猫と恐竜

麦酒豚

ある賢い猫の独白

 僕は猫だ。

 名前はある。僕を拾ったミサキというニンゲンが、勝手につけた。けれど、僕自身は案外それを気に入っている。

 僕の名前はケースケという。僕らのノドと舌では少し発音しにくいけれど、周りがみんなケースケケースケと僕を呼ぶものだから、僕の名前はそうなのだと決まっている。別に嫌だとか好きだとかそういうものはない。僕はケースケで、呼ばれたら返事をすればミサキもソウもシノも笑う。なら、別にそれでいいのだと思っている。

 僕は猫だ。

 何故自分が猫だと分かったのかと言われれば、それは周りに教えられたからだとしか言いようがない。

 ミサキもソウも別に僕の事を猫だとは一々言ったりしないけれど、同居人のチューコとか、友達のジャックがそう認識しているので、そうなのかと思っただけだ。単純に形の違う生き物なんだなあとしか思っていなかったが、シュゾクというものが違うのだとジャックから教えてもらった。

 僕の家は。僕の家、というか、連れてこられてここが家だよと言われたから家になっているのだが、別に生きているのに不自由は無いし、怖い敵もいないのでここが家だと思っている。ニンゲンは家に帰って来るものらしいので、ここが僕の家だ。そして、それに概ね満足はしている。

 僕は小さい頃、黒い鳥にいじめられているところをミサキに助けられた。

 その時の事は、あちこち黒い鳥につつかれて、記憶の隅っこにしか残っていない。ただ、目の前でお母さんが死んでいたことしか思い出せない。

 気がついた時の事も、なんだか身体があったかくて、ミサキとソウがこっちを覗き込んでいた事ぐらいしか思い出せない。僕はあんまり物覚えが良くないのだ。

 それでも、美味しいものや嫌な事というのはしっかりと覚えている。

 痛い針を突き刺すマツバラとかいう白いニンゲンは怖い。あのニンゲンに睨まれると、僕は身体がうごかなくなってしまう。だから、ミサキが僕をマツバラのところに連れて行こうとする度に、僕は怖くなって動けなくなってしまう。

 黒い鳥は嫌いだ。

 あいつは僕をいじめただけじゃなくて、多分僕のお母さんを殺した。許してはおけない。

 けれど、立ち向かおうと思っても、あいつは通れない透明の板の向こうで呑気にしているだけで、こちらに興味を示した様子もない。良くわからないが、とりあえず敵だという事だけはわかっている。

 ミサキは好きだ。シノも好きだ。ソウはまあ、美味しいものを良くくれるから嫌いじゃない。ちょっと鳴き声が怖いので、できれば黙っていてほしい。

 ミサキもシノも、いつも僕の気持ち良いところを撫でてくれる。お腹が空けばご飯をくれるし、近寄っていくと目の上の毛を下げて足の上に乗せてくれる。

 ソウも近寄れば同じようにしてくれるのだが、鳴き声が少し怖い。こっちを威嚇しているように聞こえて、聞く度にちょっと身体が震えてしまう。

 同居人のチューコはといえば、こいつは僕よりも後から来たくせに、やたらと馴れ馴れしくてうるさい。

 イヌというシュゾクのメスのくせにいちいち僕にすり寄ってくるし、べろべろと舐め回してくるのも鬱陶しい。これが可愛いツリ目の子ならば嬉しいのだが、あいつはまんまるな目のイヌだ。正直、面倒くさい。

 まあ、悪い奴ではない。ジャックに会ってチューコはイヌというシュゾクだというのが分かったし、あいつが何を考えているのかも教えてくれた。ジャックは賢いのだ。

 ジャックはすごい。ニンゲンというシュゾクの事を良くわかっているし、僕らの話もちゃんと全部わかって、お互いの話――イシソツウというらしい――を通してくれるのだ。ジャックがいたからこそ、チューコやニンゲンとのイシソツウができたと言って良い。

 ジャックのいる場所には、他のニンゲンもいる。

 小さくて茶色い毛のシエナと、黄色くて大きなジェシカ。どっちも僕には優しくしてくれるけれど、ジャックが特に好きなのは、茶色い毛のシエナの方らしい。

 僕もシエナの事は大好きだ。

 シエナは僕の言っている事を良く聞いてくれるし、ちゃんと僕の分かる言葉で返してくれる。ジャックがシエナの事をゴシュジンサマだと言っていたが、それもなんとなく分かる気がする。

 シエナからは、なんだか絶対に逆らってはいけないというような強い力を感じる。

 怖いというわけではない。けれど、どう頑張っても僕たちでは勝てないような、なんだかお父さんのような、強いものを感じるのだ。僕の言葉ではこれ以上は何とも言えない。

 ジャックは、ジャックにとってのシエナは、僕やチューコにとってのミサキやソウなのだと言っていたが、それは少し違う気がする。

 シエナには絶対に僕は逆らえない気がするけれど、ミサキやソウ、シノは、どちらかと言えば僕の言う事を聞いてくれるカゾクのようなものだ。

 チューコはなるほどと言っていたけれど、あいつは馬鹿なのだ。言われたことをそのまま飲み込んでしまう、バカイヌなのである。

 僕はミサキに言われたからと言ってその通りに動いたりはしない。僕は僕が正しいと思った行動をするだけだ。言いなりのチューコとは違う。

 けれど、ミサキとシノの事は僕も大好きだから、お願いされれば仕方なく言う事を聞くことはある。それで悪い事になったためしも無いから、それで良いのだと思っている。

 僕は考える力を持っている。

 それは今と昔と、それからほんの少し先がどうなるかをヨソクできる力を持っているという事だ。

 どうしてそうなったのか、というのは良く分からない。ジャックに言わせれば、普通の猫はそんなふうに強いジカンテキガイネンを持ったりしないし、自分が何者であるかなんて考えもしないのだという。

 ならばどうして、と聞いてみたものの、ジャックもそこまでは分からないらしく、単純にゴシュジンサマとその周辺にはそういう生き物が多いのだ、というふうに言われてしまった。

 ジャックは賢い。多分、チューコは当然として僕よりも遥かに賢い。

 ニンゲンの言葉を理解して、僕には分からないニンゲンのシャカイというものもある程度分かっているのだという。

 一度、どうしてそんなに賢いのかと聞いてみたのだが、シエナとミサキのお陰だとしか教えてくれなかった。良くわからないが、僕が今の考えを持つようになったのと同じような事なのだろう。

 一方、チューコは非常に脳天気だ。

 外に出れば嬉しそうに駆け回り、帰ってくれば足も拭かずにうろつきまわってソウに叱られている。

 叱られているのに何故か嬉しそうにしている。チューコはソウの事が大好きなのだ。

 ニンゲンに言わせれば、バカイヌというものになるらしい。けれど、それはそれで好まれるらしくてチューコが叩かれただとかご飯をもらえなくなったとかいう事はない。何というか、ずるいとさえ思ってしまう。

 まぁ、そもそもミサキたちは僕らに対して優しい。

 怒られた事など一度も無いし、ものを壊してしまってしまったと思った事もあったが、それでもミサキは笑っていた。多分、僕はミサキたちのゴシュジンサマなのではないかと思う。

 ジャックはそれは違うと必死に否定したが、そもそもゴシュジンサマというものが何なのか良くわからない。相手に優しくするのがそうなのであれば、ミサキもソウもシノも、僕の事をゴシュジンサマだと思っているのではないだろうか。

 けれど、僕もミサキたちにご飯を貰っている。それはとても嬉しいし、まずい虫や食べて気持ちの悪くなる臭いものを食べなくて良いのはすごく嬉しい。だから、ミサキたちも僕のゴシュジンサマなのだ。

 良くわからないけれど、僕はミサキたちのことが好きだと言ったら、ジャックはそれでいいよと言ってくれた。じゃあ、それでいいのだ。何も難しい事を考える必要はない。

 チューコは私も私もとうるさく言っていたけれど、本当に分かっているのかは疑わしい。チューコはバカイヌなのである。


 僕は今の生活に満足している。

 家はそれなりに広くてあちこち動いても怒られないし、ミサキが僕の飛び乗れる場所を沢山用意してくれた。気に入った場所に移動して座るのは、実に居心地が良い。

 チューコやシノの届かないところに居座っていると、二人とも僕の方に手を伸ばしてどうにかして捕まえようとしてくる。それが何とも楽しくて、上からじっと見てしまう。

 シノは、僕がここに来た時には既にいた子供だ。僕も子供だったので、一応シノの方が先輩である。

 先輩なのに僕の身体を撫でては頬ずりしてくるので、少し面倒くさかった。でも、先輩なので言うことを聞かねばならない。

 シノはどんどん大きくなっていった。

 僕より少し大きかったぐらいのはずなのに、いつのまにか見上げるほどに大きくなっていた。でも、僕との関係はあまり変わらなかった。

 近寄れば抱き上げて頬ずりをしてくるし、寒い時にベッドに上がれば昔と同じように暖かい布団に入れてくれる。甘い匂いも変わらないので、いつまでたってもシノはシノだ。

 ただ、ある時を境に、シノは昼間、明るい時に家からいなくなるようになった。

 心配になったのでジャックに聞いてみると、それはガッコウというものに行っているのだと教えてくれた。

 ニンゲンには、子供を集めて物事を教えるガッコウという場所があるのだという。なるほど、それは効率的だと猫ながらに関心したものだ。

 敵となるものを皆で教われば、それだけ生き残るカクリツは上がるだろうし、食べて良いものかどうかを教わればより長生きもできるだろう。

 そうジャックに言うと、そのとおりだと褒めてくれた。やはりジャックはえらくて賢い。それを聞いていたチューコは、良く分かっていないのかその場で跳ね回っていた。やはりこいつはバカイヌだ。

 このバカイヌが家に来たのは、僕がミサキたちと暮らすようになってから少ししてからの事だ。

 ある時、ソウが帰ってきてミサキと寒い廊下でずっと話をしていた。その時は僕もニンゲンの言葉が良く分からなかったので、単にうるさくしているなあと思っていつもの場所で布団に包まっていただけだった。

 けれど、その次の日、ソウが子供のチューコを連れてきた。サッショブンとかいうのから連れ戻したのだと言っていた。良く分からなかった。

 チューコは子どもの頃からそれはもう、騒々しかった。

 ふわふわの茶色い毛並みに、白いぽちっとした眉毛。見た目はまあ、イヌだなあという感じだったのだが、これがもう、騒々しいのなんの。

 あっちこっち走り回ってはハアハアと息を吐いているし、まだ小さい先輩のシノに、事あるごとに触ろうとする。

 いけないと言ってそれを止めるのだが、バカイヌはお構いなしである。なのに、ソウはそれを怒った様子も無く、抱っこしてシノから遠ざけていた。ソウはチューコに甘すぎるのだ。

 まぁ、時間が過ぎるにつれてそれは収まっていった。いくらバカイヌとは言え、ゴシュジンサマの言いつけを守れないほどにバカではないのだ。相変わらずこちらの毛を舐め回すのだけは勘弁してほしいのだが。


 僕は普段、家で好きなように過ごしている。

 美味しいご飯は毎日誰かが準備してくれるし、ノドが渇けば勝手に水の出るところへ行って飲むだけだ。

 家の中はそれなりに広くて遊ぶ場所もあるし、何ならチューコをからかってやれば退屈はしない。

 時々ミサキが僕にお湯をかけようとしてくるが、それも我慢すれば後はなんだかさっぱりして気持ちも良い。最近は暴れるのもやめて、大人しくしていればすぐ終わるのだと理解したところだ。

 ミサキは時々、僕とチューコをジャックのところへと連れて行ってくれる。

 友達のジャックと会えるのはとても嬉しいのだが、それには漏れなくマツバラの怖い顔がついてくる。あれだけはいやだ。

 白い皮のマツバラは、ミサキと同じような顔をしながらも僕に痛い針を突き刺してくる。あれはジャックの言うところのアクマだ。怖くて怖くて、マツバラを前にすると僕は縮こまって動けなくなってしまう。

 けれど、その怖い時間さえ終われば、その後は広い場所での自由な時間だ。

 ふわふわと頼りない地面は気になるが、大きくて賢くて話の分かる友達のジャック。それに、ミサキの友達らしいシエナとジェシカ。

 ジェシカはとても大きいが良い奴で、必要以上にこちらに触ろうとはしないのに、こちらが撫でてほしいと近寄ってみれば、思う通りに撫でてくれる。ジェシカはとても良い奴だ。

 シエナはジェシカより小さいものの、こちらは最初はなんだか近寄っては行けない気がした。

 ジャックはシエナの事をゴシュジンサマだと言っているし、ジャックがそう言うのならば悪いニンゲンではないとは思うのだけれど、それでもなんだか怖い。

 ミサキをものすごく大きくしたような感じがするし、鳴き声は良くてもどうしても怖くなってしまう。あまり近寄りたいニンゲンではない。

 けれどある日、そのシエナが僕たちに話しかけてきた。

 驚いた事に、シエナには僕たちの言葉が分かるらしく、僕たちに分かる言葉で話しかけてきたのだ。

 本当に驚いた。明らかにニンゲンではないジャックは分かるにしても、ニンゲンのシエナがそんな事ができるなんて思いもしなかったのだ。

 正直にそう言うと、シエナは、その気になればミサキや、時々やってくるメイユィとかいうニンゲンも話せるのだと言っていた。

 ミサキがそれをできるなら、すぐにそうしてほしかったと言うと、既にイシソツウはできているのだから問題ないじゃろうと言われた。まぁ、それはそうだ。

 ご飯が欲しければくれるし、撫でて欲しければ撫でてくれる。別に家にいて困った事などないし、それで良いとも思っていた。細かい事を伝える必要など何もないのである。

 とにかく、僕はミサキが時々連れてきてくれるこの広い場所がとても気に入った。

 足元は少し頼りないものの、遊ぶ場所は沢山あるし、何よりも友達のジャックがいる。

 ジャックがいればバカイヌの言う事も良く分かるし、ニンゲンの考えている事もちゃんと教えてくれる。ふつう昼間はシエナがいないものの、運良くいる時に来られれば、シエナから沢山の事を学べる。多分、これがシノの通っているガッコウとかいうものなのだろう。ひょっとしてシノも、マツバラの刺してくる針を我慢したりしているのだろうか。だとしたら、それは少しかわいそうだなと思った。


 チューコは外に出かけるのが大好きだ。

 毎日ソウが帰って来るなり、暗くなった外に、首に紐を付けられて嬉しそうに出ていく。僕にはあまりその事が良く分からない。

 外に出たってあの憎らしい黒い鳥がいるだけだし、面白いものがあるわけでもない。

 うっすらと覚えている小さい頃の記憶には、外には怖いものが沢山あるという事だけしか残っていない。

 今の僕よりも細い身体だったお母さんは、黒い鳥に勝てずに死んでしまった。

 そんなお母さんが持ってきてくれたご飯は、どれも今食べているものよりもひどく不味くて、食べた後に吐いてしまうようなものだってあった。

 あまりにもひもじくて、動いている虫を捕まえて食べたこともある。それはそれでお腹は満たされたが、美味しくはなかった。

 いや、美味しくなかったというのは、今の生活で美味しいと思えるものが食べられるから思い出せるのだ。

 お腹を満たすのに必死で、美味しいとか美味しくないとか、そんな事を考えるヨユウも無かった。そう、ヨユウが無かったのだ。

 今は違う。ミサキたちがくれるご飯はどれも美味しいけれど、一度、ミサキが食べていたナットウという丸いものを食べて驚いた。

 美味しい。

 こんなに美味しいものが世の中にあるというのか。

 昔、落ちていた細長い乾いたサカナを食べたことがあるけれど、それを食べた時よりも驚いた。

 素晴らしい香り。舌に転がる滑らかで甘い味。もう、一度食べただけで僕はナットウのトリコになってしまった。

 僕は毎日ナットウがご飯でもいいと思う。けれど、ミサキは毎日は食べさせてくれない。

 一度ミサキが食べているナットウに手を出そうとしたら、だめだよと言われていつものご飯のところに戻された。僕はナットウが食べたいのに。

 ジャックにその不満を言うと、なんとジャックもナットウの事が大好きなのだという。

 なら、毎日食べたいだろうと聞いてみたのだが、美味しいものは間を開けて食べるから美味しいのだと言われてしまった。

 僕には良くわからない。ナットウはいつ食べても美味しいし、毎日食べてもまずいと思う事はないと思うのだ。

 けれど、ジャックもナットウを食べられるのは3日に一度だけだという。賢くて大きいジャックでも3日に一度なら、仕方がないかと思うようになった。

 でも、ナットウを食べられる時は本当に嬉しい。

 それをくれるのがちょっと怖い鳴き声のソウだったとしても、ナットウをくれるならいくらでも撫でさせてやってもいい。

 僕がナットウをあまりにも美味しそうに食べているものだから、バカイヌのチューコもナットウを欲しがるようになった。

 でかいチューコまでナットウを欲しがるようになったら、僕の分が無くなってしまうのではないかと心配したが、どうやらそうではなさそうだった。

 相変わらず何日かに一度にナットウを食べさせてくれるし、チューコも同じ日にもらえるようになった。チューコもこの美味しい丸いものを気に入ったようで、このバカイヌは毎日、次のナットウはいつかなあと舌を出してハアハアとしているようになった。バカイヌである。


 僕のカゾクは、今のところ五人だ。

 一番えらいのがミサキで、次に僕の先輩のシノ。それから怖い鳴き声のソウで、次が僕だ。一番下は新参者のチューコである。

 どうしてそう思うのかというと、ご飯を取ってきてくれるのが一番えらいから、間違いなくミサキがえらい。これは誰もが、チューコですら認めるところである。ジャックに聞けば、それは間違いないと言ってくれた。一番えらいのはミサキだ。

 次はシノかソウか、むずかしいところだとは思う。

 大きさでいえばソウが一番大きい。でも、ソウはシノが泣いている時、ただおろおろとして慌てている事が多かったので、シノが次にえらいのだ。シノが笑うとソウも笑うので、ミサキの次にえらいのはシノだ。

 次は認めたくないのだが、僕よりは多分ソウのほうがえらい。

 何故かというと、ソウは時々、ミサキにだまって僕におやつをくれる。

 ごはんをくれるのがえらいので、おやつをくれて僕よりも大きいのだから、ソウはちょっとだけ僕よりはえらい。シノの事も僕にはできない抱っこをして泣き止ませていたので、ソウは実はえらいのだ。そこは認めなければいけない。僕は賢い猫なのだから。

 チューコはまぁ、バカイヌだ。けど、良いやつではある。

 えらくはないけれど、僕の同居人で一応友達ではあるし、優しくしてやっても良い。ちょっとうるさいのとあちこち駆け回るのがうっとうしいが、それはイヌの習性だとジャックが言っていたので仕方がない。

 これが僕のカゾクだ。カゾクは一緒に暮らして一緒にごはんを食べて、一緒に眠る。

 暖かくて安心して眠れる場所がある。お腹が減ったら美味しいごはんを食べられる。遊んで動ける場所がある。カゾクは良いものだ。お母さんも、カゾクがいれば死ななかったんだろうか。


 シノは僕のカゾクだ。そして、ミサキやソウのカゾクでもある。カゾクは一緒に暮らすのだから当たり前だ。僕らは、チューコも含めた僕らはカゾクだ。

 ある時、シノが泣きながら帰ってきた。僕もチューコも、大きくなったシノがどうして泣いているのか分からなかった。

 ミサキがシノを抱っこして、何があったのか聞いていた。僕はもうその頃にはニンゲンの言葉がある程度分かるようになっていたので、じっとそれを聞いていた。

 内容は良く分からなかった。言葉が分かっても、理由が分からなければそれはリカイしていないのと同じだ。

 それでも、シノが悪いやつにいじめられたのだという事は分かった。僕は怒った。

 シノは、僕の大切なカゾクだ。カゾクをいじめるやつは許せない。黒い鳥も僕のお母さんをいじめて殺した。シノが殺されたら、僕はきっと殺した奴を許さないだろう。

 ミサキもそう思ったらしく、ソウがシゴトから帰ってきた時に、いつもごはんを食べている部屋でずっと話をしていた。僕もその部屋のおもちゃの上に乗って聞いていたのだが、半分ぐらいしかリカイできなかった。

 聞いた話だと、クチクシャの娘はニンゲンじゃないとガッコウにいるニンゲンに言われたのだという。クチクシャが何なのかは分からないが、そもそもシノはニンゲンだ。僕から見てもニンゲンにしか見えないし、ジャックだってそう言っていた。シノはニンゲンなのだ。

 友達をいじめる奴は友達じゃない。それは友達なわけがない。

 僕の友達はジャックとバカイヌのチューコだが、どっちも僕をいじめたりしない。

 いつもは絶対に怒らないミサキが、どこかに怒った顔でデンワしていた。デンワというのは薄い板を手で触って、耳に当てるのをデンワというのだ。これもジャックに教わった。

 シノがニンゲンであろうと何だろうと、僕のカゾクである事には変わりがない。

 目の下の色を変えてしまったシノに近寄って、大丈夫だと言って舐める。小さい頃のシノは、僕がこうやって舐めると、嬉しそうに頭を撫でてくれた。今のシノも、同じように頭を撫でてくれた。やっぱり、シノは笑っている顔が一番かわいい。


 見慣れないニンゲンが家にやってきた。時々やってくるキョーカやトシツグ、リンやウミ、ショウではなくて、もっと違うニンゲンだ。

 僕は少し警戒して、いつもごはんを食べている部屋の高いところに登って、やってきたニンゲンの様子を見る。片方は背が高くて、もう片方は背が低いけれど、毛を頭の上に乗せて高くみせようとしている、変わったニンゲンだった。

 話を聞いていると、どうやらやってきたのはミサキの友達らしかった。毛を頭の上に乗せているニンゲンが、子供の頃のシノよりも小さい子供を抱いていて、どうやらそれを見せに来たらしい。

 小さくて弱そうだ。

 ニンゲンの子供というのは、産まれたばかりでは何もできないのだとジャックが言っていた。そう言われてみれば、確かにシノもそうだった。

 やってきた二人はどちらもミサキやソウと同じような穏やかな顔をしていて、こちらを見てケースケチャンと言った。僕はケースケだ。ケースケチャンではない。

 けれど、少し考えて同じようなものかと思った。

 ニンゲンは時々、名前に余計なものをつけて呼ぶ。ならば、前半が同じならば後半がどうであれ、それはニンゲンが僕を呼ぶ時のものなのだろうと思ったからだ。

 高いところから降りていって、甘い匂いのする小さい子供に鼻を近づける。

 丸い。弱い。こちらに気づいたその子供が、小さな手を伸ばして僕の鼻を触った。

 鼻を触られるのは嫌だ。けれど、触ってきたのは小さくて弱いニンゲンの子供だ。僕は賢い猫なので、その程度で嫌がったりはしない。

 小さいニンゲンの子供は、こっちを見て嬉しそうに笑った。丸くて膨らんでいて、どこかミサキたちが食べていたオモチというものににている。

 ぺろりとオモチのような頬を撫でると、オモチの子供はまた嬉しそうに笑った。弱々しいけれど、カゾクに見せるような顔だ。僕はもう、それが何を意味するのか良く分かっている。

「賢い猫ちゃんだね」

 丸い毛を頭に乗せたニンゲンが言った。そうだ、僕は賢い猫だ。

 ジャックの言う自我というものが芽生えてから、僕は自分がケースケという猫だという自覚がある。だから、僕は敵だと思ったもの以外には攻撃はしない。そもそもミサキは家に敵を入れることはないのだから。

 小さい手が僕の頭を撫でる、というか、ただ触って感触を確かめているだけのように思える。

 僕は抵抗せずに目を閉じた。敵じゃないのなら、いくらでも触っても良い。ミサキがそれを良いと思ったのなら、僕もそれを拒むわけじゃない。ケンジャは敵を作らないとシエナが言っていたのが、何となく分かったような気がした。


 チューコは散歩が好きだ。僕は外に出るのが嫌いだ。

 外には怖いものがいっぱいいるし、ウカツにウロウロすると敵に襲われる。

 チューコはバカイヌだから平気でソウと一緒に外に出ているが、あれはソウがいるから大丈夫なだけだ。

 ソウはああ見えて結構強い。ミサキほどじゃないけれど、時々ここにやってくるニンゲンの、大抵誰よりも強い。

 ソウよりも強いニンゲンは沢山いるが、ソウよりも弱いニンゲンはもっと沢山いる。だから、ニンゲンが勝てる相手なら、ソウの敵ではないのだろう。

 チューコはそれが分かっているのだか分かっていないのだか、いつも尻尾を嬉しそうに振ってソウと一緒に出ていく。

 何がそんなに楽しいのかと聞いてみたら、身体を動かせるのが楽しいのだと言っていた。それはまぁ、分からないでもない。

 僕も家の中にあるタワーを登って遊ぶし、動くものを見つけたら飛びついて遊ぶ。どうして飛びつきたくなるのだか分からないけれど、それがシュウセイなのだとジャックが言っていた。

 つまり、チューコが外に嬉しそうに出ていくのもシュウセイなのだ。ソウはそれを知っているから、毎日あのバカイヌを外に連れ出しているのだ。

 僕は、外に出るのが怖い。

 忌々しい黒い鳥がいるのも嫌いだが、マツバラはもっと怖い。

 マツバラは僕に注射をする。最初は針で刺されて叫んでしまったが、それをジャックに言うと、健康のための薬なのだという。

 マツバラはニンゲンを健康にするのが仕事らしいので、それを僕にもしたというのだ。僕は猫でニンゲンじゃない。とんだ迷惑だ。

 ただ、確かに僕は、お母さんと一緒にいた頃よりも気持ち悪くなる事が無くなった。

 ミサキたちがくれる食べ物が安全だというのは分かるが、多分それだけじゃなくて、マツバラの注射が健康にしてくれているのだろうとも考えられる。

 それをジャックに言うと、そのとおりだよと彼は笑っていた。ジャックはマツバラの注射にも、まるで動じること無く大人しくしている。ジャックはえらい。

 チューコは僕と同じく、注射をすごく怖がる。

 外に出かけるとなると嬉しそうに尻尾を振っているのだけれど、ソウのクルマに僕が一緒に乗っていて、マツバラのところに行くのだと分かると、お腹の下に尻尾を抱えてぶるぶると震えだすのだ。

 ソウがいくら大丈夫だよと言っても、チューコは怯えて白い眉毛を下げてその場から動かなくなってしまう。バカイヌでも怖いものは怖いのだ。そこは少しだけ同情する。

 チューコがあんまりにも怯えるものだから、僕は逆に落ち着いてしまう。

 いざその時になって針を向けられると怖いのだけれど、それでもチューコよりはマシだという自信がある。我慢してその場を通り過ぎれば、また友達のジャックに会えるのだから。


 ジャックは大きい。ニンゲンと同じぐらいか、それよりも大きい。

 見た目はなんだか子供の頃に時々食べたことのあるトカゲに似ているけれど、僕よりも、当然チューコよりも賢そうな目をしている。実際に賢い。

 ジャックはミサキたちの使っている色んな言葉をリカイしていて、ミサキたちが何を話しているのかを僕に教えてくれる。

 そうしているうちに、僕もミサキたちの言葉がなんとなく分かるようになった。バカイヌのチューコだけは、どうしても分からずに不思議そうに首を傾げているのだが。

 ただ、チューコはバカイヌだけれど、ミサキやソウ、シノの言っている事は感覚で分かるらしい。

 ジャックが言うには、イヌというのはニンゲンと長く暮らしていたから、身体がニンゲンとの付き合い方を覚えているのだと言う。

 僕はどうなのかと聞いてみたが、猫は確かにニンゲンとの歴史は長いけれども、付き合い方がイヌとは違うのだそうだ。

 イヌはニンゲンのしもべとして命令を聞くようになったが、猫はそうではなくて、ただ便利で可愛いからニンゲンが近くに置いていたのだという。

 僕が可愛いというのは良くわからないが、確かにニンゲンは僕を見ると可愛いと言う。勿論チューコにもシノにも言うので、最初は小さいものの事をカワイイというのかなと勘違いしていたほどだ。

 僕は別に、ミサキたちの役に立つ事はしていない。

 ジャックよりもはるかに賢いシエナが言うには、他の猫は虫やネズミを捕まえるからニンゲンに飼われていたのだそうだ。

 家には虫もネズミもいない。ミサキとソウと、あとバルーン君という勝手に動くキカイが毎日掃除しているので、家の中はいつも清潔だ。

 僕も清潔なほうが気持ちが良いので、虫やネズミがいなくとも何も思った事は無い。

 バルーン君は上に飛び乗ると、勝手に僕を運んでくれるので面白い。あっちにいったかと思えばこっちに行くので、予想ができなくて楽しいのだ。

 僕がバルーン君に乗って遊んでいると、ミサキは大喜びで僕のシャシンやドウガを撮る。ただ遊んでいるだけなのに、どうしてミサキがそんなに喜ぶのかは分からない。けれど、大好きなミサキが喜んでいるのならば、それは良い事だ。

 だから、ミサキがいるときにバルーン君が動き出すと、できるだけ上に乗るようにしている。僕も楽しいし、ミサキも喜ぶ。バルーン君はちょっと大変そうだけど、それは仕事なのだから頑張ってほしい。


 ミサキには沢山のカゾクがいる。ミサキのカゾクなのだから、当然僕にも優しい。

 ソウと同じでちょっと怖い声のトシツグは、ミオとウミ、ショウと一緒にやってくる。

 ウミもショウも、僕が近寄っていくと喜んで遊んでくれる。シノよりも大分大きいけれど、多分二人ともまだ子供だ。ニンゲンは子供の時間が長いのだ。

 ウミは紺色のひらひらした服を着ている事が多くて、ソウの事をソウおじさんと言っている。おじさんというのは年上の雄の事を言うらしいので、もしかしたら僕もそのうち、ケースケおじさんと言われるようになるのかもしれない。なぜだかちょっと嫌だと思った。

 ショウはソウと同じでチューコの事が大好きで、やってきたら真っ先にチューコに飛びついて撫で回している。チューコもショウの事が大好きで、べろべろとショウの事を舐め回してじゃれついている。バカイヌである。

 ミオは僕からみたら、ミサキとおなじぐらいに見える。ただ、ミサキよりもちょっとだけ匂いがきついので苦手だ。

 ニンゲンの雌は時々嫌な匂いを出している事がある。そういう時はできるだけ近寄らないようにするし、そういう匂いのするミオもキョーカも無理に近寄ってこない。

 ミサキやシノはそんなことはない。二人はいつも甘い匂いがするし、近くにいても不快な事は無い。気持ち良く撫でてくれるし、やっぱり僕はミサキとシノが大好きだ。

 ウミもショウも、シノとはとっても仲が良い。

 シノが小さい頃からも良くやってきて、二人は嬉しそうにシノのほっぺたをつついていた。

 つつかれたシノも、僕にほっぺたを舐められた時みたいに笑っていたので、シノも二人の事が大好きなのだ。だから。ウミもショウも、あまり近くにはいないけれどカゾクなのだ。

 トシツグたちがやってきたときは、ソウはいつもよりも沢山お酒を飲む。

 お酒というのは甘い匂いのする水で、近くにいるとちょっとふらふらとしてくる。気持ち良いものではあるのだけれど、飲んだ後のソウの息はくさい。近寄らないでほしい。

 一度ソウが飲みすぎた時に僕を抱っこしようとしたので、嫌がって思い切り引っ掻いてしまった事があった。流石にその時は反省したが、ソウも悪いので僕だけが悪いわけじゃない。お互い様だ。

 そういう事があった後、ソウはとんでもないものを僕にくれた。あの時のお詫びだというのだ。

 茶色いすごく良い香りのする木のようなもので、それを嗅いでいるとなんだか身体がふにゃふにゃとしてくる。

 いつまでも舐めていたくなるような木で、ソウがそれをくれた日の事はあまり良く覚えていない。

 気がついたら、ソウがミサキに怒られていた。どうやら僕にあの素晴らしい香りの木をやりすぎたことを怒っているらしい。

 けれど、あれは良かった。すごいものがあったと、次にジャックに会いに行った日に言うと、彼は少しだけ困ったようにしていた。

 ジャックが言うには、それはマタタビというものらしい。特に猫に効果のあるもので、その木に混じっているものが猫を狂わせてしまうらしいのだ。

 僕は狂っていたのか。恐ろしい。

 けれど、あの何とも言えない感覚は癖になりそうだ。身体に良くないものでなければ、もう一度欲しい。そうジャックに言うと、あまり頻繁でなければ問題ないそうだった。なら、時々は良いだろう。

 チューコはそれを聞いていて、私も私もと大騒ぎした。けれど、イヌにあげるマタタビのようなものは無いらしい。それを聞いて、今度はひどくしょぼんと落ち込んでいた。感情の変化が激しすぎる。チューコはバカイヌなのだ。

 そんな落ち込んだ様子のチューコを見ていたシエナが、かわいそうに思ったのかイヌ用のマタタビを教えてくれた。イヌマンというらしい。

 イヌマンって何なのかと聞くと、土の中にいるにょろにょろした虫を干したものだという。良くわからない。虫は色々食べたけれど、にょろにょろしたものは大抵お腹が痛くなる。あまり食べたくはない。

 しかし、それを聞いたチューコは大喜びして跳ね回った。イヌマン、イヌマンとチューコの言葉でばふばふと吠えている。

 一体何事かとミサキとハルナが近寄ってきて、シエナがイヌマンの事を説明していた。

「……イヌマンですか。卑猥なネーミングですね」

「いや、オオイ一佐。それは意識しすぎでしょう。ただ、アレは売っていませんからねえ」

 ハルナはここに良くいる、ジャックのカゾクだ。

 ハルナはジャックの事が大好きで、ジャックもハルナの事が大好きだ。

 シエナやジェシカたちがいない時は、ハルナがジャックのご飯を用意してくれるのだという。

 ジャックが言うには、ハルナは元々ミサキたちの事を助ける仕事をしていて、そのままここで暮らすジャックやシエナたちの面倒を見てくれているのだという。

 ハルナにはミサキにとってのソウや、トシツグにとってのミオのような相手がいないらしい。けれど、ジャックの事をとても大切にしてくれているので、きっとハルナにとってのソウというのは、ジャックの事なのだろう。

 そう言うと、ジャックはとても困ったような顔をしていた。それは違うとも、そうだとも言ってくれなかったが、ジャックのように難しいことが分からない僕にはリカイができなかった。


 ジャックのいる場所から帰る時は、いつも少し寂しい気持ちになる。

 ジャックはまたねと言ってくれるし、また来る事ができるのはわかっているのだけれど。

 チューコも寂しいらしく、他の時にはしないようなきゅんきゅんという鳴き声を出している。それを見ると、先輩の僕が情けない顔をすることはできないと、彼女の頭を押さえつけて威張ってやる。

 クルマの後ろでそうやっている僕らを見て、ミサキはいつも嬉しそうに笑っている。ミサキはいつだって僕らの事を分かっていてくれるし、いつだって味方でいてくれる。

 ただ、一度キッチンで作りかけのものに手を出そうとした時は、物凄く怒られた。

 作りかけの料理に手を出すとミサキはオニになる。それが分かってからは、僕は二度とキッチンに近寄らない。近寄らなくても遊べるし、何も問題はない。しかし、怖かった。

 僕が悪いんじゃないと思っていても、あの顔を思い出すだけできんたまが縮み上がってしまう。こわい、こわい。ミサキは怒ると怖い。絶対にミサキを怒らせてはいけない。


 僕には実は、チューコやジャックの他にも友達がいる。

 イヌやキョウリュウではない、僕と同じ仲間の猫だ。

 初めて会った時は、びっくりして固まってしまった。お母さん以外の猫を見たのは初めてだったのだ。

 名前はルルちゃんと言った。女の子だ。

 とても綺麗な色をした銀色の毛並みと、僕とは違うきらめくような緑色をした目の、とっても可愛い子だ。僕は、一目見て彼女と友達になりたいと思った。

 ルルちゃんは近くに住んでいる人たちのカゾクで、僕と同じく、お母さんはもう死んでしまったのだと言っていた。

 ルルちゃんには他にもキョウダイがいたそうなのだが、みんな優しいカゾクを見つけて出ていって、今はルルちゃんだけが僕の家の近くに住んでいるのだという。

 キョウダイというのは、同じお母さんから産まれた仲間の事だ。

 ミサキのキョウダイはトシツグと、時々やってくる目の怖いミユキだけだ。

 ソウのキョウダイはキョーカで、臭い匂いのするミオはキョウダイではないという。でも、トシツグと一緒に来るので、ミサキのキョウダイのようなものらしい。僕にはどうにも良くわからない。

 僕にはキョウダイがいない。いたかどうかもわからない。

 お母さんは死んでしまったし、僕の記憶には一緒にいた猫の記憶が無い。多分、いても死んでしまったのだと思う。

 チューコにもキョウダイはいない。チューコは気がついたら檻の中にいたそうなので、そもそもお母さんの顔も知らないのだという。それはそれでちょっとかわいそうだなと、いつもハアハアしているバカイヌの顔を見た。チューコは首を傾げてこちらを向いてワンと言った。何も考えていない。やはりバカイヌだ。

 ルルちゃんのゴシュジンサマは、ミサキたちが休みの日に良くルルちゃんを連れてやってくる。ミサキもソウも、ルルちゃんのゴシュジンサマたちとお茶を飲んで話をしている。けれど、僕はその時のミサキたちの話を全く覚えていない。だって、ルルちゃんに夢中になってしまっているから。

 ルルちゃんは可愛い。

 銀色の綺麗な縞々模様で、ツンと立った耳がとてもカッコイイ。

 最初は近寄るとすっと逃げていったけれど、慣れてくると僕と遊んでくれるようになった。

 僕は茶色い縞模様なので、色を除けばルルちゃんとお揃いだ。そう言うと、彼女はそうだねと言って僕の毛を優しく舐めてくれた。堪らない。僕はもう、ルルちゃんの事しか見えなくなってしまっていた。


 ソウは僕よりもちょっとだけえらい。

 何故そう思うかというと、僕たちに時々おやつをくれるからだ。

 僕には分からない所に隠されているおやつをもってきては、チューコと一緒にくれる。

 チューコのおやつは干し肉か硬い白いものだが、僕にくれるものは決まっている。そう、あの、細長いものに詰まっているおやつだ。

 たまらない。

 あの香り、味。もう、僕はあれを差し出されるだけでこの上ない幸福に満たされる。ルルちゃんと一緒にいることと比べて、どちらにしようかと悩む程だ。

 ソウが細長いものの先を切る。途端に溢れ出す美味しそうな香り。ああ、もう、僕はこのおやつを食べる為ならば、アクマに魂を売っても良いと思う。アクマというのは良くわからないが、時々ミサキやソウがそう言っているのだ。おいしいものを食べると、アクマにささやかれるのだそうだ。

 すばらしい香り。舐めると口の中いっぱいに広がるおいしさの塊。差し出すソウの手も一緒に食べてしまいそうになるほどに、僕はこのおやつに夢中だ。

 チューコは隣で、こっちも夢中になって白いおやつをがりがりと噛んでいる。あんなに硬そうなもののどこがおいしいのか分からない。

 一度聞いてみたのだけれど、なんだか噛むと気持ちよくて夢中になるのだそうだ。ソウがくれた茶色い木みたいなものだろうか。

 あれも気持ち良いけれど、おいしさではこのおやつの方が上だ。おやつか茶色い木か、それともナットウか。どれかと言われれば迷う。でも、今はやっぱりこのおやつだ。

 おやつをくれるのはソウだけだ。時々、ソウがミサキにその事で怒られている。おやつを食べすぎると僕が太ってしまうのがダメなのだそうだ。

 僕は別に太っても気にしない。栄養がある時に食べるのは正しい事だし、それでルルちゃんに嫌われる事もない。僕ははできれば毎日おやつを食べたいのだけれど、ソウがくれるのは時々しかない。これも、ジャックが言っていた、おいしいものは時々食べるからおいしいのだという事だろうか。でも、僕は毎日食べたい。

 おやつをくれるから、ちょっと怖い声のソウも僕のゴシュジンサマでカゾクだ。もちろんそれだけではないのだけれど、おやつをくれるソウが僕は好きだ。カゾクで一番好きなのはミサキだけれど、ミサキは時々僕のしたいことをさせてくれない。

 けれど、ミサキの言う事は大体正しい。嫌なことであっても、ミサキの言う通りにしていれば、大体快適だ。不思議だ。

 ジャックはそれを分かっているようだけど、バカイヌのチューコはただ言われるままにしているだけだ。チューコはジュウジュンだけど、僕はそうではない。おやつは毎日食べたい。



 ある時マツバラがやってきた。

 僕やチューコに注射をしたいからやってきたのかと思っていたが、違った。

 マツバラは、シノと同じぐらいの大きさのニンゲンの子供を連れていた。

 僕よりは大分大きい。そもそもシノはもう僕よりもかなり大きいので当たり前だ。

 子供は自分のことをハジメだと名乗った。ハジメというのは一番最初だという意味だと僕は知っている。ハジメはマツバラの子供なのだという。

 マツバラにミサキにとってのソウや、メイユィにとってのシュウトのような相手はいない。はずだ。

 相手がいないと子供はできないはずだ。だけれど、マツバラは子供を連れてきた。それは何か、良くない事のような気がする。

 僕は怖くなってタワーの上の方に逃げた。逃げても、そのハジメから目を逸らす事はできなかった。

 怖かった。初めて見るハジメが怖かった。

 強くても優しさを感じるミサキや、それにとても良く似たシノとは少し違う強さを、何というか、本能的に感じた、というのだろうか。これはジャックに教わったから今はそう考えられるのだけれど。

 次に会った時にジャックに聞いてみると、驚いたことにジャックもハジメの事が怖いのだという。あの、僕よりも大きくて、物凄く強いシエナをゴシュジンサマに持つジャックでも怖いというのだ。

 僕は猫だ。怖いものを見つけた時、すぐにそれを感じて逃げ出すことができる。

 チューコはイヌだ。怖いものに仲間と立ち向かえない時は、僕たちと同じように逃げる。

 どちらも同じような反応をした。あれは、逆らってはいけないものだと。

 ミサキやシエナが近くにいる時は良い。二人は僕のカゾクのようなものだし、きっと守ってくれるだろう。だけど、それ以外で、僕は絶対にハジメの近くには近寄りたいと思わない。それぐらいに怖い。

 ハジメ自身は別に僕を攻撃したりはしない。シノと同じく、優しく撫でてくるぐらいの事だ。

 けれど、近寄るとどうしても毛が逆立って尻尾がぴんと伸びてしまう、これは本能によるものだ、とシエナもジャックも言っていた。どうしようもないらしい。

 けれど、怖い。怖いものは怖い。どうしようもない。

 溢れ出してくる緑色の怖さというのはどうしても見えてしまうし、ミサキも僕のこの気持ちを良く分かっているようだった。

 僕がタワーの上に登ってぶるぶる震えているのを見ると、どこか悲しそうに言うのだ。そんなに怖がらなくても、と。

 ミサキはハジメの強さと怖さを分かっている。それでも怖がらずにハジメに接している。それは、ミサキがとても強いからだ。

 けれど、僕はそこまで強くない。外にいる黒い鳥にも勝てないだろうし、身体の大きくなったチューコにだって、お互い本気になれば敵わないだろう。

 そしてミサキはその事を良く分かっている。だけれども、それでも僕にハジメと仲良くして欲しいと思っているのだ。いや、無理だ。僕は猫である。本能に忠実な、怖いものからは逃げる生き物なのである。猫である僕に、ハジメを近づけさせないでほしい。



 ミサキにはとても友達が多い。

 黄色いジェシカや頭の上に毛を置いたメイユィは良く遊びに来るが、怖いマツバラやハジメとも友達だし、ジャックのカゾクであるハルナも友達だろう。そしてそれだけじゃなく、時々ミサキを訪ねてやってくる色々なニンゲンがいる。

 それはもう、怖いやつから親近感を持つやつまで、沢山だ。ミサキはその全てと楽しそうに話をしていて、とてもすごいと思う。僕にはとても真似できそうにない。

 その中でも、特にミサキが楽しそうに話をしていたのは、フレデリカという黄色い雌のニンゲンだった。

 フレデリカは雄のエヴァルドとかいうニンゲンと、リベーリオとかいう子供を連れていた。大きさはシノより少し大きいぐらいだけど、歳はシノより下だと言っていた。僕らと違って、ニンゲンは大きさだけでは年齢がわからないのだ。

 リベーリオもハジメと同じように、シノと楽しそうに遊んでいた。リベーリオは別にハジメみたいに怖くはない。ただ、常に美味しそうな匂いはしていた。

 あまりに美味しそうなので僕がぺろぺろ舐めていると、笑ってこっちの頭を撫でてくれる。他のニンゲンと同じで、優しい感じのするニンゲンだった。僕はリベーリオは嫌いじゃない。

 ただ、フレデリカもエヴァルドも忙しいらしくて、リベーリオは滅多に家には来なかった。寂しくないのだろうかとジャックに聞いたら、ニンゲンは離れていても連絡を取れるスマホを持っているので平気なのだという。それはすごい。

 ミサキたちが良く四角い板を持って触っているが、あれがスマホなのだという。僕もスマホを持っていれば、シノがガッコウに言っている時も一緒にいられるのではないかとジャックに聞いたのだが、それはダメだと言われてしまった。

 まず、スマホはニンゲンにしか持たせてはいけないのだという。他の生き物向けのスマホというものはないらしい。

 更に言えば、動物がニンゲンとスマホで連絡を取るという事はないので、そんなことをすればシノが他のニンゲンたちから仲間外れにされてしまうのだという。それは困る。

 ただでさえシノはクチクシャの娘だと言われていじめられていた。僕はそんな事は絶対に許せないと思うのだが、僕が理由でシノが仲間外れにされてしまっては嫌だ。

 そう言うと、ジャックはそうだねと言って笑った。ジャックも多分、スマホを使えるぐらいには賢いのだけれど、我慢をしているのだ。ならば、猫である僕も我慢しなければならない。賢いジャックが我慢しているのに、僕が我慢しないというのはスジが通らない。これは仕方がない。僕もニンゲンだったら良かったのになあと時々思う。

 けれど、ソウにおやつを貰ってミサキの膝の上で撫でられていると、まぁ、猫で良かったなと思ってしまう。きっとニンゲンにはニンゲンの、猫には猫の大変な事があるのだろう。テキザイテキショという事なのかもしれない。


 ある時から、ミサキが家にいなくなってしまった。

 いつも家にいたのに、ゴシュジンサマであるミサキがいないと不安になってしまう。どうしたのだとソウににゃあにゃあと鳴いて聞いてみると、カゾクが増えるのだと教えてくれた。

 シノも不安だったようだが、シノは賢いのでソウのその言葉を聞いて納得していたようだった。チューコは相変わらず不安そうにきゅんきゅんと鳴いているだけだったのだが。

 僕はてっきり、暫く前に毎日ソウがミサキをいじめているから、ミサキが嫌になって出ていってしまったのだと思ってしまったのだ。

 ミサキとソウが寝床にしているところに夜に近づくと、ミサキが苦しそうな声を出している。

 ソウがミサキをいじめることは無いと思っていたのだが、ソウは身体が大きい。もしかしたら、ミサキが動けない時にソウがいじめているのではないかと心配になったのだ。

 ジャックにどうすれば良いか聞いてみたら、それは心配ないのだと教えてくれた。理由は教えてくれなかったけれど、僕がミミちゃんにしたことと同じことをソウがしているのだと言った。

 なるほど、そういうことならばわからないでもない。

 ソウはミサキのことが可愛くてしているのだ。なら、別にいじめているわけではない。それを聞いて、少し安心した。けれど、ミサキに会えないのは少し寂しい。シノが、お姉さんになるのと言って僕を撫でてくれた。



 ミサキが見知らぬニンゲンのメスをつれて帰ってきた。

 随分間が空いていたので、僕はもうミサキに忘れられてしまったのかと思っていた。

 ミサキは知らないニンゲンのメスの他に、小さな小さなニンゲンの子供を抱いていた。僕に見せて、シンジだよと言った。

 その子供は、メイユィの連れてきた子供よりももっと小さかった。

 ミサキと同じような黒い髪の毛のそのメスは、断りもせずに僕を撫でた。逃げようと思ったが、逃げられなかった。多分、このニンゲンのメスはシエナと同じような存在だ。

 敵意は感じなかったので好きにさせていた。そもそもミサキが家に上げたのだから、敵であるはずがない。なので、じっとされるがままに撫でられていると、そのメスは賢い子だねえと僕に向かって微笑んだ。どうやら、僕がニンゲンの話を理解している事を知っているらしい。

 その少し怖いニンゲンは、僕には発音しにくい名前で名乗った。長い名前は苦手だ。

 それよりもなによりも、ミサキが抱いていた子供だ。

 小さくてふわふわの布に包まれた子供は、僕の方を見てにやっと笑った。どこか、ソウが笑った時の事を思い出す顔だった。

 間違いない、これは、ミサキとソウの子供だ。新しいカゾクができたのだ。つまり、この子供は僕の後輩である。

 僕は後輩には優しい。チューコはバカイヌなのでどうしようもないが、ニンゲンの子供は賢いので僕の事もすぐにわかる。

 近寄って匂いを嗅いでいると、いつかメイユィが連れてきた子供のように、僕の鼻先を遠慮なく前足で掴んだ。

 僕はあまり鼻を触られるのは好きではない。けれど、後輩のやったことなのだから大目に見てやる。僕は先輩なのだから、おおらかでなければいけないのだ。

 小さい小さい指を動かしているので、ぺろりと舐めてみた。その子供は、嬉しそうにまた笑った。

「ケースケ、新しい家族のシンジだよ。仲良くしてあげてね」

 ミサキがそう言った。言われなくてもそうするつもりだった。

 シンジはまだ自分で動き回ることができない。ならば、僕が危ないものから守ってあげなければいけない。

 チューコはバカイヌなので、シンジが弱い存在だという事が分からないかもしれない。僕がチューコを教育して、ニンゲンの子供は弱いのだという事を教えてやらねばならない。

 シンジからはとても甘い匂いがした。ニンゲンの子供からはいつも甘い匂いがしている。僕は、ニンゲンの子供が大好きだ。

 時々目や鼻を触られるけれど強い力ではないし、感じられるものはいつも優しい、白い心だ。

 ミサキたちのように穏やかな桃色に包まれて、白い心の子供は大きくなっていくのだ。シノがそうであったように。



 ジャックの所に遊びに行くと、時々あの怖いハジメが降りてくるようになった。

 怖くて怯えてジャックの背中に乗っていると、シエナが近寄ってきて言った。

「ハジメはお主らをどうこうしたりせぬよ。あまり怯えないでやってくれぬか。ジャックも。ハジメと友だちになってやってくれ」

 少し控えめに近寄ってきたハジメは、緑っぽい髪を少し揺らして、こんにちはとお辞儀をした。

 確かにハジメから感じるものはとても怖い。怖いのだが、シエナがそう言うのだから、多分間違いではないのだろう。

 あまり何も考えていないチューコが、そう言われて真っ先にハジメの近くに寄っていった。勇敢なように見えるが、尻尾がお腹の下に入っているので怯えているのはバレバレだ。

 それでもハジメは嬉しそうにチューコの事を撫で始めた。やっぱり、敵ではないようだ。

 怖く感じるのは本能だけれども、それを見ていると少しだけ怖くなくなった。よく考えればシエナを見た時もそう感じたのだし、遊んでいるうちに慣れるのかもしれない。

 ジャックが歩み寄っていって、小さなハジメに頭を下げてこすりつけた。ハジメは嬉しそうに、笑顔になってジャックの首を撫でていた。

 ハジメは悪くないのだろう。多分、これはシュゾク的なものなのだ。

 ハジメからは少しミサキのような気配を感じるけれど、もっと強いなにかがハジメの中にいる。多分それが、猫としての僕の本能を刺激しているだけなのだ。

 頭を下げているジャックの首の方に移動して、するすると僕もハジメの方に近寄っていった。

 ジャックの首を撫でているハジメの指を舐めると、くすぐったそうに、それでも嬉しそうに、ハジメも僕の背中を撫でてくれた。

 怖いというのは、身を守るためのボウギョハンノウだといつかジャックが言っていたのを思い出した。なら、守る必要がないのであれば、それは余計な気持ちだ。

 僕は少し、この怖い力を持ったハジメの事が可哀想になって、そしてちょっとだけ好きになった。



 最近、動き回るとすぐに疲れるようになってしまった。

 ミサキは相変わらずタンマツとかいう画面の前に座って仕事をしているし、大きくなったシノはウミやリンと同じく、紺色の服を着て出ていくようになった。

 最初はまるで動けなかったシンジも、すぐに大きくなってシノと同じく、ガッコウに通うようになった。

 ジャックのところに行けば、相変わらず怖いマツバラと、怖いけれども優しいシエナとハジメがいる。ハジメも大分大きくなって、今はケンキュウの手伝いをしているのだと言っていた。

 シエナだけは小さいまま変わらないが、これはシエナだからなのだとジャックが言っていた。意味は分からないが、なんとなく分かる。

 変わらないものもいれば、変わるものもいる。僕は、変わる側の存在だ。


 ご飯を食べる所の椅子の上で丸まっていると、時折仕事を中断したミサキが撫でに来てくれる。僕があまり動き回らなくなったので、察してあちらからきてくれるのだ。

 最近はチューコもあまり長い時間、ソウを引っ張り回すような事は無くなった。僕よりも元気ではあるものの、やはり少し疲れたのか、廊下で蹲ってシンジが帰ってくるのを待っていたりする。

 なんとなくわかる。

 僕らは、ニンゲンであるミサキたちよりも寿命が短い。

 ジャックのように大きい生き物はもっと長生きするのだろうが、僕らは彼にくらべて大分小さい。

 それでも、僕はきっと、僕のお母さんよりは大分長い間生きてきた。

 カゾクも沢山できたし、友達も増えた。少し怖いことも時々あったけれども、毎日とても安心で、楽しい日々だった。

 だから、きっとその時が来たとしても、僕は悲しくない。

 毎日楽しく遊んで、美味しいご飯を食べられて。大好きなカゾクと一緒に暮らせたのだから、何も悲しいことなど無いのだ。

 ミサキたちカゾクに言いたい。僕のカゾクでいてくれてありがとう。僕は、幸せだったよ、と。

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