第3話 音吸う風鈴

 浅草の裏通り、煤けた暖簾のかかった小さな古道具屋がある。

 名を煙蒐屋えんしゅうやという。


 季節は盛夏、照り返しの石畳を歩いていた青年、清瀬祐一は、ふと涼しげな鈴の音に足を止めた。


 聞こえたのは、風に揺れる風鈴の音――の、はずだった。

 だが、見上げたその先には、風鈴など見当たらなかった。


 音はすっと途切れ、その代わりに、彼の視界に入ったのは一枚の看板。


 「古道具 煙蒐屋」


 どこか湿った空気と、煤けた木の匂いの中。

 祐一は好奇心に導かれるまま、戸をくぐった。


 店内には、時間の止まったような静けさが漂っていた。


 そして、奥から現れたのは――まるで骨董品そのもののような、冷ややかに美しい青年だった。


 淡い銀鼠の着物に、うっすらと微笑みを浮かべたその店主は、祐一を見て柔らかく言った。


 「お探しのものは、もう見つかっておいででしょう?」


 「え……いえ、僕は、ただ音に誘われて……」


 祐一が言い淀むと、店主は棚の上から小さな箱をそっと下ろした。

 中にあったのは、一つの風鈴だった。


 が、奇妙なことに――それは、まったく音が鳴らないのだ。


 鈴はある。ぜつもある。風が吹けば揺れるのに、音はしない。まるで音だけが欠けているかのような不思議な風鈴。


 「これは、“音を吸い込む”風鈴です」


 店主は、音のない風鈴を手に取りながら、まるで誰かの記憶をなぞるように話し始めた。


 「ある娘が、病の床で夏を迎えました。風鈴の音がうるさいと、毎夜怯えていたそうです。耳元で響く、誰も鳴らしていない鈴の音……。それが、この風鈴の始まり」


 「娘が亡くなった夜、家の中にあった風鈴は、全て音を失いました。以来、この風鈴だけが、音を吸い込むようになったのです」


 祐一はその話にぞっとしたが、なぜか、どうしてもその風鈴が気になって仕方なかった。


 「これ、売っていただけますか」


 「ええ。ただし……音が戻る時には、なにかが代わりに消えるかもしれません」


 店主の言葉を聞きながらも、祐一はそれを笑って聞き流した。


 それから数日後。


 風鈴は祐一の部屋の軒先に吊るされた。やはり、どれだけ風が吹いても音は鳴らない。


 ――だが、ある夜。


 深夜二時。祐一が机に向かっていると、不意に「ちりん……」と音が鳴った。


 一度だけ。たった一度。


 そして、その音を最後に――祐一の“声”が出なくなった。


 医者に診せても、喉にも声帯にも異常は見つからない。口は動く。息も出る。けれど、声だけがまったく響かない。


 祐一は必死で声を出そうとするたび、耳元でかすかに「ちりん……ちりん……」と鈴の音がするのに気づいた。


 まるで、出そうとする声が、すべて風鈴に吸い込まれていくように。


 彼の“音”は、風鈴に喰われていったのだ。


 


 数日後――。


 煙蒐屋の棚には、例の風鈴が戻っていた。小さな箱に入れられ、静かに、じっと、音のない空間に収まっていた。


 そしてその夜、店の奥から聞こえたという。


 ――「助けて……」という、どこか掠れた、声にならない“声”が。


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