第7話 西田君彦

降り立った場所は、寂れたバス停。周りは畑と田んぼばかり。その奥に住宅をいくつか見つけた。

「翠雨、ここまで来たは良いけど、どこか目的地があるの?」

翠雨はスマホばかり見ていて、返事をしない。ため息を吐いて、香月は深呼吸をした。空気は澄んでいて心地が良い。都会にしか住んだことのない香月には、香りも景色も新鮮だった。車の排気ガスやエンジン音、人の喧騒がない静かで穏やかな雰囲気を気に入った。虫の鳴き声やどこからか聞こえる鳥の鳴き声。生き物を身近に感じられる田舎も悪くないと思った。

初めての経験に浸っていると、この自然に満ちた田舎の町とは相入れない聞き慣れた機械音が響く。

プルルル。プルルル。

気分が台無しである。

翠雨がスマホで誰かと連絡を取り始めた。

「もしもし、君彦さん。先日の件なのですが、今、ハルヒ町一丁目のバス停まで来ました。お迎えをお願いしても良いですか」

その言葉の後、二言ほど会話をして連絡を終えた。

「翠雨、君彦さんって誰?」

「これから迎えに来てくださる方です」

バス停の、体を預けるには心許ない木製のベンチに翠雨は躊躇いなく座る。大きなバッグから手帳を取り出し、メモを始めた。

香月は恐る恐る翠雨の横に座った。二人の距離は、微妙に遠い。けれど香月は翠雨との距離に、妙な安心感を覚えた。

爽やかな香りと共に桜の花弁が飛んでくる。花弁の薄桃色に、どこか既視感を覚えたが何一つ思い当たる記憶がない。ただただ、言葉には表せない苦しさが香月の心を支配する。手のひらの花弁が風に攫われ飛んでいくと同時に、その感情も流れて行った。

「天野の嬢ちゃん!」

飛んでいく花弁を目で追っていると、比較的新しい軽自動車がバス停の前に停まる。運転席の窓から気の良さそうな五十代後半の、雰囲気のあるおじさんが手を振った。

「天野の嬢ちゃん久しぶりだなあ。智枝さんに良く似てんな。一目でわかったよ」

「お久しぶりです。君彦さん」

結局、バス停で座っている時に説明がなかったことで、完全に香月は会話に入れないでいた。

君彦は横で会釈をする香月に目を見開いた。何をどう勘違いしたかは明白だ。けれど自分に話題が向けば説明もあるだろう。香月はにこやかに挨拶をすることにした。

「初めまして。翠雨と同じ大学の葉沼香月です。今日は迎えに来ていただいて、ありがとうございます」

努めて人好きのする笑顔を浮かべ、右手を差し出した。

「おいおい、天野の嬢ちゃんはこんな色男を捕まえたのか」

「君彦さん、勘違いはやめてください。こんな女たらし、私からお断りです」

「お〜? 兄ちゃんはモテるのか。良いことだ。今のうちに遊んどけ。俺みたいに売れ残るくらいなら遊んで良い女を捕まえた方がよっぽど良い」

香月が差し出した右手は握られることはなく、左側から腕を回されて右肩を叩かれた。

翠雨はすでに後部座席のドアを開いている。

「君彦さん、早く行きましょう」

言って、君彦より先に後部座席に座った。

「おお悪い悪い。とりあえず車に乗ってくれ」

後部座席に翠雨と並んで座り、今しかタイミングはない、と君彦に切り出した。

「君彦さん」

「兄ちゃん緊張してんのか。若いなあ」

ハハハッと高笑いをして「で、どーしたよ」とバックミラー越しに香月を見る。

「君彦さんと翠雨の関係を聞いても良いですか」

「嬢ちゃんから何も聞いてないのか?」

エンジンをかけながら君彦は翠雨に問いかける。翠雨は興味もなさそうに窓の外を見ていた。視線を香月と君彦へ向けて、ツンとした声で言った。

「説明を求められなかったので」

君彦はケタケタと笑う。常時ご機嫌な性格なのか、機嫌の悪い様子が想像できない。明るく竹を割ったような性格は、好感が持てる。

「嬢ちゃんは敦にも智枝さんにも似てねえなあ。二人は聞かなくてもベラベラ喋ってくるような人だったぞ」

「翠雨と君彦さんはどういった関係ですか? 翠雨の両親とも面識があったんですか?」

「そうだな。俺と嬢ちゃんの両親は、研究室の先輩と後輩だ。まあ、ほぼ同期みたいな関係だったがな」

君彦は道中、翠雨との関係を懐かしそうに語り出した。

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