第15話 飯沼翔悟 ー君と出会った夏ー
それは忘れることのない幼き日の記憶。
十年以上前の、初恋の種が芽を出す夏の日。
翔悟は当時、八歳だった。小学校二年生のその年、祖父母に預けられた。
両親が海外に赴任することになったのだ。
母は父のことを深く愛しており、そんな父との間に生まれた翔悟も、溺愛していた母は、海外にも翔悟を連れて行こうと強く主張していた。一方、父は反対した。最終的には母が父の意見に賛同し、祖父母の神社に預けられることに落ち着いた。
八歳でも海外に移住することは、一般的にはあまり問題がない。では、なぜ翔悟には辛いという判断に至ったか。翔悟は一般的な八歳児よりも体が弱かったのだ。
幼い時から喘息を患っており、入院したこともあった。
両親からの説明を受け、翔悟は物分かりの良い子供を装った。寂しい気持ちも、恋しい気持ちも抑え、元気良く返事をした。
両親とて、その返事が本物ではないことはわかっていた。けれど翔悟の体を思えば、日本を発つその日まで愛情を注ぐことしかできない。
そうして、八歳の夏休みの終わりには祖父母の神社へやって来た。
夏休みはまだ一週間は残っている。少ない荷物は片付け終え、友達のいない知らない土地はこの先の不安と寂しさを強く意識させた。
境内の掃除を頼んだ祖母は落ち込む翔悟に、外へ出て同年代との繋がりを持たせたかったのだと、今の翔悟にはわかる。
神社の横には小さな公園がある。そこに子供はあまり来ないが、毎日やって来る少女がいた。いつも一人で夕方まで遊んでいる。
早朝に神社で参拝をし、ブランコでぼんやり揺れる。一人で公園や境内を歩き回って、夕方にもう一度お参りをして、帰って行く。
黒い髪は不恰好なツインテールで、服も毎日色違いのワンピース姿だった。それもお下がりだろうとわかるほど古く見窄らしい。
夏休みの最終日に翔悟は勇気を出した。
「いつもここで遊んでいるよね。僕は翔悟。ここの神社の神主の孫なんだけど、最近引っ越して来たんだ。友達がいないから寂しいんだ。一緒に遊ぼうよ!」
袴姿は珍しいのか、少女は少し怯えた様子だった。いつも少女から見えないところで眺めていたことが災いしたのだと、翔悟はすぐに感じ取った。
良く気が付く翔悟も幼いことに変わりはなく、こういう時の対処法など知らなかった。
緊張で竹箒を握りしめて、左手を差し出すことしか思い付かなかった。
「ね、遊ぼう?」
一瞬、少女の瞳が輝いた。今日までの数日間、眺めていた時には見たことのなかった表情だ。正面で見た少女の瞳は、自分が今まで見てきたどの友達よりも家族よりも、綺麗に透き通って見えた。黒目がちの瞳は昼間の太陽の光を受けて少し青くも見える。
見惚れた時、少女は俯いた。
「私と遊ぶとみんな虐められる。だから遊べない」
翔悟の誘いを断ったというのに、その場を動かない少女は、そっと翔悟を見上げた。
その瞳は、迷うようにキョロキョロと忙しなく動く。
翔悟は察した。少女は先ほどのように、虐められないよう友人を遠ざけていたのだ。けれど少女も翔悟と同じような年齢の子供だ。寂しいし辛い。
翔悟だって、子供だからこそ寂しくて辛いこともある。
「翔悟も一緒に行く?」
そう言って欲しかった。気付いて欲しかった。
一人になった翔悟を祖父母は暖かく迎えてくれた。祖父母は翔悟の救いだった。
この少女には言って欲しい言葉をくれる人はいるのだろうか。暖かく迎えてくれる人はいるのだろうか。
今も、少女はその場を動かないでこちらを見ている。
「僕、遊んでくれる人がいないんだよなあ。虐められても仕返しできるし。それよりも一人でいることが辛いんだ。僕のために、一緒に遊んでくれる?」
小さな竹箒に手を組むように乗せて、顎を置いた。微笑んで見せると、少女は少し悩むように表情を歪める。
「でも」
「君、名前は?」
少女は躊躇いながら小さく言う。
「天野翠雨。日立小学校一年二組」
「僕の神社の神様も、雨ってつくよ。アメノウズメ様って言うんだ。虐められたらここに来なよ。きっとアメノウズメ様が守ってくれるよ」
頭に手を乗せると翠雨の瞳はキラキラと輝いた。夜空の星々を詰め込んだように綺麗に輝いた。
「天野に会わないな。つまんねー」
「あいつ変な名前だしキモいよ」
翠雨の表情がサァーと青ざめていく。両手を胸の前で組み、カタカタと震える。
弾かれた様に開いた口を閉じて、駆け出して行ってしまった。
それ以降、翠雨は神社には来なくなった。
小学校に編入した翔悟は、思った以上に翠雨への虐めの酷さを痛感した。いつも俯き震えている翠雨は、遠目に見ても痛々しかった。
翔悟は学年が一つ上である。そのため、手を貸してあげたくてもできない。噂を聞けば、両親は亡くなり、引取先の家族が虐めを始めたことが原因だと知った。
翔悟にできることは少ない。翠雨が泣いている時に、誰も来ないように人を遠ざけてあげることくらいしか思いつかなかった。下手に関わって虐めを悪化させるかもしれないとも考えた。
一足先に中学生になった翔悟は、一人で過ごす翠雨の最後の一年が心配でたまらなかった。もう生徒ではない翔悟が校内に入ることなどできない。
次の年に、翠雨は翔悟と同じ中学校に入学した。
その瞳には、もう一切の光が無かった。小学校の時の、感情を全て捨て去ったかのような寂しい瞳だった。
いつの間にか翠雨は翔悟の住む神社に立ち寄って朝に参拝して行く習慣が再開された。
翠雨が同じ学校に入学したタイミングで、翔悟の両親が日本に帰って来た。
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