が一切ない、この時代の言葉に俺が慣れるのは、もうしばらく先のことになるのだった。


 彼女は、自身のお腹をさすりながら母親に告げる。


「おなか、すいた、何か食べたい」

「わかった」


 母親は彼女の目の前で、こぶしにした片手をもう片方の手のひらの上で回すしぐさをした。彼女はにっこりと笑って「それ、欲しい」と云う。母親も笑顔になり、手招きをしながら小屋の中へ消えた。

 今のゼスチュアの意味は、俺にはわからなかった。ので、彼女にそっと小声で尋ねる。


「何だ?」

「オオムギの粥、おいしい」


 彼女は俺の顔を見ながら、今にもよだれを垂らしそうな表情をする。現代人の俺は多分、それを食べたことはないが、虫やらサソリやらでないなら大丈夫、たぶん食べられる。彼女のその表情を信じてみよう。


 彼女に手を引かれ、俺は母親が住む小屋の中に入る。俺たちの小屋と同じ、簡素なつくりだ。石で基礎を作り、木の枝や葉で周囲を覆っている。

 母親は、小屋の片隅に置いていた木の壺から、粥を椀にすくうと俺たちに差し出す。中には、何かの白い、柔らかそうな穀物がたくさん、水に浮いていた。茶漬けやグラノーラみたいなものかな。


 彼女は、笑顔で椀を受け取ると、ごくごくと飲み咀嚼する。ぷはあ、と言いそうな、満足げな笑顔で今度は、俺に椀を渡す。俺も遠慮なく、ぐい、と椀をあおって粥を咥内に流し込んだ。穀物の、芳醇な香りとふくよかな甘みが咥内に広が。


 …………なにこれ?

 味がぇぞ!?


 粥と聞いて俺は、程よい塩味のきいた茶漬けみたいなものを想像していたんだが、これは殆ど味が無かったので驚いた。本当にただ無味無臭の、でしかなかった。しかし彼女は、見栄や世辞で満足げな表情をしたのではなく、本気でそれを美味しいと思っているようだった。

 何か味付けを、と部屋の中を見回してみたが、調味料らしきものは一切見当たらない。味の素はおろか、味噌も塩も醤油もない。無いったらない。


 この時代には、調味料が無い、という事実に俺は、心から驚かされた。

 これを食べた瞬間ほど、俺は異世界に来てしまったんだ、と納得させられた出来事は無かったな……


 口の中の柔らかな、つぶ餅のような触感の、しかし味覚はほぼ無いオオムギを、もっしゃもっしゃと咀嚼しながら俺は、たぶんよほど目を丸くしていたのだろう、彼女と母親は俺の顔を見て、けらけらと笑いだした。


「アダブール、大きく喜んでいる」

「もっと食べろ、婿むこ


 母親は、俺が戻した椀を受け取ると、ふたたび粥をすくって俺に差し出す。

 まあ、決してマズいわけではなく、味が無いだけ……なんだが食べ物に味が無いというのが、こんなに食べにくいものだとは思わなかった。

 俺は、彼らの好意を無下にすることもできず、再び椀の中の粥を口に含み、努力して咀嚼する体験を繰り返した。


 さらに三回ほど、俺が椀を空にすると、彼女らは満足したようだ。俺に、毛皮の上で寝るように云い、母親と彼女は向かい合わせに座っておしゃべりを始めた。

 なんだか、日本の実家に戻ったような……腹もすっかりと膨れ、そんな感覚を覚えながら俺は、彼女らのおしゃべりを子守歌代わりにいつしか、うとうとと夢の中へと迷い込んでいった。


─────


(どうやら、うまくいってるみたいだね)


 ……俺は、夢の中の世界で"奴"と出会う。

 転生前の俺が、大学生の頃に通っていた大学の講堂に現れたその姿は、とてもゆったりとした真っ白なガウンをまとった、しかし風貌からは女とも男とも、子供とも大人ともとれないような……とても曖昧な存在として、教壇に立っていた。だが俺は一目見ただけで、そいつが俺をこの世界に転生させた"奴"だと分かった。


 うまくいってるって、何がだよ。


(脳の書き換え、うまくいって良かった)


 どうやら"奴"は、ほほ笑んだらしい。

 俺は、大学の講堂に並ぶ席のひとつに腰掛けながら、教壇にいるそいつを睨み据えた。うまくいった、ということは、うまくいかなかった可能性もあるということだよな。


(そう、君の前にも何体か、実験した)


 ふーん……そいつらは?


(元の人格との融合がうまくいかなかった、

 二重人格になったり分裂症のパターンになったり)


 黒板には、チョークで書いたような絵が自動的にさらさらと描かれた。脳が真っ二つに割れ、笑顔と怒りの表情が半分ずつになったヒトの絵だ。それを指し示しながら事も無げにさらりと言い流す姿に俺は、こいつは心底のクズだと確信した。

 "奴"はこちらの心情を察してもいないのか、べらべらとしゃべり続ける。


(あ、君に書き込んだ知識だけどさ、君がその知識にアクセスしなければ、

 いずれは消えるから、気を付けてね……って云わなくても知ってるか)


 いや、知らないよ、初耳だ。

 というか、ヒトの脳を自在に書き換えられるなら、忘れないように書き換えれば済む話じゃないのか。


(不揮発領域、デカくないからしようがないじゃん、

 それとも、知識はあるけど動けない、喋れない方が良かった?)


 黒板の脳の絵に、ROMと描かれた部分が現れ、手や足への結線にバッテンがつき、代わりに文字をぎっちりと詰めた様子が描かれる。


 良かった?じゃなくて、そもそも転生したくなかったよ俺は。

 いや、転生直前には世界を滅ぼす程に怒り狂っていたけど、こんな世界に転生したいってほどじゃなかった。ただ、ぐっすりと寝たかっただけだ。

 今からでもいいので、元の世界に戻してくれ。さあ早く。


(うーん、やはり転生を望んでいない方がうまくいくのかな……

 サポートがつく分、高かったから悩んだけど、そういう理由かな?

 マニュアルの説明、ちょっと不足してんだよね~)


 俺の問いかけには答えず、"奴"は何かわけのわからない独り言を呟く。

 サポートとかマニュアルとか、ヒトをアプリのように云いやがって。


(まあ、これからは基本、君がスリープ状態の時だけ、

 必要に応じて干渉するようにするから……

 活動中に干渉するのは、結果を左右してしまいかねないからね)


 いや、俺の人生に干渉するのをやめてくれ!

 元の平凡な中年男性に戻してくれよ!

 あ、どうせなら大学生くらいにまで戻してほしいが。


(そういうわけにはいかないんだよね、

 そもそも、もう君は元の世界には戻れないんだし、

 諦めてその世界を楽しみなよ)


 とても楽しめる世界じゃねえよ!

 言葉すら不自由すぎるし、何と云っても食い物が……


 ……いや、ちょっと待て、何だって?いま何て?

 戻れない、って云ったか?


(うん、君はもう、戻れない)


 ……絶対?100%?どうやっても?


(無理、戻ろうと思ったら、来た時みたいに君の脳の構造を、

 誰かの脳に上書きしなきゃいけないけど、原始人と違って

 文明化以降の人類の脳には、既にミームが詰まっているからね、

 そこに原始人の脳を上書きしたら、一体どういう悪影響があるか……)


 それ意味よくわからないんだけど!

 お前、この身体にも無理矢理書き込んだろ!

 できないわけじゃないんだろ!戻してくれよ!


(いや、僕が云った意味、ちゃんと理解した?


 まず、原始人も既にミームの処理能力は獲得していたけど、

 環境から得るミームは君がいた世界や未来の僕らよりも遥かに貧弱で、

 だから脳の能力自体は相当に余裕があった、

 君の脳に併せて書き換えても何とかなるし、今回なったわけだ)


 黒板には、「ミームの質と量」というタイトルの下、自然豊かな風景と未来都市の風景が描かれ、「古代:現代=1:1,000,000」とも書かれた。それぞれの風景の下には、小さな重しを頭に載せてる笑顔の原始人と、トラックのように巨大な重しを頭に載せて苦しそうに呻いている現代人の絵も加えてある。

 いやだから、ミームっての意味、全く分からないんだけど?


(情報だと思っておけばいいよ、遺伝子に似た性質のある情報……

 そんなことも知らないとはね、まあいいや、続きだ


 しかし、君らや僕らのように、生まれた瞬間から膨大なミームに

 囲まれて成長する者は、若年の時点で脳がそれに適応してしまうのさ


 何しろ情報量を比較すれば昔の百万倍だ、そんな環境にいれば、

 ニューラルネットワークの構築も凄まじい勢いになるわけで、

 ミームの定着によりネットワークがあっという間に適応した構造になり、

 新しいネットワークを挿入しようにも整合性をとるのが大変なんだ


 だから、脳を書き換えようにも、ネットワークの大規模な破壊が

 どうしても避けられない、つまり、無理に書き換えた結果、

 君は廃人になる可能性が極めて高い)


 脳が真っ黒になるほどの情報を詰め込まれ、錯乱した男の絵が黒板に描かれる。「※ミームの過剰摂取」という注意書きもついている。


(だからこの技術、こういう風にしか使えないんだよね

 もともとは精神障碍者の"更新"のために開発された技術だ、

 ってのを考えても、危ないのがわかるよね?)


 ……それって、ロボトミー、ってやつじゃないのか?


(あれは物理的に脳を切除する、とんでもない手術じゃないか

 君ら野蛮人の未開の技術とニューロウィーヴを、一緒にしないでくれ


 それはさておき……もしたとえ、

 奇跡的に書き換えがうまく成功したとしても、だ、


 君はんだ、

 だから、君の希望通りにはならない、無理だって云ってるの)


 いや……そもそも勝手に、こんなことをしたお前が全面的に悪いだろ。

 何その、こんなこともわからないのかこの馬鹿は、って感じの云い方は?

 お前、もし自分が誰かに、勝手に他人の頭に自分を書き込まれたら、

 一体どう思うよ?ていうか自分の身体でやるべきだろ。何を勝手に……


 ……って、あれ?ちょっと待てよ?

 そういえば、いまの"俺"って、どうなってるんだ?


 つまり、今この俺は、他人の脳に書き込まれた"俺"でしかなくて、なら、ここに転生する前の本来の俺の身体は残ってるはずだよな?

 それは一体、どうなってるんだ?

 そっちはそっちで、勝手に生きてるってことか?


 ていうか、元の俺が生きてるなら、その脳を再利用すればそのまま元に戻れるはずだろ?なんでそうしないんだ?


(あー……それ、聞く?)


 "奴"は、俺の質問を聞いて、曰くありげな返事をする。

 と同時に、黒板には何かの絵が描かれようとしたが、その瞬間に講堂全体が大きく揺らぐのを感じた。地震か、と思ったがこの揺らぎが地面の振動ではなく、空間そのものが、ぐにゃ、と歪んでいるのに気が付いた。


(……タイミング悪いね、目覚めの時間だよ

 じゃあ、また今度ね)


 おい、今度っていつだよ!

 まだ聞いてないことが、っていうか戻せっつってんだろ!


 "奴"は、俺の叫びに応えることもなく、スッと姿を消した。

 大学の講堂は俺を巻き添えにして、ぐにゃぐにゃと歪み溶けてゆく。

 俺は、どろどろに溶けた講堂の中で、講堂であった"とろみ"を鼻から口から吸いこみ、激しくむせる。それが、目覚めのサインだった。

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