第27話 ハルヒ町の守り神
香月が新島邸についた時、翠雨は栄吉の胸ぐらを掴んでいた。
「シロタをどこへ隠しているのですか」
敬語が戻っていることから、香月は翠雨が多少冷静さを取り戻したと察する。いつも研究室に入った時のように、翠雨はこちらにチラリと視線を向けて作業に戻る。香月は自分のやるべきことに気が付いた。
「シロタとは、茅の言っていた友人か? 私が知っているのならこんなことにはなっていない!」
栄吉が叫ぶように言った。
小柄な翠雨が胸ぐらを掴んだくらいでは、立派な大人の男性が引けを取るはずがない。翠雨はただの小柄な少女ではない。インドアであり、スポーツも滅多にしない小柄な少女だ。大学に入って体育の授業がなくなった。今の翠雨の戦闘能力は、考えて香月は思考を止める。
「俺達はあなたに協力をしている立場です。先に情報提供をお願いします。そうしたら俺達の持つ情報も話しましょう。翠雨、手を離したら」
翠雨は黙って手を離した。
「栄吉さん、早く話した方が茅ちゃんのためですよ。あとどれだけ猶予があるかわかりません」
見ていた君彦はバツが悪そうに横を向く。それを見て栄吉はシャツの襟を整えて踵を返した。
「くれぐれも他言無用で頼む」
付いて来いという意味だと判断し、香月と翠雨は栄吉に続く。君彦もその後ろにさりげなく付いて行った。
栄吉は、屋敷の最奥に位置する立派な襖の前に立つ。襖であるのに南京錠が取り付けられている。カチリと硬質な音がして、そっと襖を開いた。
「この町で気がついたことがあるんじゃないかな。信仰の関係で」
栄吉が試すような口ぶりで振り返る。いち早く声を出したのは香月だった。翠雨はキョロキョロと目を忙しく動かしていて、およそ話を聞いているとは思えない。
「この町を歩いてみたのですが、信仰心の強い地域と聞いていたのに神社や祠がどこにもありませんよね」
「やはり、詳しい者は気が付くのだね。君彦君もそうだったよ」
栄吉はその瞳に籠った強い感情を緩めた。
「天津彦白妙命。この町で祀っている神様だ。天津彦様を祀るようになってこの町は繁栄した。けれどある時から神に見放されたように衰え始めた。私の先祖は神の心を離さぬよう、この屋敷に閉じ込めてしまった。それが、ここだ」
書物の詰まった本棚の間を縫うように歩く。畳を剥がして出てきたのは木の板。さらにその板を剥がせば、石の階段が現れる。
「しかしそこには、ただ豪華な座敷牢があるだけで、今やどのように扱えば良いのかも伝わっていない」
翠雨は一番後ろに付いていたが、目を見開いて前にいた香月や栄吉を押し除けて走り出した。香月の瞳にも恐ろしい光景が映った。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
「どうしたの? 遊ぼうよ。うふふふふ」
翠雨は地下牢の柵をガタガタと揺らした。
「シロタ! 大丈夫です。私にはあなたが見えています。茅ちゃんもあなたも私が助けます。だから、安心して」
君彦と栄吉は状況が飲み込めないようだった。
「いらっしゃるのか? 本当に? 天津彦様が?」
香月にも地下牢の惨状ははっきりと見えた。
『で、今も見えるのか? 妖』
この景色は、翠雨が幼い頃から見てきた景色なのだろう。この翠雨の慣れた対応も、本物と接することで身に付けたのかもしれない。香月には想像できない辛いことが、多々あったのだろうと思い至る。
君彦の言うことも、あながち間違いではなかった。わかっていないのだから、わかった気になる。
知らないことを、知らない。
「シロタ、あなたはここを出ることを望みますか!?」
天津彦は頭を抱えてこちらを見ている。
「さあ、早く! 応えてください。その子とあなたのためです! 早く!」
「あ、あああ、僕は、こ、ここから、出たい!」
目が、まるで常闇の洞窟のようになった茅が天津彦をのぞき込んだ。
「どうしてそんなことを言うの? ねえ、遊びましょうよ」
香月は今の今まで動けなかった。黒くどんよりとした茅に取り憑く妖怪から目を逸らせない。
「翠雨、茅ちゃんは、妖怪に」
それだけしか香月は口にできなかった。焦ってはいるが、翠雨は冷静だ。
「シロタ! あなたは歴とした神です。この護符を持って強く願いなさい。私の言葉を繰り返して!」
天津彦は恐る恐る手を伸ばす。
「新島茅を救いたい。魔の物は去れ」
渡した護符を胸に抱き、けれど強い意志を持って声を出した。
「茅を助けたい! 魔の物は、去れ!」
若干、翠雨の言葉とは違うが、効果があったことは香月の目にも明らかだ。香月の目だけではなく、君彦も栄吉も声を上げた。
「光!?」
「まぶし!」
天津彦の握りしめた手からは、光がポロポロと溢れる。蛍が湧き出ているかのような光の粒が飛び立ち茅を包む。暗闇の部屋では、それだけで目が痛い。護符からは光が慎ましやかに溢れ、光の粒が穏やかな光へと変わる。
「う、うぁあああ!」
光が落ち着いた頃、茅はその場へ倒れ込んだ。護符を握りしめたまま天津彦は茅に駆け寄る。
「茅? 茅?」
茅の後ろにはドロドロとした液状の妖怪が蠢く。
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