第24話 深層心理 ー隠世ー
翔悟は薄い布団の上で目を覚ます。煎餅布団から身を起こすことも、二度目となれば違和感も薄れる。
普段、布団に入ればすぐに眠りに落ち、ぐっすりと眠る質の翔悟は夢を覚えていることなど少ない。さらに言えば、夢もろくに見ていないのではとも思っている。
そんな翔悟は、大切な思い出を夢に見た。その夢ははっきりと覚えており、まるで記憶を遡っていたような気分だった。
「起きたかい。夢見はどうだい?」
横では丸い窓の縁に腰を下ろして優雅にキセルを蒸す清姫がいた。まるで吉原の花魁のようだ。窓から射す光は眩しいほど明るく照っている。
「おはようございます。清姫さん」
立ち上がり襖を開いて縁側から空をのぞく。翔悟の体は思いの外、調子が良い。
青い空も射す光も、空気でさえ現世と変わらない。
「昨晩、あんたの悲恋を見させてもらったよ。美味しく美しい、愛情の記憶を」
清姫は口角を上げて目をすがめる。その妖しい仕草に、翔悟は惹きつけられた。
「じゃあ、昨日の夢は……」
「あたしが見させてもらった時に影響を受けて見た記憶じゃないかね」
キセルを横のサイドテーブルに乗せた清姫は足を組んで頬杖を突いた。着物のおくみからのぞく妖艶な足に、唾を飲み込んだ。すぐに視線を清姫の顔に向ける。
「あんた、どうして妖にならないんだい?」
心底理解できないといった様子で翔悟を見つめる。先ほどまでの大人びた雰囲気が鳴りを潜め、幼い少女のような純粋な視線を向ける。
けれど翔悟は、自分でも一瞬だけなぜだろうと考えた。清姫の質問の意図がわからなかった。一つ、理由があるとしたら。
「リスクが高すぎます」
清姫は納得したように頷く。
「なるほど。良識と理性と言うわけか」
立ち上がった清姫が翔悟の前に立ち、右手の人差し指で顎を持ち上げる。
「あんた、翠雨が好きなのだろう? それでも翠雨は振り向いてくれない。誰かに取られるくらいなら、いっそ殺してしまおうか。なんて思わないか?」
翔悟は清姫の怪しい美貌の中に潜む妖怪本来の純粋さと危うさを感じる。その純度の高さに、本能が警鐘を鳴らす。
「僕は、そんなことは」
「したいんじゃないかい? 思ったことがないことはないだろう。ちゃんとあたしには聞こえていたよ。あんたのドロドロとした独占欲。生きるための道徳観、理性で生き辛いなんて本末転倒だ」
丸窓を背に寄ってくる清姫から、ジリジリと後ずさる。清姫から距離は取れているはずなのに、恐怖感は寄ってくるばかりだ。
「見えないフリ、気が付かないフリ。そんなことをしていたら、心が壊れてしまう。どんどん心に黒いものが溜まり、膿んで、痛くてたまらない。苦しくてたまらない。大きく膨らんでいって、もう自分ではどうしようもなくなる」
頭に翠雨の姿が過ぎる。
清姫の言葉は、無視できない重石となって沈んでいく。
「自分を見て欲しい。頼って欲しい。どうして自分は同級生じゃないのだろう。どうしてもっと早く出会えなかったのだろう」
寄ってくる清姫の言葉は、逃げたいのに四方八方を塞ぎ、頭に響く。清姫は部屋の襖を翔悟越しに閉めた。
「妖になればそんな悩みは全てなくなるよ。こんな機会、普通の人間には訪れない。あたしの手を取れば幸せになれると約束しよう」
「僕はそんなことは望んでいないです」
手を差し伸べる清姫の手を払った。清姫はポカンと払われた自身の手を見つめる。
「ふふふ。あはははは。あんた、人間臭いくらい人間だねえ。でも」
耳元で吐息のように囁いた。
「あんたはもう、自覚しただろう? あたしの記憶も見せてやろう。あんたはきっとこちら側に来る。自分の意思で」
「清姫さん!」
聞きなれた声が、焦りを滲ませて大きな足音を伴って入って来た。もたれていた襖が開き、傾いた翔悟の体は初花ごと縁側に倒れた。
ゴン、と重い音が翔悟の意識に遠く聞こえた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます