第43話 青銅鏡 ー隠世ー

満月の夜だ。煌々と光る黄金の月を際立たせるように、星は姿を見せない。空は月以外の輝きのない漆黒だ。

昼間の赤い月からは姿を変え、美しい黄金の月だ。

月と同じ黄金色に輝く日向の瞳には、緊張と決意が滲んでいる。

計画の準備は既に終わっており日向と翔悟で実行する打ち合わせをした。

結局、日向の屋敷で打ち合わせをしていたことで、初花と合流する事はできなかった。

(初花さん、大丈夫かな)

ふわふわしていて、少し天然なところがある彼女が心配で仕方がない。けれど、しっかり者な面も持ち合わせている。きっと良きようにしているだろう。

亥の刻、つまり二十一時頃、月から天の川のような銀色の光が寄せ集まる。現世では想像もできないほど美しい光景だ。漆黒の空に銀色の薄い衣がなびいているようにも見える。

眺めていると頭に一つの疑問が浮かぶ。

水に溶ける墨のようにじわじわと薄く心に広がった。妖怪に誘惑されているようにも思える。いや、翔悟は妖怪の誘惑だと思いたいのかもしれない。

妖怪の祭囃子が鳴り止み、喧騒は吸い込まれるように消えた。

一音、空気を破る高い音が響いた。それを合図に、横笛を携える天女が光の絨毯に舞い降りた。横笛に続いて舞姫が羽衣を翻し躍り出た。

牛車が並び出て、後ろには武人が剣舞を披露しながら続く。百鬼夜行というには神々しい行列が、夜会の会場に歩を進める。

しばらくの後、牛車が光の絨毯の終わりで止まり、天女や舞姫、武人は横に控えた。

翔悟がいる場所は、停まった牛車の正面にある幕の裏だ。茜色に染色された幕の裏で、駕籠の中に入った日向に声をかける。

「天武様が席に着いた時に出ていけば良いんだね?」

「ああ。駕籠の御簾が上がった時、俺が母様の前に駆け出して羽衣を破る。大丈夫だ。俺は絶対に計画を完遂する」

日向の覚悟は強く、それゆえ今に至るまでの彼の思いが痛々しい。

幕の隙間から様子を見ると、平安時代を思わせる直垂を着た男性が牛車の御簾を上げる。

翔悟も出番が近づき、緊張感を覚え始めた。

「日向様、僕は殺されたりしないよね?」

ハッと鼻で笑う音がした。

「月の使者は生き物を殺すことができないと言っただろう。生き物を殺せば月に帰れなくなるどころか、存在自体が消滅する。いかなる理由があろうとも、許される行いではない。だから月の使者は殺さず法に則り罰を与える。その罰は死ぬよりも辛い報復だ」

饒舌な日向は相当緊張していることがわかる。これ以上の追求はやめた。

「本年は月の使者に直接お力を賜りたいという半成りがいる。天武を説き伏せ、日向様を月へ迎えることに尽力した者だ。日向様をこちらへ」

駕籠を持つ妖怪と共に翔悟は不作面を付けて前に出た。

行燈がわずかに足元を照らす。顔を上げると月明かりのみで、なぜだか心地良く感じる。

「お初にお目にかかります。ショウと申します」

牛車の中は二畳ほどの広さがある。そこに正座する十二単の女性は、使い古された扇子を閉じた。

創作物では鈴が転がるような声と表現されることがある。けれど女性はカナリアのように落ち着いた声だ。

「日向は、妾と共に来てくれるのですか? それはあの子の意思でしょうか」

閉じた扇子の隙間からのぞいた容姿は、中国の近代画の女性のようだ。細く長い柳眉、紅を差した唇はコロンとした形だ。切れ長の瞳はしかし黒目が大きく実に美しい。だが、美しいという強い印象だが、顔を背けると思い出せない影のような不気味さも感じさせる。

翔悟はできるだけ丁寧に返事をする。

「母が恋しい、とおっしゃっておられました。日向様は母の温もりを強く求められております」

視線を落とし、女性は未だ納得のいかない様子だ。

「申し訳ございません。日向は今まで妾の元へ来ることを拒んでおり、驚きのあまり礼儀を欠いていました。妾は輝夜。ショウ、礼をさせていただけますか。なんでも望みをおっしゃってください」

浮かんだのは、先ほどから頭の片隅を陣取って離れない言葉だ。その言葉を意識してしまうと、自然と口をついて出た。

「輝夜様は愛する人間を人ではなくしたことをどう思っていますか」

控える月の使者の視線を強く感じたが、恐怖心はない。翔悟は輝夜から意識を逸らせないし輝夜もまた逸らさない。

「妾も悩まなかったわけではないのです。しかし、何故でしょうか。彼が人間をやめた時、喜びよりも罪悪感と責任感が強く残ったのです。でも、彼が妾を選んだことや、常識や良識を無視するほど愛してくれていることが」

悦に浸る笑い声が響く。心地良い声は、愉悦や快感に苛まれる興奮を感じさせる。

「たまらなく気持ちが良いのです」

ゆっくりと噛み締めるように吐き出した言葉は、翔悟の心を強く揺さぶった。そこまで輝夜を興奮させる快楽や愉悦を翔悟自身も、と思ってしまう。

「けれど」

暗い声が翔悟を妄想から引き戻す。

「妾のこの感情は悲哀や苦痛も快楽とする月の民であるがゆえのモノ。半成りはどこまでいっても半成り。人間を捨て切ることはできないのです。大事な人間を妖としたことへの罪の意識からは逃れられないことを、しっかりと、覚えていなさい」

確実に翔悟の考えをわかっている言葉だ。

「それでもショウが妖でありたいと願うことがあるのなら、人間に戻りたいと願うことがあるのなら、きっとこの鏡があなたの力となるでしょう。ささやかな感謝の印です。受け取りなさい」

渡された鏡は大きな丸い形をしている。青銅でできているようだ。ずっしりと重い。

「輝夜様、そろそろ」

「そうですね。ショウ、日向と会わせていただけますか?」

ずしりと重い青銅鏡を抱えてもたついていると、優雅に笑った輝夜が扇子を横に一振りした。青銅鏡はコンパクトミラーのような大きさに変わる。落としかけた翔悟は慌てて受け止める。

「ショウ、速やかにお願い致します」

司会のように進行を務めていた鼠の妖怪は糸目をさらに細めて睨みつける。翔悟は青銅鏡をしまい、駕籠の御簾を開ける。

日向は駕籠から降りて一礼する。顔を上げた途端、素早く輝夜の元へ走った。

「日向!」

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