第7章

 藤木はその後、吉田との電話をきっかけに、少しずつ心を開くことができるようになった。最初のうちは言葉がぎこちなく、どうしても他人に自分の感情を素直に表現することができなかった。しかし、日々の中で少しずつ、言葉が自然に出てくる瞬間が増えていった。


 ある日、仕事の後、藤木は久しぶりにカフェで過ごすことに決めた。小山が提案したように、時間が許す限り、自分を見つめ直すための場所として、このカフェはうってつけだった。そこで過ごすひとときが、藤木にとっては一つの「観察の時間」になっていた。


 カフェの窓際に座り、外の景色を眺めながら、藤木はぼんやりと考えていた。自分が求めていたものは、果たして何だったのか。それは物理的な何かではなく、むしろ心の中にある、目には見えないものだった。藤木は目の前のノートを開き、ペンを走らせる。文章にすることで、ようやく自分の考えが整理されるような気がした。


 「自分を知るためには、他者とどう関わるかが大切だ。」

 そう思った瞬間、カフェのドアが開く音がして、藤木はふと顔を上げた。そこに入ってきたのは、予想もしなかった人物だった。小山だった。


 「やあ、藤木さん。」

 小山は少し驚いた様子で手を振りながら、藤木の方に歩み寄ってきた。藤木は一瞬、どう反応すべきか迷ったが、すぐに彼女の内心に浮かんだ言葉を口にした。


 「こんにちは、思いがけずですね。」

 「本当に。実は、ちょっとこの近くで用事があって。君もよくここに来るのかな?」

 小山は藤木の向かいの席に座り、注文をする前に、少しだけその場の雰囲気を楽しむように周囲を見渡した。藤木は、相手が気を使ってくれるのを感じながらも、やはりどこかで心を警戒していた。


 「ここは静かでいい場所ですね。」

 「そうですね。周りの人もそれぞれ、何か考えながら過ごしているような感じがします。」

 藤木が言うと、小山は微笑んだ。彼の目が、藤木を真剣に見つめていた。

 「藤木さんは、普段何を考えているんですか?」

 その問いに、藤木は少しだけ驚いたが、同時に心が開かれる感覚を覚えた。小山の問いには、ただ単に好奇心があるわけではないような、深い意味が込められているように感じた。


 「うーん…考えていること、ですか。」

 藤木は一度言葉を選ぶように間を置いた。

 「たぶん、物事がどう成り立っているのか、どうして私たちはこうしているのか、そんなことをよく考えます。自分の選択が本当に自分のものなのか、周囲の影響を受けているだけなのか、そんな風に思うこともあります。」

 その言葉が、少しずつ彼女自身の中にあった重荷を軽くした。小山は静かに頷き、やがてまた質問を投げかけてきた。


 「それって、もしかしたら“自由意志”について考えているんじゃないかな?」

 藤木はその言葉にハッとした。

 「自由意志…ですか。」

 「うん。たとえば、君が今こうしてここに座っていること。何かしらの選択をした結果だけど、その選択が果たして本当に君の自由な意志に基づいたものなのか。それとも、外部の何かに導かれた結果だったのか。」

 小山の言葉は、藤木が以前抱えていた問いとぴったり重なった。


 「でも、そう考えること自体も、結局は自分の選択なんですよね。」

 藤木がつぶやくと、小山はゆっくりと答えた。

 「そう、だから面白いんだと思う。でも、自由意志っていうものが実際に存在するのかどうかは、まだ分からないよね。どんなに考えても、答えは見つからないことが多いし。」

 藤木は静かに頷いた。彼女は自分の心が少しずつ軽くなるのを感じていた。小山の言葉は、藤木にとっての「問い」に対する新しい視点を与えてくれた。


 その後、二人はしばらく沈黙を保ちながら、カフェの静かな空気に包まれていた。藤木はその時間の中で、初めて「問い」がどこかで自分を縛りつけているのではなく、むしろ自分を自由にしているのかもしれないと感じ始めていた。


 ――答えを急ぐ必要はない。ただ、問い続けることが大事なのかもしれない。


 その夜、藤木は自分の部屋に戻り、カフェでの会話を思い返しながら、ノートに新たな言葉を書き綴った。答えが見つからなくても、それでも続けて問い続けること。それが、自分にとっての「自由」なのかもしれない。

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