第6章

 その晩、藤木は帰宅後、いつものように部屋の片隅に腰を下ろした。夕食の準備をしながら、今日の出来事が頭の中をぐるぐると回る。吉田の言葉、そして小山との会話。それらは、少しずつ藤木の心に波紋を広げていった。


 自分の心の中にある「問い」が、まるでそれに気づいてほしいと言わんばかりに強く主張してくる。答えが見つからないことを恐れ、無意識にその問いを押し込めていた。しかし、もう無視することはできない。藤木は目の前の調理に集中しようとしたが、どうしてもその問いが頭を離れなかった。


 ――私は何を求めているのか。

 それは、今ここで答えを見つけようとしても見つかるはずのない問いだ。答えがすぐに得られるものなら、こんなにも長い間心の中でひっかかっているはずがない。藤木はそのことに気づき、少しだけ安堵の気持ちを抱いた。それでも、何かを求め続けている自分を感じることに、どうしても心が整理できなかった。


 食事を終え、藤木はソファに身を沈めた。テレビの音が部屋を埋めるが、それもただの背景音に過ぎなかった。彼女は再び思考に戻る。今日、吉田に言われた「無理しないで話してほしい」という言葉。そこにどんな意図があったのか、それを考えながら、藤木は言葉の裏に隠された意味を探ろうとした。


 吉田は、藤木がどこかで孤独を感じていることに気づいていたのだろうか。それとも、ただ社交的な性格から、誰にでも気を使うタイプなのだろうか。その答えもまた、わからない。


 そして、藤木はその時ふと思った。自分は「誰かに話すこと」が、どれほど大切なことなのかを忘れていたのではないか、と。誰かに本音を話すことが、どれほど心の整理になるのかを、彼女は長い間避けていたのかもしれない。


 その瞬間、藤木は立ち上がり、電話を取った。無意識にその手が吉田の番号を押していた。普段なら、こんなことはしない。誰かと直接話すことに対して、どこか遠慮してしまう自分がいた。しかし、今はその壁を少しだけ越えてみたい気がした。


 数回の呼び出し音の後、吉田が電話に出た。


 「もしもし、藤木さん?」

 その声は、いつもの明るい声だった。藤木は少し間を置いてから、言葉を絞り出すように言った。


 「実は、少し話したいことがあって…。」

 その一言が、藤木の心に新たな動きがあることを示していた。吉田の声が、その動きに反応するように、優しく返ってきた。


 「もちろん、何でも話してください。」

 その言葉に、藤木は少しだけ安心した。話すことができる相手がいる。それだけで、心の中にあったわだかまりが少しだけ軽くなった気がした。


 電話を切った後、藤木は少し驚く自分に気づく。こんなにも「誰かに話すこと」が自分にとって大きな意味を持つとは、思っていなかった。次に何を話すべきか、まだその答えは見えてこない。しかし、少なくとも、藤木はもうひとつの道を見つけたような気がしていた。


 彼女はもう一度深呼吸をし、部屋の窓を開けた。外の夜風が静かに流れ込んでくる。目を閉じ、深い静けさの中で、藤木はふと気づく。

 ――答えは、きっと急いで見つけるものではない。それでも、進むべき道を少しずつでも歩み続けることが、答えに近づくための唯一の方法なのかもしれない。


 その夜、藤木は自分の心が少しだけ軽くなったことを感じながら、静かに眠りについた。

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