第13話 嫌悪
「こんなに賑やかな食事はいつぶりかしら。ねえ、君彦さん」
ニコニコと春キャベツの白味噌汁を啜って微笑む咲子。君彦は黙々と食事を摂る。香月は畑での収穫作業で完全に疲れ切っていた。基本、遊び回るだけの体力を持っている香月だが、それも室内の遊びであり、運動は必要最低限だ。一言でいうならば、インドア派。
ここは君彦と咲子の家の一室だ。座敷卓に味噌汁、白米、焼き魚と沢庵。昨晩の残りの煮物が並んでいた。香月の正面に咲子が正座。咲子の右側に君彦があぐらをかく。香月の左側には翠雨が綺麗に正座をして、君彦同様、黙々と食事を摂っている。しかし君彦のかき込むように食べる様子とは対照的で、少量をちびちびと口に運んでいる。
「咲子、今日も煮物が美味いぞ! 味が染み込んでいて最高だ!」
君彦はようやく食事が落ち着き、最初の一言が満面の笑みでの褒め言葉だった。香月は、君彦は無自覚な人たらしなのだと思った。
「咲子さん、沢庵をもらっても良いでしょうか」
煮物を残す翠雨に咲子は文句も言わず「はいはい、今持って来るわね」と立ち上がる。
「翠雨、野菜も食べないといけないだろう」
君彦も、満足そうに腹をさするだけで、翠雨に注意をしない。香月は仕方なく自分が、と注意をした。翠雨は不満げだ。
「昨晩もやしのおひたしを食べたので問題はありません。多少栄養が偏っても数日で死ぬわけではないので。小言は嫌いです」
香月は言いしれぬ苛立ちを感じたが、グッと堪え言葉を続ける。
「栄養だけの問題じゃないよ。咲子さんは、俺達に美味しく食べてくれたらと思って作ってくれたんだ。ちゃんと食べないと咲子さんが悲しいだろう」
翠雨は沢庵と白米を口に運び、味噌汁を啜って立ち上がる。
「私が煮物を食べないのは咲子さんの料理が不味いわけではありません。野菜を食べる必要性を感じないからです。ごちそうさまでした」
それだけ言って縁側へ出て行った。どうにも、人の気持ちを考えない翠雨の行動が目についてしまう。簡単なことがわからないこと、少し行動を変えたら人の感じることは大きく変わること。それを無視する翠雨が、香月には理解できなかった。自分が少し気を使えば人は気持ち良く過ごせる。その少しの気遣いができない翠雨とは相容れない。改めて自分と翠雨は正反対なのだと、思わざるを得なかった。
「翠雨が失礼なことをして、すみません。後で俺からも言っておきます」
気を紛らわすように笑顔で言う。君彦も咲子も、さほど気にしていないことが唯一の救いだ。
「香月君、気にしないで。無理に食べても美味しくないわ」
咲子は少し寂しそうに微笑んだことに、香月は気が付いてしまう。
「いえ。翠雨は少し、周りが見えないところがあって。目的ばかりでそれに巻き込まれる周りをイマイチ考えられないみたいなんです」
君彦は畳に大の字で寝転がっていたが、ムクリと上半身を起こす。
「兄ちゃんも嬢ちゃんのことちゃんとわかっていると思い込むのはいけねえぞ。本当にわかっていないだけなのか。それともわかった上でわからないフリをする理由があるのか。案外、似た者同士かもしれねえ」
香月はそっと席を立つ。
「ごちそうさまでした。咲子さん、どれも美味しかったです。ありがとうございました」
「兄ちゃん、あの件だが十一時に新島さんの屋敷に行く。嬢ちゃんにも伝えておいてくれ。十時半にはここを出るから、準備しておけよ」
「わかりました。翠雨にもしっかり伝えておきます」
香月はグルグルと巡るが一向に要領を得ない思考を落ち着けようと短く返事をして部屋を目指す。
自分も翠雨のように人の気持ちがわかっていないと思われているのだろうか。自分はそう思われるような失態を犯したのだろうか。
しっかりと、人を大切にして生きてきたつもりだ。傷付けないように、不快にさせないように。特に女性は、宝物を扱うように接してきたつもりだ。
いやそうではない。自分が翠雨と同等に扱われたことに腹が立っている。非常に不愉快で、気に入らない。
特別に翠雨が嫌いだと思ったことはない。特別見下していたつもりもない。
『役割すら満足に果たせないお前は必要ない』
昨晩見た夢が思い起こされた。まるで自分への戒めのようにも感じられる。
あのような非情な行いを、自分はしていないはずだ。翠雨ならばもしや、と思ってしまう。彼女にも良いところや優しいところもあるだろう。
あのように非人道的な行いをする者の方が少ない。
時刻は八時丁度。まだ時間は十分にある。今は、翠雨に会いたくなかった。
スマホで時間だけを簡潔に伝え、既読の確認もせずに広い庭へ出た。
今は、なにも考えたくなかった。
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