第9章:声

チャイムの音は、二度鳴らなかった。

 扉の向こうに誰かが立っているのは、全員がわかっていた。

 しかし、誰も迎えに行かなかった。まるでその存在を、ずっと前から知っていたかのように。


 涼介は地下室の扉を開けたまま、ソファに腰を下ろした。

 斉藤も、慎二も、和也も、誰も話さない。ただ、沈黙の中で、待っている。


 扉の隙間から、やがて小さな足音が聞こえた。

 軽い、湿った、土と血の匂いを含んだ足音。

 ゆっくりと、山荘の奥へと入り込んでくる。


 涼介の背後で、息をする音がした。

 誰のものでもない、しかし懐かしい、幼い呼吸音。

 彼女は、そこにいた。間違いなく、すぐそばに。



 「──わたし、ずっと、まってたよ。」



 声は小さく、しかし耳の奥に直接染み込むようだった。

 涼介は目を閉じた。もう、恐怖も、後悔も、何も感じなかった。

 あの夏の日、最後に聞いた彼女の声と、寸分違わぬ響きだった。


 あの日、彼女は「待ってて」と言った。

 けれど涼介たちは、彼女を地下室に閉じ込めたまま帰った。

 誰も助けになんて来なかった。

 声は、いつも耳の奥にこびりついていた。日常の雑音に紛れても、消えたことはなかった。


 彼女は、ずっとここにいた。

 肉体も、時間も、とうに失ったはずなのに。



 「……みんな、そろったね。」



 彼女の声が静かにそう告げた。

 四人は、同時に立ち上がった。地下室へと、吸い込まれるように階段を降りていく。

 そこには、何もないはずだった。けれど、足音は止まらなかった。

 まるで導かれるように、深く、さらに深く。


 地下室の一番奥、暗闇の中に、何かがあった。

 歪んだ輪郭の、柔らかいもの。名前を呼ばれるのを、じっと待っていたもの。

 20年前、置き去りにした「彼女」の、形をした“何か”が。


 涼介は、彼女の名前を呼んだ。

 ゆっくりと、口の中で転がすように。



 ──あの夏の続きを、迎えに来た。

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