第31話 重ね菊

香月が翠雨を追いかけた先は、薄桃色の羽衣を靡かせた女性を見た場所だった。うずくまる翠雨の背中が泣いているように見えた。

普段の香月ならば、泣いている女性がいたらすぐさま抱きしめたことだろう。ゆっくりと話をしながら慰めたことだろう。

しかし翠雨が相手では、それが上手くできない。右往左往して考えた結果、ハンカチを差し出した。

「なにが悲しいかはわからない。でもお前が泣くと調子が狂うんだ。泣き止んでよ」

できる限り優しい言い回しをしたつもりだが、普段よりも機嫌が悪く聞こえたかもしれない。

「なんですか。その可愛らしい柄のハンカチは」

振り返った翠雨は、いつもより捻くれた言い回しをする。そして、泣いてはいなかった。

「私は泣いていません。その恥ずかしい柄のハンカチはしまってください」

じゃあ、翠雨は何をしていたのか。気にはなったが、今はそのことよりも弁明したいことがあった。

「このハンカチは俺が買ったわけじゃない。ある日俺の部屋に落ちていたんだ。友達を部屋に呼んだ覚えはないし、姉ちゃんと母さんに聞いてもこんなハンカチは知らないって言うんだ。捨てるに捨てられずに使っているだけで」

言って翠雨の顔を見ると、なんとも言えない表情だ。ここで普段なら毒を吐くところだが、それをしないあたり多少は香月の怒った意味を考えての結果だろう。

「何か言えよ」

「気味の悪いハンカチをよく使えますね。神経がわかりません」

「誰もそこまで言えとは言ってない」

翠雨はまじまじとハンカチを見つめる。

「重ね菊の柄ですね。多少覚えのある気配を感じます」

翠雨の言葉に、香月は聞きたかったことを思い出した。

「翠雨は、幼い頃から妖怪が見えていたことは本当なの?」

顔を上げた翠雨は、悲し気な笑みを浮かべていた。

「興味があるんですか」

見てみたかった翠雨の笑顔は、皮肉が感じられた。

吐き捨てるような言葉に、香月はこれ以上聞かない方が良いと感じた。ようやく踏み込んだ翠雨の深淵は、想像以上に深いように思えた。それでもこのままである、ということはこれ以上翠雨のことが知れないということである。

口を開きかけた時、翠雨が先に口を開いた。

「みんな言うんです。最初は知りたいと言って聞いて、話せば誰も信じない。そのうち離れていく。それなら最初から聞くな。軽々しく近づくな。そう思うことは悪いことですか」

翠雨の最後の言葉は、疑問ではなく自身の経験からくる本音だ。香月に意見を求めているわけではない。その吐き捨てる言い方は、香月への当てつけに聞こえた。

「俺は信じる」

「簡単に言ってくれますね」

明らかに話す気のない言葉だった。香月には拒絶であることもわかっている。

「俺も見たから。さっきここから走っていく女性を翠雨も見ただろう。そりゃ俺も見ていなかったら信じなかった。事実、君彦さんが言っていた、見えていたと言う話も半信半疑だった。きっかけは踊る女性を見たからだったけれど、翠雨の話や行動を見ていれば十分信じられる話だよ。人間、見たもの聞いたものしか信じられない。翠雨の言う通り俺は想像力が足りなかった。申し訳ない」

香月が頭を下げると、翠雨は明らかに動揺した。

「何を今更……。ちょっと頭を上げてください。え、あの」

頭を上げない香月に、翠雨は徐々に焦り出す。

「誰かに見られたら、どうするんですか」

「翠雨が話してくれるまで頭を上げないよ。ああ、なんなら土下座でもしようか」

「脅しですか、最低ですね」

翠雨が売り言葉に買い言葉で返したタイミングで本当に膝を折ると、翠雨はついに負けを認めた。諦めたようにも見えるが、実際は香月の行動に折れたのではない。見えてしまった者への施しのような感覚だったのだろう。翠雨の無意識の善意だった。

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