第9章
その夜、藤木はノートを閉じた後も心の中で繰り返しその問いを思い浮かべていた。もし今が一番自由な瞬間だとしたら、私はどう動くべきだろうか――。その問いは、彼女をどこか未知の世界に引き込んでいくような感覚を与えていた。今までの藤木なら、きっと「計画」や「理論」を優先して、慎重に次の一歩を考えただろう。しかし、吉田の言葉がどこかで彼女の心に響いていた。「直感に従う」という言葉。それが、藤木の中に新たな風を吹き込んでいた。
翌日、藤木はいつものように仕事をこなしていたが、その日は何かが違っていた。頭の中に浮かぶのは、ただ単に仕事の進行だけではなく、どこかで感じていた「選択」をしなければならないという衝動だった。仕事を終えた後、藤木は考えた。今日は、自分が普段通らない道を歩いてみよう。予測できること、計画通りに動くことだけが安全だと思い込んでいた自分を少しだけ裏切ってみよう、と思った。
それから数時間後、藤木はあるカフェに向かっていた。そこは彼女が今まで訪れたことのない場所だった。都会の喧騒から少し外れたところにある、静かな一軒家のようなカフェ。その店構えに惹かれ、藤木はふらりと足を踏み入れた。
店内は柔らかな光に包まれ、どこか懐かしい雰囲気を醸し出していた。藤木は店の隅に座り、メニューを手に取ったが、何かを決めるのが億劫で、結局いつも通りのカフェラテを注文した。しばらく待ちながら、店内の空気に身を委ねた。店の人々の動きがどこかゆったりとしていて、藤木はその一瞬一瞬を観察していた。自分がここにいることが、何かの偶然ではなく、どこか必然的に感じられた。
注文が届き、藤木はカップを手に取った瞬間、隣の席から聞こえてきた会話に思わず耳を澄ませた。
「――でも、あの時、何も言わずに去ってしまったこと、後悔してるんだ。」
藤木は驚いて顔を上げた。その声は、少し前に話したばかりの吉田だった。相手は、藤木が見たことのない男性のようだった。吉田は少し前かがみになり、何かを話しながら、その目に深い悔恨の色を浮かべていた。
「後悔しているんですか?」
その男性が言うと、吉田は小さく頷いた。藤木はその会話の一部だけを拾いながらも、自分の心の中で何かが動き出したのを感じていた。吉田は、誰かに対して心を開くことにまだためらいを感じているのだろうか。それとも、何か自分の中で足りないものを探しているのだろうか。
ふと、藤木は自分の中に感じていた「選択」の重要性を再認識した。彼女自身も何かを選び取らなければならない。自分を変え、変化を受け入れる勇気を持たなければならない。その瞬間、藤木は決心を固めた。彼女は吉田が話しているその間、しばらく静かに耳を傾けていたが、やがて席を立ち、ゆっくりとカフェを後にした。
外に出ると、少し肌寒い風が吹いていた。藤木は深呼吸をして、静かな夜の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。あの日、吉田と話した「自由意志」や「直感」が、今ここで生きているように感じられた。何かを選び取るという行為が、自分にとっての新しい「自由」だという確信が、彼女の心にしっかりと刻まれていた。
その夜、藤木はノートを開き、また一つの言葉を書き込んだ。
「選ぶことで、私は自由になれる。」
その言葉を見つめながら、藤木は微笑んだ。これからの選択が、自分の未来を切り開くことになるのだと、確信を持って思えた。
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