第6話 天神門・明来
シャン、と鈴の音が鳴り響く。
白衣に緋袴、頭巾で顔を隠した励人の手に握られた神楽鈴が、軽く振るだけで空気を震わせる。
励人は舞う。
両腕を広げれば、大空を自由に羽ばたく鳥が、腰を低く構えれば、雄々しく闊歩する獅子が、その舞に重なる。全身を使った大胆さと、指先にまで集中した繊細さ、相反する動きが、舞の世界をより深く強調していた。
「綺麗・・・」
「ああ・・・」
二人は言葉を失っていた。励人の舞に圧倒され、攻撃の手を止めて、見入っていた。
「―――世を照らし、邪悪を払いて、
励人が祝詞を唱え始めると、夜の闇に覆われた異界に光が差し込む。
闇を切り裂く光の柱が励人を照らし、神々しさを放った。
「―――さて、私達も行きましょう」
レイシアは名残惜しそうに励人から視線を外し、バケモノに向き直る。
その表情はどこか嬉しそうであり、足取りは軽い。
ボルゾフも続き、銃の点検を済ませ、歩き出す。彼らの使命は『励人を守り抜くこと』
それが、この異界から脱出する唯一の道なのだから。
「―――彼方より来やる四霊神、ここに集いて闇を祓わん―――」
舞は激しさを増していく、励人は大きく腕を振るうと、袖から紙の人形(ひとかた)が舞い降りる。
それらは列を成し、励人の舞に合わせ、動き始めた。
「―――天神門・明来」
腕を広げ、羽ばたく様子を見せた後、ゆっくりとしゃがみ込む。
すると、上空より鳥居が三つ飛来し、励人の後方に立つ。
「―――我が主の怒りは、罪を滅ぼす―――」
レイシアの放った矢は、巨大化したバケモノの胴体に風穴を開かせる。
一瞬よろめくが、それでも励人目掛けて巨大な手が迫る。
「―――――」
ドドォン!と轟音が響き、掌、肩、額の三点に風穴が開く。一回の銃撃音にしか聞こえない速度で放たれた三発の弾丸が、迫る腕を吹き飛ばし、バケモノの動きを止めた。
「はぁっ・・・!はぁっ・・・!」
「ふぅ・・・!」
バケモノの上半身しか動かないとはいえ、巨大な質量を止めるのに時間が掛かる。
向こうはある程度の欠損など気にせず、脅威の存在である励人へ意識を集中させている。
それを止めようとする二人は、己が持つ力を最大限利用し、ここまで何とか留めていた。
「まだか・・・!アサ・・・!」
排莢され、空になった銃弾が地面に転がる。隠れてリロードをする必要もなく、バケモノの目の前で堂々と弾丸を装填した。
「シスター!!」
「く―――!『自戒の鎖』!」
レイシアが手を合わせると、辺りに散らばっていた光の矢が輝きを放ち、たちまち鎖となってバケモノを縛り上げた。
「さぁ!あなたの罪を―――!」
藻掻けば藻掻く程、それは締め付けを強め、相手の動きを封じる。
(今は一秒でも長く留める!)
だが、そんなレイシアの願いは虚しく、鎖は簡単に引きちぎられ、振り払われた腕がレイシアに命中する。
「っ!シス―――」
弾き飛ばされたレイシアは、山の斜面に激突し、ぐったりと項垂れたまま、動かなくなった。
ギリ、と歯を食いしばるが、ボルゾフは深呼吸を何度も繰り返し、精神を落ち着かせる。
(俺達の任務はなんだ―――そう、アサを守ること、守ることができればこの異界からの脱出も可能―――)
ボルゾフは自棄を起こさず、呼吸を整え、狭くなった視界を取り戻し、再度銃を構えた。
幸いにもバケモノは動き出しておらず、雄叫びを挙げているだけだった。
励人はまだ―――舞っている。
「ふっ!」
頭上を巨大な手が通り、その風圧がボルゾフの身体を打つ。
ボルゾフの放つ銃弾の一発一発の威力が強いため、命中すれば攻撃が中断される。
「厄介だな・・・!」
これではいつまでも仕留めることができない―――そんな状況に歯噛みしながらも狙撃は続ける。
「リロード―――っ!?」
腰に添えていた予備のマガジンに手を掛けた瞬間、頭上に掌が迫る。
「はやっ――――!」
でかいから動きが遅いと決めつけていたことが仇となり、対応が遅れる。
銃から手を放し、身体全体で手を受け止める。
「うお・・・!うぎ・・・!」
想像以上の重量に、足が地面にめり込む。
全身の骨が悲鳴を上げ、耐えようとすることを拒否する。
「く・・・!」
このままでは潰されるのを待つだけになるが、ボルゾフは考える。
(このまま時間を稼げば・・・間に合うのか!?)
だがそれは自身の命を天秤にかけるということ、それでも、あの二人が・・・アサが、助かるのならば―――
「・・・・・いや」
覚悟を決めかけたところで、ボルゾフは思いとどまる。
それは死に対する恐怖ではなく、脳裏に、励人の笑みが浮かんだからだ。
(世界を恨んでいた俺に、優しくしてくれたのはお前が初めてだったな・・・アサ)
壮大なことではない、至って普通のこと―――だが、ボルゾフにとっては、初めて心を許せた相手だった。
「アサのために・・・負けるわけにはいかないっ!」
全身に力を込め、右手を腰に当てる。
そこには一振りのナイフがあり、それを圧し潰そうとしている掌に刺す。
刺してしばらくした後、悲鳴と共に、掌が浮かび上がる―――今っ!
「デカイから反応が遅れたか!?」
たん!と地面を蹴ると、先程まで対峙していた手を斬りつけながら駆け登っていく。
そのまま突っ走り、肩を踏み台に飛ぶと、こちらを睨む目に向けてナイフを突き刺した。
「もらったっ!!」
仕留めるとまではいかずとも、これで更に時間が稼げる、ボルゾフは勝ちを『確信』してしまった。
「なっ!?はやっ―――!」
忘れていたわけではない、想定していなかったわけでもない、だがバケモノは傷ついた右手に目もくれず、空いていた左手でボルゾフを掴んだ。そのまま傷つけられた怨みを晴らすかのように、握る力が強まる。
「あ―――ぐあああぁぁぁあぁっっっっ!!!」
ミシミシと全身が悲鳴をあげる。これでは骨も折れているかもしれない。
ボルゾフはあまりの痛みに気を失うが、バケモノはそれでも怒りが治まらないのか、そのまま遠投でもするかのように身体を180度捻り、彼方に向けて投げつける。
抵抗できないボルゾフは、そのまま闇に消える―――はずだった。
だが、突如としてボルゾフの行く先から巨大な光の『手』が現れる。
それはとてつもない速さで飛んでいたボルゾフを受け止め、両手で優しく包み込んだ。
暖かな光がボルゾフを包み込み、傷ついた肌が、バキバキに折れた骨が、あっという間に治癒していく。
「これ、は・・・・?」
意識を取り戻したボルゾフがゆっくり顔をあげると、バケモノよりもはるかに凌駕する巨大な菩薩が、闇の世界を切り裂いて姿を現していた。
「―――よくやった、後は任せろ」
(焦るな、落ち着け、ゆっくりと―――)
現状を把握しながら、励人は舞を続けていた。
顔を隠してはいるものの、届いてくる音で状況は手に取るようにわかる。
(レイシア・・・ボルゾフ・・・!)
本当ならすぐにでも助けに行きたかった。だが、ここで舞を中断してしまえば、この世界から出る術が失われる。
悲鳴、咆哮、銃声―――様々な戦闘音が轟く中、励人は極限まで集中力を高めていく。
(助けたければ―――この舞をやり遂げるしかない!!)
視界は狭まり、音が次第に遠くなる。
聞こえてくるのは、自分の息遣いと心臓の鼓動だけだ。
「北の玄武―――東の青龍―――西の麒麟―――南の鳳凰―――」
「ああ―――ああ、我らが四霊神、天と地を統べし存在よ、我が前に連なりて、根源たる邪悪を祓い給え―――」
それぞれが名を呼ばれると、それに呼応するかのように黒、蒼、白、紅の炎が励人の周りを囲み、激しく燃え上がった。
神楽鈴が一際大きな音を立てると、四つの炎は中心に吸い込まれるように集まり、反発し、混ざり合い、回転しながら形状を変えていく―――
「―――招 来」
励人が静かに手を合わせると、闇に覆われた世界が、空が、黄金に染まっていく。
まるで極楽浄土にでも誘われたかのように、荘厳な雰囲気が世界を包み込んだ。
辺りに散らばり、舞の手助けをしていた紙の人形の式神達は、励人のように狩衣を纏った人間に姿を変える。励人を中心に円を作り、『招来』という言葉を唱えると、一人、また一人と炎に包まれていった。
それら全てが燃えた後、励人の遥か後方の空より、菩薩が顔を覗かせた。
その瞬間、吹き飛ばされたボルゾフを受け止めたのは、菩薩はその手であり、ゆっくりとボルゾフを励人の近くに運ぶ。
「大丈夫か?ボルゾフ?」
「ああ・・・アサ・・・」
怪我は完治したはずだが、意識がぼうっとしているのか、ボルゾフは震える手を差し出してきた。
「よくやってくれた・・・後は、任せろ」
励人は、菩薩の手に受け止められたボルゾフの頭に手を添える。そしてそのまま
バケモノに向けて歩き出した。
(ああ・・・やはり、アサは―――)
その頼れる背中を見つめながら、ボルゾフは静かに意識を手放した。
世界が変わったかと思う程、今の励人には力が満ち満ちていた。
立ち昇る気迫は、ゆらゆらと陽炎のように励人の周りに漂い、髪を逆立たせる。
「随分と―――仲間が世話になったようだな」
右手を頭上に掲げると、光が収束し、段々と形を成していく。
「だがこれを発動してしまえば、もう終わりだ―――精々、残りの時間を楽しんでろ」
光の収束が終わった時、励人の手には光り輝く刀が握られていた。
巨大ではない。それこそ、普通の刀に見えなくもない。
だが、見た目こそ矮小なれど、そこから発せられる圧は、見る者を惹きつけて止まない魅力があった。
事実、バケモノは攻撃の手が届く範囲にいたにも関わらず、励人の動きに気圧され、身動きが取れずにいた。
「―――はらい、祓、掃」
同じ言葉を三度繰り返し、刀を左脇下段に構える。
ここに来てようやく自分がどういう状況に置かれているのか気づいたバケモノは、咆哮を上げ、自分を奮い立たせた。
この世界の主であり、最強の存在だという自信を持つ、負けるわけがない―――そう思い、目の前の人間を潰そうと腕を振り上げたその時、励人がその場から消えていることに気づく。
ヒュン、と刀で空を斬る音が聞こえたかと思うと、背後には潰すべき人間が立っていた。
『何か』を斬ったのか、血振るいを行い、納刀をする。
気づいてないのか、それとも距離を取っただけなのか、これを好機と捉えたバケモノは無理矢理身体を捻り、頭から喰らいつかんとして―――世界が縦半分に割れた。
「この刀は、物質を斬るのではなく・・・『邪悪を祓う』ために作り出されたものだ・・・既にお前を『斬られた』―――後は、消滅するだけだ」
斬られた箇所を戻そうと、必死に〝ずれ〟を直そうとするが、どれだけ元に戻してもすぐに上下に分かれる。やがてその切傷は首、腕、胴体と次々に広がり始め、悲鳴をあげることなくバケモノは細切れになり、地面に沈んでいった。
「後は―――浄化だ」
合掌すると、菩薩の手が現れ、細切れになったバケモノを一片残らず包み込む。
「―――祓い清められよ・・・無垢なる魂として」
手の中で光の球体が出来上がると、それを水を撒くように広げ、解放した。
光の粒子となって天上に昇っていく様を見て、励人は深く息を吐く。
「・・・安らかに眠れ」
パァン!と手を叩くと、菩薩が、鳥居が、神楽の舞が生み出した全てが、次々に粒子となって消えていく。異界の空にヒビが入り、それは段々と広がり、割れた破片が降り注ぎ始めた。
程なくして、異界は消滅し、満点の星空が広がった。
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