第11話 ムーンクリスタルと心の光

 異世界生活24日目。


 ベッドに横たわり目を閉じると、昨夜の悪夢の余韻が胸を締め付ける。


 職場の上司の「使えない奴」という罵声と、締め切りに追われる焦燥感。


 会議室の冷たい空気と、同僚の遠ざかる視線、それから書類の山に埋もれる感覚がフラッシュバックする。


 思わず「うっ」と小さく呻き、シーツを握りしめた。


 いつも何者かになりたかった。でも大人になった今、何者にもなれなくて日々藻掻き、苦しんで、気付いたら自由に息が出来なくなっていた。


 就活はしなかった。ただ漠然と海外で働いてみたいと考えて大学卒業後は、海を越えて、大学時代の伝手をたどってとあるIT企業に就職した。


 やっと何者かになれると思った。でもなれなかった。結局その会社はコロナショックの影響もあり、僅か3か月で辞めた。


 帰国した私は2年ほどフリーターを経て、次に就職したのは都内の大手IT企業だった。


 きらびやかな都会の空気と、高学歴で出来の良い同僚たちのレベルに圧倒されながら日々、何者かになりたくて自分なりに必死だった。


 田舎の両親はいつだって私の味方で「私はすごい」と、何者にもなれない馬鹿な私をいつだって誇らしげに背中を押してくれる。


 だから大手企業からの内定は、出来の悪い私が初めて親孝行と言えるようなモノに――手が届いたんだと正直浮かれていた。


 体の不調はずいぶん前から感じていた。最初の変化は原因不明の微熱に始まり、次第に職場にいると感じる吐き気へと変わっていった。


 上京期間中「きつくなったら、いつでも帰っておいで」と、両親は電話や帰省をするたびに声をかけてくれていた。


 だけど初めて両親の期待に応えられたことが嬉しかった私は、うっすら感じていた体調の変化に無視を決め込んでいた。


 

 朝、身支度を終えて玄関の扉の前に立った時。

 

 朝、満員電車がホームに到着して乗り込もうとした時。

 

 夜、仕事を終えて玄関の扉をくぐった時。


 夜、ベッドの中に潜り込み、瞼を閉じた時。

 

 意志とは反して――涙腺が決壊する。


 

 そしてついに平日のある朝、私はベッドから起き上がれなくなっていた。

 


 一体私はどこで間違ってしまったんだろう。……身の丈に合っていない職場選びだろうか? それともいつまでも何者かになりたいと望み続けた私の浅はかさだろうか?


 いま思うと、都会で生きる人々と、田舎で生きる人間の間には流れる時間の体感速度が違う気がする。


 広大な自然の中でゆったりとした時間を生きてきた私には、都心のまるで生き急ぐような時間の流れはついていくのがやっとで、息苦しい水の中で常に溺れているような感覚だった。


* 


「――――……こ?」

「………………」

「……人の子? 大丈夫?」

「…………え?」


 ひんやりとした毛玉の手の感触と、少年のようなやさしい声に意識を引き戻される。


 毛玉が枕元でふわふわ跳ね、触手のような手が私の頬をツンツンつつく。


 すると悪夢の余韻で冷や汗をかいて、額にはり付いていたはずの前髪が途端にサラサラになる。


 全身お風呂上がりの後のような爽快感に包まれて、凍りついた心をそっと溶かしてくれるような気がした。


「うん……だいぶ落ち着いたよ。毛玉、ありがとうね」


 毛玉の大きな瞳がキラキラと光る。


 ゆっくりと上体を起こした私の右肩に毛玉がふわりと飛び乗り、ひんやりした触手が髪を撫でる。


 現実世界なら、悪夢を見た翌日の朝は起きるのも辛かった。


 シャワーを浴びる気力もなく、汗と涙でぐしゃぐしゃのまま一日を過ごした日も、鏡に映る自分の疲れた顔を見て、「もうダメかも」と嘆くばかりの夜もあった。


 だけど、この世界には毛玉がいる。毛玉という存在が、心も体を優しくサポートしてくれる。


「毛玉、昨日も浄化魔法おまじないかけてくれたよね? 本当にありがとう」

「いーよ! 人の子、だいすき!」


 毛玉が柔らかな体毛で頬擦りするから、その温かい感触が悪夢の影を薄くして、ログハウスの木の香りと毛玉のもふもふとした柔らかな体毛が、胸の重さを軽くする。



 毛玉のお陰で気分が晴れたところで、辺りを見渡すとログハウスの窓から庭の中央で、マナコアの周りに並べたミストクリスタルが、朝霧の中で青白く光っているのが見えた。


 窓辺に近づき、窓を開け放つと昨日の実験でミストクリスタルとスターベリー・ルートでマナコアの魔力を安定させた効果が、庭全体に広がっている。


 モスが花壇のそばで新しい彫刻を始めているようで苔むした巨体が、カッ、カッと木を削っていた。


 彫刻は小さな花の模様――スターフラワーだ。細かな花びらが、まるで光を閉じ込めたように霧の中で輝く。


 モスが振り返り、低く唸る。そして意志の強さを感じさせるような低い声が私の鼓膜を震わせた。


「人の子、光は繋がる」

「え?」


 聞き間違いかとその言葉にドキリとする。それは初めてモスが私に口を開いた瞬間だった。


 だけどその後、モスに何度問いかけてもモスからの返事はなかった。


 モスの過去――賢者が作った森の守護ゴーレムであるモス。


 ルミナ草の謎が、モスの彫刻に隠されている気がする。


 メモ帳を開き、「ルミナ草=心と光、森の光?」と書き込む。


 湖のヌシの「ルミナ草の光は森の光と繋がっておる」という言葉が頭をよぎる。


 モスの彫刻のスターフラワーが、賢者の記憶を刻んでいるみたいだ。


 かつて賢者がこの森で何を癒したのか、モスが知っている気がする。


(マナコアの光、スターフラワー、森の光……何か大きな繋がりが? ねえ、モス。教えてよ)


 毛玉が「ピカピカ、庭キレイ!」と跳ね、モスの彫刻を見つめる。


 ルミナ草の光が、私の心の落ち着きと共鳴している。


 悪夢の影はまだあるけど、毛玉とモスの存在が、それを薄くしてくれる。



 それはちょうど昼前頃、シルバが庭の隅で銀色の毛並みをキラキラ揺らし、姿を現した。


 またもや森の方へとチラチラと視線を送っている。


 青い瞳が「ついておいで」と囁くから、昨日のスターフラワー・グローブの光景が脳裏に浮かぶ。


 あのキラキラした丘は、悪夢のモヤモヤを吹き飛ばしてくれた。


「シルバ、今日もまたどこかへ案内してくれるの?」

「クゥン」

「おっけー! ちょっと待ってて!」

「クゥン!」


 ログハウスの中からトートバッグを引っ掴み肩にかけると、毛玉が「冒険たのしみ!」と右肩に飛び乗ってくる。


 「モス、行ってくるね!」と声をかけると、モスが静かに頷く。

 

 シルバの後を追い、私たち一行は霧の森へと歩みを進める。スターフラワー・グローブの丘を越え、さらに奥へと進む。


 木々の間からキラキラした光が漏れ、その先に洞窟の入り口を見つける。


 シルバが尻尾を振って中へ進む。洞窟の壁が、月光のような青白い光で輝く。


 無数のクリスタルが、天井や壁に埋まり、まるで星空が閉じ込められたみたい。


 光が水滴のように滴り、地面にキラキラの模様を描く。


「わぁ……何ここ、すごい!」


 鑑定スキルを使うと、それぞれの鑑定結果が表示される。


 ムーンクリスタル・ケイブ:ムーンクリスタルが自生する洞窟。


 ムーンクリスタル:月光を蓄え、マナを増幅する。


 ルミナ草やスターフラワーと似た光を放つムーンクリスタルをそっと手に取ると、冷たく、ほのかに光っている。


 指先で触れると、微かな振動が心に響く。


 ルミナ草の光、スターフラワーのキラキラ、湖の水面――全てが、同じリズムで揺れている気がする。


「毛玉、これ――ルミナ草と繋がってるかも!」

「クゥ!」


 毛玉が洞窟の天井をふわふわ飛び回り、光の粒を跳ね上げる。


 シルバが静かに私の横に座り、青い瞳でクリスタルを見つめる。


 シルバの毛並みが、ムーンクリスタルの光を映してキラキラ揺れる。


 シルバの横にそっと腰を下ろした私は、シルバの背中をそっと撫でながら呟く。


「シルバ、いつも導いてくれてありがとう」


 シルバが低く唸り、鼻先を私の手に擦り寄せる。


(ムーンクリスタル……マナを増幅? 森の光の鍵なのかな?)


 メモ帳に「ムーンクリスタル=マナ増幅、森の光の鍵?」と書き込む。


 洞窟の奥、暗闇の中でさらに光が揺れる。シルバの瞳がちらりと光の先を見つめている。


 私はムーンクリスタルを1つバッグにしまい、洞窟の光を胸に刻む。


 ルミナ草の謎に、また一歩近づいた気がする。



 帰り道、スターフラワー・グローブに寄ると、無数のスターフラワーが、青白い光を放ちながら揺れている。


 霧が光を柔らかく包み、まるで星空が地面に降りたような景色が広がっていた。


 アーシャが「はぁい、可愛い子! あら、この花、飾りに最高じゃない!」と、風と共にフワッと現れる。


「アーシャ! またキラキラ実験する気?」

「ふふっ、もちろん! ほら、スターフラワーで花冠作りましょ!」


 アーシャがスターフラワーを摘み、器用に編み始める。


 毛玉が「ピカピカ、花!」と真似して、私に小さな花冠をプレゼントしてくれた。


 青白い光が、頭の上でキラキラ揺れる。


「毛玉、ありがとう! めっちゃ可愛い!」


 アーシャが「あら、いい笑顔ね! もっとキラキラに!」と手を振ると、キラキラ蝶がスターフラワーに舞う。


 光がチカチカ点滅し、たちまちキラキラの嵐に。


 蝶がモクモクと光を巻き上げ、スターフラワーの光がまるで花火みたいに爆発する。


「アーシャ、やりすぎ! また事故ってる!」

「うわっ、ごめん、ごめん! でも、キラキラって最高よね?」


 アーシャが蝶を追い払い、笑いながらくるりと回ってみせる。


 シルバが尻尾を振って光を落ち着かせ、毛玉が「ピカピカ、変!」と私の肩に飛び乗る。


 アーシャのデジャヴを彷彿させる失敗に、みんなで笑い合っていると自然と心が軽くなる。


 アーシャの失敗は、いつも笑顔を連れてくる。


 ふと、トートバッグのムーンクリスタルがスターフラワーの光と共鳴し、柔らかく輝く。


 光がルミナ草の庭や湖の水面と同じリズムで揺れる。


 メモ帳に「スターフラワー+ムーンクリスタル=光の共鳴」と書き込む。


「……スターフラワーとムーンクリスタルってなんか繋がってる気がする」

「へえ! いい発見じゃない! 笑顔もキラキラで最高!」


 アーシャの言葉に、胸が温まる。現実世界の私は、笑顔なんて作れなかった。


 だけどこの世界なら、アーシャのポジティブさ、毛玉の無邪気さが私を笑わせてくれる。


「アーシャ、ありがとう。ゆっくりでも、笑えるようになってきたよ」

「ふふっ、ゆっくりでいいのよ! キラキラな毎日にしましょ!」


 アーシャがウィンクし、花冠をもう一つ編む。


 仲間との絆が、療養スローライフを支えてくれているのをひしひしと感じる。



 夕方、庭に戻ると、モスのスターフラワー彫刻がほぼ完成している。


 細かな花の模様が、ルミナ草の光を映す。モスが低く唸り、彫刻を指す。


「賢者の光、人の子に似る」

「え? ……光が似る?」


 モスが頷き、静かに彫刻を磨く。賢者がルミナ草で何を癒したのか、モスの言葉がヒントになる気がする。


 賢者は、ルミナ草の光で心を癒す庭を作った――モスの彫刻が、その記憶を刻んでいる気がする。


 彫刻のスターフラワーが、ルミナ草の光と共鳴するようにキラキラ揺れる。


 私はマナコアのある花壇にムーンクリスタルをそっと追加する。


 ルミナ草の光が一瞬強く輝き、すぐに穏やかに揺れる。


 庭全体が、スターフラワー・グローブのようなキラキラで包まれる。


「毛玉。お庭、めっちゃキレイだね!」

「クゥ!」


 毛玉がマナコアの周りをふわふわ飛び回る。


 モスが低く唸り、彫刻を完成させる。


 光の変化が森の奥と共鳴している気がする。


 ムーンクリスタルの振動が、ルミナ草、スターフラワー、湖の光と繋がる。


 メモ帳に「マナコア+ムーンクリスタル=庭の光、森へ」と書き込む。



 夜、庭の椅子に座り、ルミナ草の光を見つめていると、毛玉が肩に寄り添い「クゥ!」と囁いた。


 現実世界の私は、希死念慮きしねんりょに縛られ、適応障害で自分を責めた。


 朝起きるたび、「今日もダメだ」と落ち込んだ。


 次第に職場で笑えなくなり、夜は涙で枕を濡らした。


 だけどこの世界なら、ゆっくりでも光を見つけられる。


 毛玉の魔法、アーシャの笑顔、シルバの導き、モスの支え――全部が、私の心の光を灯す。


 ムーンクリスタルの冷たい光、スターフラワーのきらびやかな輝き、ルミナ草の柔らかな輝き。


 それぞれが、私の心と共鳴してる。


 メモ帳に「心の光=ルミナ草、スターフラワー、ムーンクリスタル」と書き込む。


 森の光の謎が、すぐそこまで来ている。そんな気がした。


「毛玉! 明日もキラキラな日にしようね!」

 

 「クゥ!」と、毛玉がふわっと抱きつく。


 ルミナ草の光が「焦らなくていいよ」と囁く。


 星空の下、明日への希望が胸に灯る。明日も、きっと、いい日になる――。

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おひとり様の異世界療養記 天羽珀 @haku_amo

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