第34話 夢現 ー弐ー

「お前はあの男の元へ嫁に行け。やはり、確実に殺すにはこの方法が一番だ。ようやく兄者を殺した相手が見つかったのだ、ようやく……」

「ですが、私の旦那様は貴方様だけです。偽りでも他の方に嫁ぐなど」

「決定事項だ。反論は許さない」

女性は黙って頷き、部屋を出て行った。その女性が反論したのはこれが初めてであった気がする。

「待て」

少しだけ期待したような表情で女性は振り返った。

「奴を殺したら、お前も死ね。俺達のことまでバレでもしたら事だ。お前もそれくらいの覚悟はあるだろう? 違うか?」

女性は頭を下げた。

「もちろんです。それが貴方様のために私ができることならば、全力で従います」

「お前も親族を殺された身だろう。お前のためでもあるのだ。本望だろう」

「……誰の元へ嫁ごうと、私のお慕い申し上げる方は勝五郎様、貴方様だけでございます」

「戯言は良い。早く行け」

懐刀を美しい薄桃色の着物に忍ばせた女性は、一筋の涙を頬に伝わせて襖を開く。

「初花。今まで良く頑張ってくれた。礼を言う」

「はい。あとはお任せ下さい」

あの日から一度も日の差したことのない屋敷は広く寂しい。誰も信じられなくなった勝五郎は、使用人も全て解雇し、金と恐怖のみで他人を従えて生きてきた。

最初は同じ苦しみを持つ勝五郎なら信頼できる。そう思い形ばかりの結婚をした。

いつからだったろうか。初花が勝五郎を愛したのは。

憎しみと絶望だけだった初花の人生。けれど徐々に愛と喜びが戻ってきた。彼にも、自分と同じく幸せを感じて欲しい。その気持ちに嘘はなかった。彼のためなら身を削ることも厭わなかった。そうしたら、彼にも、その心が戻ってくる。

「そんなことは、夢物語なのでしょうか」

事実、この日まで彼が初花を省みることも、喜びの笑顔を見せることもなかった。

「私では貴方様に心を取り戻して差し上げられなかったのですね」

最後に言っておきたかった。生きて彼に会うことは、きっともう無いのだから。

「勝五郎様に幸せがありますように」

それでも、勝五郎は初花の渡したハンカチを捨てないで持っていてくれる。その姿は、彼がまだ人の心を捨てていない証拠だ。そして彼自身に優しさがあると信じるには充分であった。

たとえ彼の愛を取り戻す相手が初花でなくても構わない。幸せでいてくれれば、それで。

初めて向けられた労いの言葉への喜びと、他人へ嫁ぐことへの悲しさが複雑に絡み合う。見上げた月が、ほんのりと赤く感じた。

「最後に、勝五郎様にできることは……」

初花のいなくなった勝五郎の未来に、せめて憂だけは残さぬように。

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