潮風

さめ犬

第1話

 空は果てしなく広く、私の心とは全く逆の澄み渡った青色だった。雨が降ってくれれば良かったのにと思う自分と、空くらい晴れててくれてよかったと思う自分に呆れてため息が出た。

 引っ越してきて間もない、荷解きもまともにされていない部屋の中で、仕事もない久しぶりの休日にも関わらずなんのやる気にもなれなかった。まあ、しばらく休みだからあとから片付けよう。

 もう傷つきたくもないし、傷つけたくもない。そう何度も思って逃げた結果が自堕落な生活とは、全くいい人生だと皮肉げに1人で笑っている私はきっと変人だ。

 この道もこの場所も、ついこの間初めてきた場所なはずなのに、また色々思い出してため息をつく。必要な時には全く回らない頭なのに嫌なこととなると途端に連想ゲームが得意になるのが憎たらしい。

 また、ため息をつく。誰も知らない町を歩くと何人かとすれ違う。

「あれは誰や?」

「それが誰も知らないんよ。働いてる様子もないからお金には困っていないみたいやけど。」

 くしゅん。


 人と離れたくて田舎に来たのにここでもまた人との繋がりがある。嫌気がさすと同時に寂しさを感じる。何故、どうしてと今更考えても仕方がないことをつらつらと考える。そんな自分が嫌いだ。

 スーパーで買い出しを終えて、夕飯のと風呂を済ませて、ベッドに横になる。まだ寝るには早いがこの時間に寝られることを心地よく感じながら眠りに落ちた。


 夢を見ていた。夢だとわかるのは実際に過去にあったことを目の前にしているからだ。また傷つく。もう見たくない、聞きたくない。そう願っても、夢は私を捕らえて離そうとしなかった。

まただ。また始まった。

「あんた、話本当に聞けないよね。」

「そうだよね、ごめんね。自分なりに頑張ってるんだけど…」

「努力してないよ。」

「え…?いや、全然なのは分かってるけど色々やってこれでもましになったんだよ?」

「足りないよ」

「そう、かな」

「うん、いつも否定から入るじゃん。なんか言われたらそうだよねって聞いていればいいんだよ。」

「そうだね…」

私の親友は、親友だと思っていた人はそう言ってスッキリした顔をしながら去っていった。あなたは、私の何を知っているの?私の何を見て努力をしていないって言ったの?たった一年で…何がわかるというの?そんな言葉を胸に押し込めて、泣きそうになった。その日の夜、彼にこのことを話すと

「それ、俺があいつに言ったんだよね」

「え?」

「だってお前ほんとに話聞かないじゃん。自分が聞きたくないことを特に。」

「…そうだよね、ごめんね」

そっか…私が悪かったよね、ごめんね。努力、してたつもりだったんだけどな。私の人生、あなたはよく知ってるんだね。そう言ってやりたかったけど何も言葉が出なかった。

 なにより私には言わないのに彼女には言えたと言うことがショックで、その事実が私を打ちのめした。

 彼は私から肯定の言葉が出たのを見て取って、安堵したかのようにそれはもう饒舌にあれもこれもそれもと普段からの不満を私に話してくれた。正直あまり覚えていないけれど。

全てにそうだよね、と返していたらそれだけじゃなくていいたいことないの?と言うのはずるいんじゃないかな。反論されて何も言えなくなるって言ったのはあなたなのに。涙を堪えながらなんでもないよと笑った。

 彼はそのあと、のびのびと生活し始めた。

「あいつと遊びに行ってくるね」

「え?なんで?2人だけで?」

「うん、服見に行く」

「あ、そう…いってらっしゃい」

止めていれば違った今があったかもしれないと思うと同時に、それでも結末はきっと変わらなかったと思う自分もいる。

 彼はその日、帰らなかった。私は待っていた。不安で眠ることもできずに玄関に座り込んで待った。

「ごめん、飲みすぎて外泊した」

そんな連絡が来たのは朝7時を回った頃。何も考えられなかった。

 その後、私たちは別れた。呆気なく関係性は清算された。付き合ってから6年の日々全てが線の上で終わって、ぷつんと切れた。その後、彼はやはり私の親友と付き合ったらしい。あとから知った話だが、やはり彼らは毎晩電話をしていたらしい。寝落ち電話も私が知っているだけで4回はしていた。知ってるよ。知っていたけど何も言わなかったよ。信じていたから。

 仕事を辞め、同棲していた部屋は引き払って都心から引っ越した。

 誰も私を知らないところに住みたかった。余所者扱いされるのも、関わらずに済むのが楽だったしむしろ心地よいと思っていた。

 もう朝が来なければいいのに。それでも、朝は来るよね。もうちょっと休憩して、そしたらまた前に進もう。過去のことなんて考えても仕方がないのだから。ゴミが2人、人生から消えただけだ。心にぽっかりと穴が空いているけど。きっと、きっと大丈夫になるよ。そうやって自分に言い聞かせた。


 次の日、眠たい目を擦って都心では絶対にお目にかかれない海辺に向かった。真っ白で薄暗い部屋にいたらおかしくなりそうだったし、せっかくあるのなら行ってみるに越したことはないと思ったからだ。そうして歩いていると、遠目に桟橋の上にポツンと立つ人影を見つけた。少年?少女?とにかく華奢な印象を受けた。次の瞬間、人影はぽちゃんという音と共に水飛沫に変わった。一瞬呆けて飛び込んだと気づいた時には私は何故だか全力で水飛沫に向かって走っていた。その人は海で漂っていた。そしてまるで何をそんなに急いでと言った目で私をみる。

「死ぬ気?」

「海が俺を見放して、飲み込んだらね 」

少年はムスッとしたような、澄ましたような顔で言った。

「そう」

「今日も無理だったな」

「私はあなたと会えたからそれでよかったよ」

「変わってるね、あんた」

「そうかもね」

そこまで話したところで満足したかのように、こちらから視線を外してまたぷかぷかと海の上を大の字になって漂い始めた。


その後、私は毎日その時間に海辺を歩くようになった。少年は私をみるたびに

「もの好きだな」

と言った。それでもいいし、あまり否定もできないなと笑っていると、変な奴と言いたげな目でこっちをみる。

少年との時間は私にとって救いだった。


 いつか彼は言った。死にたいけど死ぬのが怖いのだと。自分で死ぬ勇気もなく、かといって何かを成そうとするわけでもない自分が嫌いだと。だから最期は、母なる海が自分を見捨てた時に死ぬために毎日こんなことを繰り返してるのだと。

 「ロマンチストなんだね」

 若干の揶揄いも含めていうと、少年はスンと拗ねてしまった。可愛らしい。

 少し、昔の自分を見ているようで面白かった。自分と重ねていたのかもしれない、いや重ねていただろう。死にたいと今でも思う。でも、私はもう死ぬ勇気を持つことを諦めたのだ。死を選ぶことをいいこととは言わない。それでも選ぶことしかできなかった環境にいた人もいる。私は首の皮一枚運よく繋がっただけだ。それ以上でもそれ以下でもない。

 彼は今後、どのような選択をするのだろうか。願わくば自ら幕を引くことを選んでほしくないと思う。

 「なんで、泣いているの」

 少年は海から上がって私の隣まで来た。猫みたい。クスッと笑った。

 それを見て安心したのか少年は力を抜いた。優しい子だなと思う。だからこそ生きづらいのを私は知っている。きっと、これから辛い思いをするのだろう。たくさんの糧を得て、大きく成長するだろう。もっと優しく、誰かを守るようになるだろう。

 私は笑いながらさらに涙を流した。少年のギョッとした顔にもっと笑いながら泣いた。

 「また、明日もくるね」

 「何を言っても来るでしょうに」

 「よくご存知で」


 何事にも例外はなく終わりが来る。それはさまざまな形で唐突に私たちに襲いかかってくる。分かってはいたのだ、このままではだめだと。私は他ならぬ私のために、前に進まなくてはならない。

 少年の様子は明らかにおかしかった。いつもならば、また来たのかと目線をよこすのに、今日は1ミリだって目を合わせまいとするかのように桟橋の上からじっと海面を見つめていた。

 「明日」

 「明日?」

 「引っ越すことになったんだ、おばあちゃん家の方」

 「そう」

 「足を悪くして1人じゃ心配だからって、昨日言われて」

 「そっか、じゃあもう最後だね」

 「うん」

 「君は優しい子だから、きっと引っ越した先でも上手くやれるよ」

 「また、会えるかな」

 「私には会えないかもしれないけど、きっといい人がいるよ。君に寄り添ってくれる人との出会いがあるから大丈夫」

 だって私がそうだから。そのまま私は立ち上がって、背を向けて歩き出した。

 

 生憎と次の日はどんよりと曇り、今にも泣き出しそうな空が広がっていた。私はもう大丈夫。そんな根拠のない自信と共に、短い期間の契約を満了した空っぽのアパートを後にした。結局2人とも引越しとは仲良しなことだなと笑いながら。

 私たちが町を出る頃、2人の門出を祝うように雨が降っていた。

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潮風 さめ犬 @saki_lv

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