第9話 清姫 ー隠世ー
「ここのお寺に泊めてもらいましょか」
そこは大きな鐘が特徴的な寺だった。椿が植えられ、立派なお堂が目立つ。整然とした厳かな雰囲気の寺だ。人の気配が無いけれど、息づかいが感じられる。見えない何かの息づかいは不気味だ。寺の現実離れした美しさも、不安感を煽った。
椿の花が咲いていることに翔悟はふと違和感を覚えた。
「隠世にも四季はあるんですよね」
「あるよ〜。ちゃんと寒暖差もあるしね。お花が季節関係なく咲くことが不思議なんやね〜」
満開の椿とまだ蕾の椿。もうすでに落ちてしまった椿もある。
「お花はな、ちゃんと植物のものもあるけど、半分くらいはそういう妖なんよ。好きな時に咲いて、散っていく。自分の一番美しい姿を、一番好きなところで一番好きな人に見てもらおういう、健気な妖なんや」
「妖怪は怖いだけじゃないんですね」
ちょうど目の前の蕾が、ふわりと開く。美しい朱色の花を咲かせた。魅入られたように視線をとられ、目が離せない。翔悟は無意識に花弁に手を伸ばした。すると、嘲笑うかのように一瞬で茶色に染まり、ポトリと落ちてしまった。
「妖は、妖しく美しい生き物。美しいだけの薔薇がないように、恐ろしくない妖もおらへんよ」
初花はコロコロと笑う。
「おや、こんな寺にお客さんかい」
寺に馴染まない真っ青な着物を身に纏って優雅に歩いてくる美しい女性が現れる。キセルをふかして滑らかに近づいて来た。翔悟は尼さんかとも思ったが、どうにもそういった慎ましやかな雰囲気はないように感じる。尼さんがキセルをふかすのもおかしい。
よく見れば、顔に少しだけ鱗のようなものが見えた。やはり妖怪の類だ。
すぐそばまでやってきた青い着物の妖怪は、翔悟に一気に顔を近づけた。
「お前さん、半成りかい? まだ人間の匂いがするねえ」
キセルの煙を顔にかけられた翔悟は咳き込んだ。初花が間に入る。
「今晩だけ、お寺に泊めていただけませんか」
赤くきついアイラインの化粧が、青い着物の妖怪の気の強さを感じさせる。
「なんだ古都へ行くのかい? まあ、古都を目指す妖がここに泊まることも珍しくはないからね。特別にお前さんらだけを断る理由もない。良いよ、泊まっていきな。その代わり半成り。お前さんのその悲恋、見せてもらうよ」
怪しく笑んだ妖怪は、蛇のように翔悟の心に絡みついた。
「なに、とって喰いやしないよ。ちょっとだけお前さんの心をのぞかせてもらうだけさ」
初花が下から翔悟を見上げる。心配していることがよく伝わってきた。
「どうするんだい?」
翔悟は初花を見て頷いてから、妖怪に答える。
「わかりました。僕達を泊めてくださるのなら、僕の心をのぞいてもらっても構いません」
妖怪は踵を返した。
「ついてきな。あたしは清姫。お前さん達は?」
「初花と申します」
「ショウと呼んでください」
寺の中は物が少なく、寂しさすら感じるほどだった。物が少ないのみならず、ホコリやチリ一つ落ちていない様子から、清姫の神経質さが窺える。言い換えれば、生活感すらないのだ。
初花の住まいも、物は少なかったが生活必需品はしっかり揃っていた。食べ物の香りや樟脳の香りが漂ってもいた。
建物の中も物音が無く、ただ視線がそこかしこから感じられ、外よりも不気味さが募る。
まるで日本のホラー映画の寺に入り込んだような気分だ。
翔悟と初花、清姫の足音しか聞こえない。遠くから聞こえる古都の祭囃子さえ、不気味な雰囲気を醸し出す。
ギシ、ギシ。
一定のリズムで床が軋む音がする。
夕日が沈みだす様子を、雨戸越しに眺める。空が赤くなり、雲が紫色に見える様は現世も隠世も変わらない。
「ショウ、置いて行くよ」
清姫の声が曲がり角の奥から聞こえる。完全に異世界に来てしまったことに変わりはないのだが、ところどころに残る現世の片鱗に安心感を覚えた。この時から、隠世に魅入られ始めていたのかもしれない。
「すみません。今行きます」
清姫達が曲がった角から大きな鉢をのぞかせた初花がこちらをのぞいている。翔悟は走らないように気を付けながら、二人を追った。
「初花はここの部屋。ショウ、あんたはその奥の部屋を使いな。困ったら本堂にくりゃ大体あたしはいるからね。ショウが眠ったら心をのぞかせてもらうよ。とはいえ、普通に眠ってりゃ良いからね。ゆっくりしていきな」
スタスタと清姫は本堂の方へ向かって戻って行った。
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