第37話 変化
「人魚伝説のある琵琶湖付近で、少女が妖怪と出会い恋に落ちた。祠へ行く時に川の音を聞いた気がする」
「つまり、人魚がこの付近の川にいる可能性が高いと言いたいのですね先輩」
少しくらい可愛げのある反応や、先輩を立てる謙虚さがあっても良いだろう。本気で思った香月は思い直した。不器用な可愛さだと、言えなくもない。賢さもまた魅力だ。
すぐに裏山へ入っても良かったのだが、効率を重視する頭脳派の二人だ。資料館へ行き、過去の地図と現在の地図を照らし合わせ、人魚がいたと思われる場所を割り出すことにした。
八重に懐いていた栄吉の話によると、八重は五十八年前に駆け落ちをすると書き置きを残し行方不明となった。当時十六歳だった八重は、今も生きているのなら、七十四歳である。天津彦の記憶で顔を見た二人は、姿が変わっているだろうが、大きな変化はないのではと考えた。八重が妖怪化したという推測は、あくまで仮説なので可能性がある事柄は、全て視野に入れておかなければならない。
八重の姿は、黒いロングヘアーを二つ結びにした大和美人と言った風貌であった。一見したら大人しく清楚なお嬢様だが、話し声は明るく利発でハキハキとした印象だった。
印象に残る美しい女性だ。
「祠のすぐそばまで川があったようだね」
「今も祠の少し奥に泉がありますね。ちょうど琵琶湖に繋がる川と上流で分かれています。ここを目指しましょう」
資料を広げて分析をすることに慣れた二人は、すぐに目的地を決めた。作業スピードは非常に速い。
地図の写真を撮り、二人はすぐに裏山の祠を目指した。祠を中心に泉を探す。
「私、一つ仮説を立てました」
神妙な面持ちで斜めがけのバッグを抱え込む。翠雨の後ろを歩いていた香月は、バッグを抱える翠雨の肩が、緊張していることを見逃さなかった。
その力の入り方に、もしや翠雨の大事な人と自分達に、繋がりがあるのではと考えが浮かぶ。
「私の大事な人は、名前を、飯沼翔悟と言います」
この言葉は香月の仮説を裏付ける決定打となった。
「飯沼勝五郎の生まれ変わりが、先輩と私なのだと仮定します」
息が止まるように声を詰まらせる翠雨に、香月は何も言えない。足元に視線を集中させてできる限り真剣に話を聞く。
「だとしたら、彼はもしかしたら、飯沼勝五郎の子孫なのではないでしょうか」
翠雨の声は徐々に震え、涙が溢れているのではと思わせる。
「私は勝五郎の伝説を詳しくは知りません。ですが、彼は残酷な人だと聞きます。もし彼を恨む者が妖となっていたら? 恨む者が悪霊となっていたら? 子孫の血と魂が引き合わされ、人ならざる者を呼び寄せたとしたら?」
翠雨の言わんとすることに香月も辿り着く。否定はできない。
いつになく弱気な翠雨に、香月自身も動揺していた。励ましの言葉をかけたいのに、言葉が出ない。悔しくもどかしい気持ちばかりで、喉が張り付いて声が出ない。
「初花は勝五郎のせいで死んだのです。彼女が、妖となり復讐に来たとしても、不思議はないです。私が彼と出会わなければ、彼はまだ人間として生きていたかも知れないと」
初花と聞いた香月は、反射したように言葉が出てきた。
「彼女はそんな人じゃない」
翠雨は足を止めて振り返った。強く握りしめた手は白く色が変わり、潤んだ瞳には強い後悔と今、溢れるのではと思わせるほど水滴が浮かんでいる。
「ふとした時にシャボン玉がふわりと浮かび上がるように記憶が思い出される。まだこれが俺の前世かはわからないけど、記憶の中の初花は、そんな女性じゃない」
翠雨は声を出せば涙まで溢れ出す。そう言っている様に、口を引き結んで香月を見上げる。
「もし俺が初花と出会わなければ、彼女はあんなにも無残な死に方はしなかっただろう。そう思うよ。彼女は恨みで復讐する様な人ではない。でももし、本当に彼女が恨んでいるのだとしたら、甘んじて受け入れる。けれどその役は翠雨でも飯沼翔悟君でもなく、俺なんだ」
翠雨は涙と共に弱音を溢した。初めて聞く、翠雨の強がりの裏側だった。
「だからって、私のせいで彼が連れ去られたことは変わらない。私が一人でいれば、先輩が記憶を思い出すことも、彼が連れ去られることもなかった。私が、一人でさえいれば……」
これ以上、翠雨のせいではないと言っても意味はない。否定しても、翠雨の抱える気持ちは救われない。
「俺のしたことも、翠雨がしたことも、今さら変わらない。後悔しても遅いし、どうしようもない」
翠雨は声を出さずに、ツーっと涙を流すだけだ。翠雨に言い訳のつもりはないらしい。ただ、罪の償いを欲しているように見える。
「でも、彼を助けることも、妖怪をどうにかすることも、俺と翠雨にしかできないことじゃないかな」
そっと差し出したハンカチも今の香月には思い出深い。翠雨はハンカチを受け取り、初めて微笑んだ。ほんのり上がった口角は、少しだけ既視感を覚えた。初めて会った時の、初花の微笑みに似ているのかもしれない。
しかしすぐにいつもの無表情に変わった。目尻が赤くなっているところが、先ほどの姿が嘘ではないと物語っている。強がっている様子は、手負いで威嚇する猫のようだ。
微笑みが初花に似ていると香月は思ったが、やはり初花とは違う。ただ、前世が勝五郎ならば、どこか今世でも影響されているのかもしれない。
「香月先輩の意見に納得したわけじゃありません。私が考えて、目的を見失ってはいけないと判断したのです。過去を後悔しても、過去も後悔も変わりません。無意味です。今をどこまで理想に近づけるか。それが最適解だと思い出しただけです」
こういう状況では、初花ならこう言うだろう。
「有り難うございます。貴方様のお言葉で目が覚める様な思いです。元気が出てきました。ほんまに有り難うございます」
相手を立てつつ、素直に礼を言う様子は簡単に想像が付く。思わず笑ってしまうと、翠雨が気分を悪くしたことがあからさまに伝わってきた。
「もう良いです。早く行きましょう。今も彼が危ないかも知れません」
踵を返した翠雨は早足で歩いて行く。先ほどは香月を気遣うように時折、振り返ったりスピードを合わせてくれたりしていた。今の翠雨は感情を振り払うようにスピードを上げている。早足の翠雨は、度々躓いている。この事件がなければ気が付かなかった翠雨の人間らしい一面に、自然と笑みが浮かぶ。
香月はいつもの翠雨が戻ってきて、安心している自分に恐ろしいほどの後悔が込み上げる。
もっと早く人を気遣える人間であったなら、初花を幸せにできただろうか。今は、この記憶が確かに自分の前世だろうと思い始めていた。ゆえにそんな考えが過ぎる。しかし、今の自分に誰かを幸せにできるほどの力があるとは思えない。
「細かいことを考える必要はないですよ。出来るか出来ないかじゃないです。その気持ちを伝えるかどうかです」
今度は翠雨が香月を鼓舞する番だった。
「いつ、相手がいなくなるかわからないんです。後悔も、不安も、好意も覚悟も。全部言えることは言わないといけないんです。それこそ本当に、後悔は一生付き纏うのですから」
冷たく言い捨てる様な話し方をする翠雨だったが、今だけはどこか柔らかく聞こえる。
「行きますよ」
一度口角を上げた翠雨は、香月の考えていることを言い当てた。上部の性格が違うだけで、本質が似ていることを翠雨も感じていたのかも知れない。
まるで、同族嫌悪のような関係だった。だからこそ、喧嘩や本音の言い合いを経て、良き理解者になったことも事実だ。少なくとも、香月はそう思っている。
ここまで自分の気持ちや本音を話した人は初めてだった。これからも良き友人であれるようにしたい。願くば、翠雨も同じように思ってくれるような関係になれるよう。
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