第48話 持て余した欲 ー隠世ー
祭りが終わり、日向の誘いでその夜は屋敷に泊めてもらった。初花のことは気になったが、見つからないものは仕方がない。それに夜は妖怪の時間だ。半成りとはいえ人間には危ない時間だ。
久々の家族水入らずの時間ともあって、日向には両親との時間を優先してもらった。何より、自覚した自分の醜い欲望を持て余している。
「明日は朝から古都へ行くぞ! 約束したんだから守れよな。絶対だぞ!」
強く念を押した日向は、やはり子供らしく両親との時間に喜びを隠しきれていない。
そして今朝。
初花を捜すことと遊びに付き合うことを目的として再び古都へやって来た。
古都の中心街は、祭りの余韻が強く残り、熱気に溢れた歌や会話がそこかしこから聞こえてくる。
「兄さんや。古都は初めてかえ?」
ふわふわとした声が耳元に届く。
赤い提灯が浮いている。黒い唇に、絵巻に出て来そうな提灯妖怪だ。そもそもここに人間がいることの方が珍しいと、理解してきている。
「ワタクシ、送り提灯のタンザクと申します。古都の案内所の看板提灯でございます。古都が初めてならば、ぜひこのタンザクにお申し付けください。この不肖なタンザク、精一杯ご案内させていただきます」
タンザクの愉快な語り口に呼応して中に灯っている炎もご機嫌に揺れる。
日向は興味津々な様子でタンザクを鷲掴みにして問いかける。
「一番楽しいところを知っているのなら、案内させてやる」
タンザクはご機嫌に浮かび上がり返事をする。気分を害した様子はない。
「ワタクシにお任せを。二名様、ごあんな〜い!」
フヨフヨと混み合う道を進んでいくタンザクを追いかけて、古都の入り口から離れて行く。
丸い開けた土地の真ん中にやぐらが建っている。そのやぐらを遠くから囲うように屋台が出ていた。やぐらの上に大きな太鼓が鳴らすお囃子がバチが振り下ろされるたびに、低い振動が腹の奥に響く。
「ツクモ楽団が来ておられますよ〜」
タンザクが陽気な音楽に合わせて揺れた。
タンザクの方が楽しそうに踊りながら先を飛んで行く。
「西洋ではオーケストラと言うそうです。隠世で言うところの楽団ですね。西洋の楽器も使うのですが、今日はお祭りに合わせて和楽器を使うのです。西洋の楽器を使う楽団は隠世ではツクモ楽団のみなのです〜」
一際、和楽器の音が大きく聞こえてくる。酒の香りや笑い声まで、その全てが愉快な雰囲気を感じさせる。
ドン!
大きな太鼓の音が、翔悟の心臓に合わせて響いた。
太鼓の音が引き金となり、昨晩から消えてくれない欲望から、一つの邪な考えが浮かんだ。
「ツクモ楽団は、その名の通り、楽器に憑いた付喪神が中心の楽団です。今回は輝夜様がやってくるお祭りを盛り上げるために旅の道中、古都にやって来てくださいました」
狐の踊り子から、角の生えた鬼。茶碗に手足の生えた姿の小さい妖怪から手の長い妖怪、足の長い妖怪。まるで国宝の絵巻物の百鬼夜行のようだ。
楽しげな雰囲気に当てられたのか、翔悟まで踊り出したくなる。この開放的で欲に従順な妖怪達が妙に妬ましい。
「ショウ、行こう! 踊っていこう」
タンザクに見送られ、日向に引っ張られるまま踊りの輪に入った。
「兄ちゃん踊り上手やね」
気軽に話しかけてくる妖怪に、翔悟も答える。
「昔、少しだけ教わったんですよ」
自分の気持ちが受け入れられない。認めたくなくて、振り払うように美しい妖怪に注がれた酒を呑み交わし、踊り狂う。
酒の酩酊感が心地良くなってきた頃、ようやく悪あがきをしていた心が素直になった。
「……これが僕の本音か」
酒で酔ったのか、この場に酔ったのか。ふわふわと思考の流れが緩やかになってきた。
醜かろうが汚かろうが、思ってしまうことは大体が本音だ。受け入れたくないことほど、自分の本質に近いのだろう。
長らくここに留まれば、妖怪になってしまう。そんな言いしれない恐怖感は、ますます薄れ始めていた。
(やはりそうだ。もう、いっそ……)
酒屋の軒先で酒を呑みながら、妖怪と遊び回る日向を眺めていた。
「ショウ!」
「ショウ君!」
どこで貰ったのか、狐面を側頭部につけている。満喫しているようだが、表情だけが浮かない日向と、その後ろから走ってくる大きな鉢を被った妖怪。
慌てている二人の妖怪の様を見て、口元が緩んだ。
――常識や良識を無視するほど愛している。
輝夜の言葉は、翔悟にとって都合良く改変された。
(そうだよ。僕は常識や良識を無視するほど翠雨を愛しているんだ。なら、何も問題ない)
腑に落ちて、スッと心が軽くなった。
初花と日向の瞳には、翔悟に生えた鋭利な角と牙が妖しく映っている。
日向の横を通り過ぎた初花の気配に、日向は背筋が冷えた。初花を凝視すると、鉢から一瞬だけのぞいた口角が上がっていた。
日向は確信した。翔悟の言っていた初花という妖怪は、噂に聞く千年の時を生きる間に自分を見失った悪霊初花だ。
月の民の血を持つ日向にはわかった。元が人間であったために妖怪の心に順応できず、もがき苦しんでいたのだろう。その苦しみに千年耐えるうちに、人間と妖怪の心が混ざり合い、歪んだ存在となったのだ。
今は、もう暴走する列車のようになっている。
日向には、初花を救うことも翔悟を助けることもできない。月の民は神ではないし仏でもない。生殺与奪は弱い者ほど好む快楽だ。強き者は平和を好む。
日向も手を出す気はないが、約束は果たす。翔悟が強ければ切り抜けるだろう。
輝夜が種を蒔いたのだ。なるようになる。
「……もう少し、もう少しで」
呟いていた初花の言葉を、日向は聞こえていないフリをした。
その時、ふわりと線香の香りが日向の鼻先を掠めた。忘れることのない、安心感のある香りだ。
「ショウ! 阿弥陀如来様が通られた!」
慌てて振り返るが、細い煙がスルスルと妖怪の間を縫って行ってしまう。
振り返った翔悟は未だ様子がおかしいが、初花からは嫌な雰囲気が去っていた。
初花は再会の挨拶もそこそこに翔悟を引っ張る。角や牙について言及せず、走って行く。日向も心配で追いかけた。しかし、翔悟も初花も見失ってしまう。
一度立ち止まった初花は、平屋の細い路地に入り一際穏やかに翔悟の顔を挟んだ。
鉢を被っているのに、初花が微笑んでいる気がする。
「ショウ君、自分の名前、覚えてる? 帰る場所、見失ったらあかんよ。大事な人に会わないかんのやから」
穏やかな初花の声は、焦点の合わない翔悟よりも、よほど強い信念がうかがえた。
「約束は果たした。俺はちゃんと約束を守った。こいつらと遊んでやったし、阿弥陀如来様の動きも伝えた」
追って来た日向は、路地の入り口近くで厳しい声を出した。黒く濁った翔悟の瞳は、浮かない日向の顔を見つめている。初花はそんな翔悟と日向を待っている。
日向は自身が思っていたよりも、翔悟といることが楽しかった。離れて行ってしまうことに、少なからず寂しさを感じているほどだ。
「ショウと話して、見失っていた気持ちとか、見ないフリをしていた気持ちと向き合えた。次はお前だ。お前は自分の気持ちを見失うなよ」
翔悟の顔が一瞬だけ歪んだように見えたが、言葉は心まで届かない。
しかし最初に動いたのは初花だった。
「ショウ君、そろそろ」
日向はこれ以上諭しても無駄だ、とため息を吐く。
「邪の者には姿まで捉えることはできないだろうが、導きを必要とする者には俺達と同じく線香の香りと煙が見える。香りと煙を辿れば、正しき道を示してくれる」
日向は裏鬼門の方角を指した。
「ショウ、俺はもうお前に会いたくないぞ」
突き放す言葉は、本当の決別ではなく、正しい道に戻れと促している。
大柄であることに変わりはないが、器の広さを感じさせる言葉であった。
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