第26話 清姫 ー蛇ー

出会って初めて見つめ合った記憶。

『あの目が色欲に染まって見つめるのは、あたしだけじゃない』

胃に不快感がする。

夜に口づけをした記憶。

『あの口はあたし以外の女にも甘い言葉を吐き、口づける』

口の中が、ざらついた。

髪をそっと撫でる安慈の手が好きだった。

『あの手はあたし以外の女性に触れる』

自分の手に、虫が湧いたような不潔さを感じた。

『それでもあたしは安慈が大事なの?』

たとえ、安慈が清姫以外を愛しても。たとえ、安慈が触れた場所が気持ち悪くても。

「あたしがあの人を愛した気持ちは、否定したくない。あの人があたしを愛さないのなら」

『もう準備はできた?』

細長いモノは、徐々に姿を変える。鱗、細い舌、しなやかな体。締め上げられていた理性は、自身の欲望とプライドに塗り替えられた。

「あの人が変わってしまうのなら、あたしも変わるまで」

『その純粋な欲望、僕らの仲間にぴったりだ』

蛇は青い毒を吐き、わずかな抵抗感や罪悪感に馴染み、甘く溶ける。

「あなたの命だけでも、あたしにくださいな」

ピキピキと頬に鱗が湧き、瞳に細い線が伸びる。

「あ、あやかしー!」

一瞬だけ振り返ったトメが叫び声を上げつまずいた。安慈は腰を抜かす。男の子は泣き喚く。

「気持ち良い音色」

うっとりと空を見上げると、自身の気持ちが高揚しているからか、赤い三日月が怪しく光って見える。

叫び声は甘い酒精のように体を回る。彼らの怯えは快感に変わり、頬が紅潮する。

「もっと、聞かせてくださいませ」

三人の首を掴み、縛り上げて寺の鐘の下に座らせた。ロープに日本酒をかけ、火を点ける。徐々に近づく火種に、泡を吹いて意識を失うトメと男の子。安慈は叫ぶ。

「頼む! 二人だけは助けてくれ! 私が悪かった、お前の言うことはなんでも聞こう、だから、二人だけは!」

「こんな時も、あたしを思う言葉はかけてくださらないのですね」

気色悪い。不愉快で、不潔。そこには清姫が愛した安慈はいない。

「もうその声は聞きたくないのです」

「かはっ」

喉を締め上げる蛇は、褒めてと言わんばかりに首を伸ばす。

「あたしの気持ち、お分かりになりました? 真綿で締め上げられる苦しさ」

安慈の顔は次第に青白さを通り越して土気色に変わる。目は焦点が合っておらず、痙攣が始まった。

「もう声も届いていないのですか」

火種はすでに三人の下半身を燃やし始めている。

蛇に安慈の解放を指示し、咳き込む男を眺める。

「さようなら、安慈様」

鐘がぐらりと傾いた。三人を閉じ込めるように落下を始める。

「待て、助け……!」

声は清姫の耳に届くことなく、鐘に遮られた。

安慈の目に映った最後の女性は、あの日のように慈悲深く微笑む清姫だった。けれどその表情とは対照的に、唇が動く。

「すてきな顔」

鐘が地面に到達した後。清姫は鐘に手で触れる。ほのかな熱と、微弱な振動が伝わった。

「この気持ちは、哀しみ? 喪失感? 罪悪感かしら」

生きる目的も、意味も失い、残ったものは永い時を生きる命。時間だけ与えられた清姫は、なにを思って生きれば良いのか。

安慈の首を絞めた蛇が、チロチロと舌を出して清姫に擦り寄った。妖怪となった清姫の眷属のようなモノだと、直感でわかる。

「あたし、自分と同じように人間を妖へ変えていこうかしら。同志ができれば、この虚無で無為な余生も少しは色付くでしょう?」

顎を撫でてやれば、丸い瞳が細められる。心が穏やかな日常も、また悪くないのかもしれない。

もう一度見上げた月は、やはり赤く輝いた。

「ねえ、あなたもそう思うでしょう? ショウゴ君」

清姫の目には、確実に翔悟を捉えていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る