第49話 新島八重

「香月さんと翠雨さんは、隠世へ渡る方法を探して八重様に会いにいらっしゃった。ということでよろしいでしょうか?」

子供たちは飽きたようで離れた場所で遊び出した。メイは香月から離れようとしなかったが、タケルに引っ張られて渋々、遊びに加わった。

「はい。ここに八重さんがいらっしゃると聞いたのですが」

言った後に香月は自身の言葉の矛盾に気が付いた。ここに八重がいるという事実は人魚から聞いた。そして人魚の血を飲んだ八重は、まだ年若い容姿である可能性が高い。実年齢は七十四歳だが、若い容姿で住むには個人情報を偽っている可能性もある。

誰から得た情報か。まだ八重としてここにいるのか。今まで思っていたよりも八重を捜すことは難しいかもしれない。

「八重様の言う通りですね。メイちゃん達の言うようにあなた方が八重様のおっしゃるお客様のようです。八重様はこの明鏡寺で尼としていらっしゃいます。こちらへ」

あっさりと通された本堂で仏像を眺める女性がいた。正座で袈裟を着た女性が手を合わせている。頭布を被っているその姿は、一目で尼であるとわかる。

「この寺は、ほとんど八重様の居住区として使っているのです。尼も彼女だけで、私は書類上の住職なのです」

ゆっくりと振り返った八重は、三十代ほどの姿だ。けれど、その佇まいは見た目年齢とはかけ離れた落ち着きや悟りを感じさせる。

「初めまして。新島八重と言います。本来の年齢では七十四歳。来訪をお待ちしておりました」

動じることなく、翠雨は本題に切り込んだ。

「人間が妖の血を飲んでも隠世へは渡れないのですか? 隠世へ渡る方法をご存知ですか?」

求めていた答え、探していた隠世へ渡る方法があと一歩で分かる。その焦りか期待か、翠雨は冷静さを欠いていた。その分、自分が冷静にならねばと、翠雨のシャツの襟を掴んで八重から引き離した。

「翠雨さん、あなたの求める答えを、私は持っています。けれどその前に、私の話を聞いてくれますか?」

滑らかに立ち上がった八重の後ろを、香月は黙って付いて行く。焦れた様子の翠雨も、黙って後を追った。

明鏡寺を出ると、村人は八重に笑顔で話しかける。

遊び回る子供達は、八重の姿を見つけると駆け寄って来た。

「ばあ様! お話は終わった?」

「ねえ、また人魚様のお話を聞かせて!」

「まあ、ばあ様を困らせないの!」

「ばあ様こんにちは」

老若男女問わず八重に話しかける村人は、みんな、彼女に敬意と好意を持っている。

「こんにちは。お客様にこの村のお話をしているのです。また後でお話ししましょうね」

穏やかな八重が言えば、香月や翠雨にも挨拶をする。気分を害したような人はいない。

「八重さんは皆さんに好かれているのですね。容姿についての話を皆さんは気味悪がることはないんですか?」

香月が問うと八重は話す。

「私がこの村に来てしばらくした時、病が流行ったのです。みなさん私に良くしてくれました。一人、また一人と病に倒れるのですが、私には何もできません。明鏡寺と神社で交互に祈ること。それだけが私に出来る唯一のことでした」

明らかに八重よりも年上の老人は、八重に頭を下げる。

「ばあ様、いつ見てもお美しい。またお父さんの好きな料理を教えてくださいな」

「はいはい。また今度」

すれ違う人達に返事をしながら話を続ける。

「そんな時です。阿弥陀如来様とアメノウズメ様がお言葉をくださいました。阿弥陀如来様の大事なモノを命の限り守ること。アメノウズメ様の導く者、つまり香月さんと翠雨さんと言葉を交わすこと。その二つを守ると約束したら、私の願いを叶える方法を授けてくださるとおっしゃいました」

「なぜ、俺達のことを……?」

「やはり導かれていたのですね」

驚く二人に微笑んだ八重は、ゆっくりと歩きながら続きを話す。

「疫病をきっかけに、みなさんは私がただの人間ではないと知りました。最初は気味悪がられました。それでも優しい人がいて、そういう人は優しさを分けてくれるんです。もらった優しさを返して、余裕のない人にも分け与える。そうしていたら、みなさんが受け入れて守ってくれるんです。だから私も、出来る限りここでできた大切な人を、守りたいと思うのです」

香月は押し黙る。翠雨も心当たりがあるようだ。

「自分の目的ばかりになっていませんか? 悲しいことばかりになっていませんか? もらった優しさの温かさに気が付けば、道は開けます。今は少しここで休んで、周りの優しさを思い出してみてください」

香月の手を取る。

「少し本音を話してみてください。周りはあなたが思うほど冷たくも薄情でもないですよ」

香月の両手をぎゅっと握る。香月は心にお湯が注がれたようにじんわりと温まった気がした。

次は翠雨の右手を握り、八重は自身の右手でぽんぽんと撫でた。

「苦しかったですね。寂しかったですね。もう大丈夫です。翠雨さんの周りには、もう怖い人はいません。顔を上げて目を開けば、暖かい世界が広がっています。あと一歩、踏み出してみてください」

二人に激励の言葉を告げると、明鏡寺へ戻って行った。

八重の言葉を聞いたら、二人には少しだけ、世界が変わって見えた。

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