第30話 日向 ー隠世ー
清姫はわざと翔悟に自身の記憶を見せたのだ、とすぐに腑に落ちた。最後に翔悟を見上げた清姫が、同調するように問いかけてきたことがその証拠だ。
横を見ると、そこには心配そうに翔悟を見つめる初花がいた。けれど清姫の姿がない。翔悟は煎餅布団に寝かされていた。
今も残っている清姫の言葉。妖怪になってしまえば楽になれるのでは。そういった甘い考えが過る。その考えに同調する自分の思考が恐ろしい。そして妖怪化を望む利己的な自分も、否応なしに自覚させられる。翔悟の中で、妖怪化を拒む気持ちが確実に薄れていた。
「ショウ君、大丈夫?」
心配そうに見下ろす初花に、翔悟は力なく微笑んだ。
「大丈夫です。そろそろ行きましょうか」
初花は翔悟の言葉を、空元気だと認識した。初花も妖怪の端くれだ。清姫が何をしていたかなど、すぐに分かるのだろう。それでも気丈に振る舞う翔悟に、これ以上は言わなかった。
「そうですか。では先を急ぎましょか。清姫さんとあまり一緒にいない方がええよ。私は荷物取って来るから、先外で待っとって」
初花の足音は隣の部屋へ消えていく。
一人になると余計なことが頭を過ぎる。それがどんな考えか、わかってしまうがゆえに独り言を呟いた。話していれば思考が少しは紛れる。
「僕も準備をしよう。初花さんは大荷物を抱えていたから少し時間がかかるか。さっさとまとめて待っていた方が良いな」
そんなことを言いながら荷物を整理していると、背後に清姫が現れた。襖の隙間から入って来たのだろう。音もなかったことから、初花は気が付いていないと想像がつく。今一番会いたくなかった人物だ。
「あんたが妖化を拒むなら、初花に気を許さない方が良い」
つい先ほどまでの幼い少女のような口調ではなかった。初花と同じ、翔悟を案じる口調だ。けれど実害を与えたのもまた清姫だ。
「初花からも聞いているだろう。妖は優しいだけのモノはいない。初花も同じだ」
その言葉は、翔悟も考えたことだ。初花は初めて会った時から優しく穏やかだ。けれど彼女もまた、妖怪である。どこか恐ろしい部分があるのだろう。でもその部分が見つからず混乱した。そして次第に気を許していたのかもしれない。
「あんたはここに来て日が浅いと聞いた。その割に半成りまで妖化が進んでいるのはおかしい。どこかでここの世界の食べ物でも口にしたのかい? もうこの世界の食べ物を口にしないほうが良い」
心当たりなど一つしかない。
「初花が、粥を」
「あたしは優しい方さ。あんたの意思など関係なく妖にすることもできる」
「その言い方だと、初花は」
ドタドタと音が響き、初花が駆け込んできた。
「ショウ君、また清姫さんと!」
清姫は一瞬だけ翔悟の耳元で囁き、何事もなかったように初花に向かう。
「そんなに警戒しなくても、この子はいずれこちら側にくる。行くんだろう? 阿弥陀如来様を探しに。この時期だと輝夜様がやって来る。阿弥陀如来様を見た妖も少なくないだろう。急ぎな」
初花はどこか納得がいかない様子であったが、清姫に見送られ、初花と翔悟は再び旅立った。
――初花には気を付けるんだよ。
清姫の残した言葉は、きっと翔悟を弄んだだけだ、と納得した。初花が悪い妖怪である筈がない。
「初花さん、この世界の食べ物は」
確信が欲しくて、翔悟は軽く言葉を投げかけた。
「なんや?」
そう問いかけた時、初花の気配が変わったと感じた。どこがと言われてもわからない。本能のようなモノが危険だと知らせてくる。初花の立つ左側から、黒く不穏な気配を感じる。恐ろしくてこれ以上聞くことはできず、話題と視線を逸らした。
「初花さんは妖怪になった時、抵抗感はなかったのですか?」
もう一度初花を盗み見れば、いつものふわふわとした春の陽気のような穏やかさが戻っていた。
「そうやねえ。私は気が付いたら成っていたようなもんやから、細かいことはようわからへんわ。やけどな、ショウ君は人間でおらなあかんよ。妖になんて成っても幸せなんてことはあらへん。清姫さんもきっと、どこか後悔してると思う」
そう言って大きな鉢を傾けて、翔悟を見上げた。その視線や瞳が、優しく穏やかに感じる。この人のどこが怖いモノなのか。疑ってしまうほどの善人だ。なのになぜかその視線に、先ほどまでは感じなかった薄寒さを覚えた。
けれど穏やかに会話が進み、祭囃子が大きく聞こえ出す。
「輝夜様がやって来るって、かぐや姫のことですか?」
「よう知ってはるねえ。竹取の翁のかぐや姫さんやよ。毎年のことや。輝夜姫さんを愛した時の帝様は不老不死の薬を飲んで永遠の命を得た。せやけど月の都の者ではないから月へは行かれへん。やから毎年、輝夜姫さんは帝様に会いに古都へやって来はるんや」
日はまだ高く、初花が言うには夜の間だけ古都に滞在し、日が上る頃には帰って行くのだそうだ。
「阿弥陀如来様を探しながら輝夜姫さんも見て行ったらどうや? 大層お美しいと聞いとるよ」
冗談めかして言う初花に、翔悟は頷いた。早く見つかるのならそれに越したことはないのだが、愛する人を自らの手で人外へ落とした輝夜姫の真意も気になっていた。
祭囃子は一層盛り上がり始めて、古都は大賑わいだ。まだ明るいと言うのに酒の香りは強く歌って踊る妖怪で道もろくに通れない。
その通りを慣れた様子でするすると縫って歩く、輝いて見える妖怪を見つけた。気が付くと走り出していた。なぜだかその妖怪が気になって仕方がない。
翔悟を後ろから呼び止める初花であったが、慣れない人混みでついに見失った。
「待って! そこの、えっと、光ってる子!」
一際大きな建物の影に滑り込んだ妖怪の後を追って声をかけた。妖怪もキョロキョロと見回して振り返った。
「俺が光って見えるってことは、お前、妖じゃないな。月の使者でもなさそうだ」
翔悟よりも頭ひとつ分低い背で、尊大な態度の妖怪に、苦笑いをしながら会話を続ける。
「そう。僕は人間だよ。君の名前は?」
妖怪は鼻で笑ってふんぞりかえる。
「俺を知らないなんて、やっぱりあいつらが言うように人間は残念な生き物だ」
「僕はショウ。君は?」
「俺は日向。ひゅうが、だ。覚えておけ」
尊大な割に聞いたことには素直に答える日向は、存外悪い子ではないのかもしれない。翔悟は思ったが心の内に留めておく。
「日向君は」
「日向様と呼べ」
「日向様は何をしていたの?」
ビクリと体を震わせて、視線を彷徨わせる。
「わかっている! 良くないことだってことは、わかっているんだ」
でも、と日向は声を潜めてボソボソと呟いた。しかし翔悟の耳に届く前に、翔悟へ質問を返した。
「お前は、ショウはここで何をしている?」
翔悟は特別隠すことでもないと答える。
「元の世界、現世へ帰るために阿弥陀如来様を捜しているんだ。君は見たかな?」
日向は少し難しい顔をして、すぐに翔悟を見上げる。
「……お前でも良いか」
顎に手を当てて呟いた後、腕を組んでフン、と偉そうに言う。
「俺に協力してくれるなら、俺も協力してやっても良い」
翔悟は日向に問いかけた。
「何をしたら良いの?」
日向は俯いて、すぐに顔を上げた。
「母様を取り戻すんだ」
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