第29話 愛してしまったら
夕方が姿を現し始める時間に、今朝集まった部屋でお茶を囲んでいた。この時間になったことにはいくつか理由があるが、一番大きい要因は茅の体調だ。
茅は消耗が激しかったらしく、泥のように眠っていた。横には栄吉と天津彦が付いている。
久しぶりの自由であるにも関わらず、天津彦は嬉しそうな顔も見せないで茅を見ていた。父である栄吉は、一心に茅に謝り続けた。そうして数時間の後、茅は瞳を開けた。
ようやく落ち着いて話をしようと集まった時がこの時間だった。その場には、栄吉、君彦に茅、香月と翠雨そして天津彦。
「君が、天津彦様ですか。えっと、翠雨さんが渡した護符の影響で、私達にも見えているのだったね」
先ほど、茅の横にいた天津彦が護符を手放すと、君彦と栄吉には姿が見えなくなったそうだ。翠雨自身、護符にそのような効果があるとは知らなかった。
「私はそのような効果は知りませんでした。父と母が、妖の見える私への護身で渡してくれた護符です。君彦さんもご存知なのではないですか? 五岳真形図という万能と呼ばれる護符です」
翠雨は部屋の隅で文机に向かい、今日あった出来事を自身の知識と照らし合わせながら資料を作っている。一同は呆れた目を向けて、話を進める。
「香月君、彼女に代わって今回の出来事の説明を頼めるか?」
君彦が香月へ声をかけると、香月は説明を始める。
「天津彦様は座敷牢へ閉じ込められている間に、寂しさを募らせた、と話していました。その声を聞いたこの屋敷に住む少女が、今回は茅ちゃんが反応してしまったのだろうと考えています」
栄吉の横で天津彦と戯れる茅が言葉を挟む。
「シロタはずっと寂しいって言っていたわ。あまりにも悲しそうな声だったから、私がお姉ちゃんになろうと思って会いに行ったの。シロタは悪くない! シロタを追い出さないで!」
必死に訴える茅を天津彦は引き止める。
「僕が悪いんだ。茅を危ない目に遭わせたから。追い出されてもしょうがないよ」
どこか寂しげな視線で俯く天津彦に、茅の方がさらに寂しそうな表情を見せる。栄吉も、思わずと言った声を出す。
「彼は町の神様だ。追い出すなんてことはしないよ。ただ、私達のご先祖様が彼に酷いことしたのも事実。天津彦様、申し訳ございませんでした」
茅も一緒に頭を下げる。想像ができなかった二人の行動に、天津彦は戸惑って右往左往する。
「僕は、そんなことを望んではいない。か、顔を上げてくれ!」
栄吉は天津彦の手を遠慮気味に取る。
「こんなことで償える、なんてことは思っていません。ですが、せめて茅のそばにいてくださると言うのなら、我が家にいてください。もちろん、出て行くと言うのなら準備もこちらでお手伝いさせていただきます。今後、あなたを屋敷に閉じ込めることはさせません。安心して我が家にいてください」
茅も天津彦に願う。
「シロタ、行っちゃうの?」
天津彦は悩ましげに、視線を香月と君彦へ向ける。翠雨にも向けたが彼女は全く反応しなかった。
「護符はシロタにあげます。好きに使ってください」
気が付いていないと思われた翠雨も、興味なさそうに言う。話は聞いているようだ。
「もう、好きにしろよ。どうせ僕には行くところもない。ここにいるよ。ここの人だけが、僕を必要としてくれるんだ」
寂しげに言った天津彦は、しかし喜び浮かれる栄吉と茅の様子に、頬を緩めた。ようやく天津彦の穏やかな表情が見れたことに、香月も翠雨も密かに口角を上げた。
「それで、香月君と翠雨さんはどうして走って行ったのかな」
潤んだ目尻を拭う栄吉は話を戻した。
「それが、翠雨は妖怪が見える体質であるらしいのです。だからあの人が見えたのでしょうが。そう言ったものが見える体質ではないのに、俺にも踊る天女のようなものが見えました。まるで天津彦様の真実を伝えるように、新島邸の裏山の祠へ誘導されました。そこで天津彦様の過去と茅ちゃん、そして過去にもう一人、天津彦様の元を訪れた少女のことを。名前は確か、八重」
栄吉は顔色を変えた。天津彦は懐かしそうに瞳を緩めた。
「八重、元気かなあ」
栄吉は勢い良く天津彦の肩を掴む。
「八重姉さんは、あなたの元を訪れたのですか」
「姉さん?」
天津彦は不思議そうに顔を顰めるだけだ。
「八重は、私の従姉妹の姉さんです。確かに彼女は少年に出会ったと話していた。けれどどこかへ消えてしまったのです。まるで」
「僕は人を消す力なんて持っていない! 僕は、ただの妖だったんだ。山彦という、なんの力もない、ただのしがない妖だ」
天津彦が時折見せる、寂しげで、自虐的な眼差しに、栄吉は居心地が悪そうに斜め下を向いた。
「いつもいろいろな声と言葉で、僕の住む山に声をかけるこの町の人々が好きだった。言葉はわからなかったけど、返事をすると嬉しそうにする人間が好きだった。ある日、雨乞いをする人間の言葉に僕がいつも通り返事をしたんだ。そうしたら人間は僕が雨を降らせると信じ込んだ。いつの間にか僕を信仰する人間たちの力で、少しずつ力をつけた。それだけの存在だ」
「シロタはそんな酷いことをしない。シロタは寂しい私の友達になってくれた。今も昔も変わらない。寂しがりやで優しいシロタは変わらない」
栄吉は素直に頭を下げる。
「申し訳ありません。天津彦様には不思議な力があり、君彦からも不思議な存在は人間とは違う思考回路である。そう聞かされていたので、悪気がなくとも神隠しなどできるものかと。本当に申し訳ありません」
「いや、良いんだ。八重は、僕のそばにいるうちに、僕以外の妖も見えるようになったらしい。僕は詳しくは知らないけど、その妖と親しくなり駆け落ちをしたんだ」
皆、唖然とした表情であった。
「妖と神はまるで紙一重のような存在です」
翠雨はため息にも似た吐息を発して、走らせていたペンを置く。
「妖が持つと言われる妖力、神の持つと言われる神力。神通力は人神や人が妖化した場合、そして陰陽師が使うとされています。神の持つ純粋な神力と神、のようなものが持つ力は別とされています」
トントン、と文机を叩きながら、不機嫌そうに話を続ける。
「神通力と妖力に違いはないと言われています。人でも持つことのできる力であるがゆえに、人間への影響力も強い。神力には人に直接的な効力はないとされています。要するに、神通力を持つシロタには人間に妖を見せるくらいの能力はある。けれどシロタ程度の存在に人一人を攫うほどの力はないでしょう。私が見たことのある妖の中で人を攫うほどの力があるモノはいませんでした」
翠雨は天津彦の前に立ち、冷徹な視線を向ける。
「シロタ、あなたは人間に関わるということを本当に理解しているのですか」
その翠雨の視線は、冷え切っていたが、確かな芯が窺えた。天津彦には、香月達にはわからない心当たりがあるようだ。
「人間と関わるということは、妖の世界で培った常識は通じません。気紛れに触れ合い、離れることは妖のように簡単な話ではありません」
翠雨の言葉に、香月は彼女の葛藤を感じた。翠雨が、そういった言葉を吐くまでにどのような出来事があったのだろうか。
「僕は、それでも人間といたい。人間を傷付けてしまうことがない限り、僕は人間の、この町のそばを離れない」
一瞬だけ目をすがめた翠雨は、それ以上のことを言及しなかった。代わりに、厳しい瞳がどこか遠くを見た気がした。
「その考えを変えない覚悟と、意志を持っていてください」
その後、部屋を出た翠雨はフラフラとどこかへ向かった。香月は不安に思って眺める。いつにも増して不安定に感じた翠雨を放っておいて良いとは思えなかった。
「詳しくは天津彦様からお聞きします。彼女を追って良いよ」
香月は栄吉の気遣いに、自分が思っていたよりも早く体が動いていた。
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