第5話 阿弥陀如来 ー隠世ー

「アミダニョライ様?」

女性は箪笥からあれやこれやと風呂敷に包み出す。

「せや、聞いたことない? どんな罪を犯した者も救ってくださる仏様や」

翔悟は聞き返す。

「仏様は実在するんですか? もし救ってもらえなかったらどうなるんですか?」

女性は振り返って、おそらく満面の笑みで言う。

「大丈夫。仏様が救ってくださらなければ、きっと何か試練や帰る方法が別にあるいうこと。仙桃を食べるいう方法もあるにはあるけど、どのみち阿弥陀如来様に会わな始まらへん」

「セントウ?」

またも聞き慣れない言葉に首を傾げる。

「せや。桃は浄化の力があると言われててな。桃太郎のお話はもう現世では聞いとらへん?」

「桃太郎はみんな知っていますよ。桃から生まれた男の子が鬼退治に行く話ですよね」

「そう、その桃や。普通の桃では人間に戻ることはできへんけど、仙桃いう特別な桃なら、可能性はある思うてな。桃太郎はその仙桃があると言われてる桃源郷から流れてきたという話もあるんやで」

「桃源郷って、楽園と言われている世界ですよね? どうやって行くんですか」

「阿弥陀如来様は桃源郷の主人としても知られとる。阿弥陀如来様に道を開いてもろて、仙桃を食べて桃源郷の滝を潜れば、現世へ帰れる」

女性は自信満々に胸を張る。そのまま鉢の重心が傾き、後ろへ転がった。翔悟は慌てて駆け寄り支えた。

「どうしてそこまで僕に力を貸してくれるんですか」

女性は鉢を被り直して体勢を立て直す。

「私も元は人間やったんや。現世へ戻る方法を探したは良いんやけど、なんのために人間に戻りたかったか忘れてしもうて、ここに住んどった。でも、お兄さんが来てようやく少しだけ思い出せた。大事な人に、もう一度会いたい。それだけやったんやなあ。やから、連れて行ってくれへんかな。一人旅よりは役にたつ自信あるよ」

女性の俯いた視線の先には、マリーゴールドが刺繍されたのハンカチが握られていた。女性はハンカチを強く握りしめた。

「とはいえ、私がここへ落ちてどれだけの時間が過ぎたかわからへん。あの人はもう生まれ変わって、私を忘れとるかも知れへん。手がかりもこの重ね菊の手拭いだけ。でもな、何もせずにはいられへんのや。あの人の顔も、声も名前も思い出せへんけど、あの人への気持ちはずっとそのまま」

鉢からポロポロと涙がこぼれ落ちる。そのハンカチで涙を拭かない理由を、翔悟はなんとなく理解できた。ハンカチは、彼女の中の忘れてしまった綺麗な思い出であり、汚したくない大切な物なのだ。

「僕のことは、ショウと呼んでください。あなたの名前はなんですか?」

先ほど女性がしてくれたように、優しく両手を掬い上げた。鉢から見えているのかはわからないが、翔悟は笑いかける。

女性はハッと顔をあげて、涙声ではあるが柔らかい声で言う。

「はつはな、初花と呼んでください」

翔悟と初花の短くも長い、それでいて穏やかな旅が始まった。

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