第10話 光の実験と自分のペース

 異世界生活23日目。


 久しぶりに嫌な夢を見た。職場で浴びせられた数々の罵詈雑言が、壊れたラジオから途切れ途切れの音声を垂れ流すようにシーンを変えて次々と頭の中を駆け巡る。


 時計の無いこのログハウスでは正確な時間は分からないけど、日が昇っていないところを見るとまだ深夜帯だろうか。


「うわ…………死にたい」


 と、ここ最近では全く浮かんでこなかったはずの希死念慮きしねんりょが心をむしばんでいく。


 異世界に来てからほとんど見ていなかったせいか、少し前まで毎日のように見ていたはずの悪夢にひどく心をえぐられる。


 「ハハ…………あれ、おかしいな。最近、結構落ち着いてたのにな」と、引き攣ったような乾いた笑いが口をつく。


「…………人の子、大丈夫?」

「ごめんね、毛玉。起こしちゃった?」

「ううん。人の子、眠れないの?」

「うん……ちょっと昔のことを思い出しちゃって……」


 枕元から毛玉の少年のような柔らかい声が響く。


 すっかり悪夢にうなされていた私は、汗で体に服がまとわりつく感触が不快感を煽り、気分は最悪だった。


 「そっか。じゃあ、毛玉がおまじないかけてあげる」と、触手のようなひんやりした毛玉の手がそっと私の額に触れる。


 すると毛玉の体が光り、浄化魔法スキルが発動する。途端に、まるでお風呂上がりのような爽快感が全身を駆け巡る。


「…………わぁ! 毛玉ありがとう!」


 実は異世界に来てからというもの毛玉は毎晩、この浄化魔法で私の身の回りの衛生面を支えてくれており、私の体はもちろん、衣服やログハウスの中の清潔さも保ってくれている。


 元々、お風呂好きな私だけど適応障害になってから、ベッドから起き上がれない日はお風呂に入れなくなる日も多々あり、そのこと自体にストレスを感じる日々を送っていた。


 だけど毛玉と出会ってから、そんなストレスも一気に解消された。


「大丈夫だよ、人の子。でも、まだお外真っ暗だからもう少し寝てようね」

「うん、そうだね。毛玉、おやすみなさい」

「おやすみ、人の子」


 いくらか気分が安らぎ、そのまま意識を手放した私が次に目を覚ましたのは、お昼過ぎの事だった。



「人の子、よく眠れた?」という毛玉の声に頭が完全に覚醒する。


「――うわぁ! 寝すぎた! ……い、いま何時!?」


 会社員時代の感覚で、まるで寝坊でもしてしまった平日の朝かのように飛び起きる。


「人の子、起きた! ご飯食べよ!」

「え? …………あれ? なんかすごくいい香りがする」


 卓上には、海苔巻きおにぎりと、玉子焼きにお味噌汁というThe日本の朝食セットのようなメニューが並んでいた。


 久しく食べていなかった和食に思わず喉がゴクリと鳴る。


 毛玉が「ご飯! ご飯!」とテーブルの上をふわふわ飛び回る。どうやら毛玉が具現化スキルで用意してくれたみたいだ。


 おにぎりを一口かじると、懐かしい海苔の香りとご飯の甘みがじんわりと口の中に広がる。味噌汁の温かさが、どっと胸にのしかかっていた悪夢の重さをそっと溶かしてくれるような気がした。


「毛玉、ありがとう……すごく美味しいよ」

「クゥ! 人の子が笑うと嬉しい!」

「えへへ……ありがとう、毛玉」


 一方、窓の外ではモスが花壇の周りで肥料を撒いたり、木材を切ったりと何やらガーデニングとDIYに勤しんでいる様子。


 家庭菜園の畑では、スターベリー・ルートの星形の根っこが青白く光り、ムーンキャベツの青紫色の葉が輝く。


 昨日のロールキャベツ作りや、みんなの笑顔を思い出すと、胸が少し軽くなる。


(悪夢を見るのは久しぶりだったな……でも、この世界には毛玉がいる。モスも、シルバも、アーシャもみんながいる。だからきっと大丈夫だよね)


 モスが花壇のそばでムーンルミナの彫刻をカッ、カッと削っている。苔むした巨体が、霧に静かに光る。


 モスの過去――賢者が作った森の守護ゴーレム。ルミナ草の謎を解く鍵が、モスの彫刻に隠されている気がする。


(……今日こそ、ミストクリスタルを使った実験をやってみよう)


 シルバに導かれ辿り着いたミストスプリング。そして、そこで手に入れたミストクリスタル。


 メモ帳には「ミストスプリング=魔力の調和」「ミストクリスタル=魔力の分散」とある。マナコアの魔力が集中しすぎてルミナ草の光が不安定だった。


 マナコアとレイククリスタル、それからスターベリー・ルートとミストクリスタル――これらを使えばきっとルミナ草の光を安定させられるはず。


 カゴにミストクリスタルとスターベリー・ルートを詰め、毛玉を肩に乗せて庭へ出る。


 マナコアを庭の中央へ設置し、土を掘り、ミストクリスタルをマナコアの周りに円形に並べ、さらにスターベリー・ルートを外側に植える。


 毛玉が「ピカピカ、実験!」と跳ねる。


「よし、これでどうかな?」


 マナコアがほのかに光り、ルミナ草の花が一瞬強く輝いて、すぐに柔らかく揺れ始めた。光が、まるで湖の水面みたいに穏やかだ。


 庭全体のルミナ草が、キラキラと静かに輝き、まるで私の心の落ち着きと共鳴している。


「毛玉、実験成功だよ!  ルミナ草の光が落ち着いてる!」

「人の子、すごい!」


 モスが低く唸り、彫刻の手を止めてマナコアを見つめる。ムーンルミナの彫刻が霧にキラキラ光り、まるで「よくやった」と言っているみたい。


 メモ帳に「マナコア=ミストクリスタル+スターベリー・ルートで安定」と書き込む。


 悪夢の重さが、ルミナ草の柔らかい光で少し和らいだ気がする。



 毛玉と実験の成功を喜んでいると、シルバが庭の隅で銀色の毛並みをキラキラ揺らし、湖の方にチラチラと視線を送っていることに気づく。まるで青い瞳が「ついておいで」と、言っているみたい。


「シルバ、またどこかに案内してくれるの?」


 毛玉が「ピカピカ、冒険!」と肩で跳ね、シルバが尻尾を振る。


 モスに「行ってくるね!」と声をかけ、探検用のトートバッグを引っ掴み、湖へ向かう。


 湖畔に着くと、巨大な魚影が水面をキラキラ揺らす。湖のヌシが、輝く鱗を光らせて顔を出す。


「おや、人の子よ。随分と心が揺れたようじゃな」


 湖のヌシのしわがれた渋い声が、ゆったりと響く。


 以前、湖のヌシが言っていた「心が響く」と言う話を思い出す。まるで悪夢で揺れていた私の心を、湖のヌシに見透かされているみたいだ。


「うん、ちょっとね……でも、毛玉が助けてくれたから大丈夫。湖のヌシ、今日は釣りに付き合ってくれる?」

「うむ、人の子よ。その調子だ。自分のペースで進みなさい」


 湖のヌシが水しぶきをキラキラ跳ね上げ、笑う。毛玉が「ピカピカ、魚!」と湖畔をふわふわ飛び回り、シルバは私の隣でそっと地面に伏せて私たちの様子を見守るようにじっと待ってくれている。


 私は釣竿を手に、湖のヌシと時々おしゃべりしながらゆったりとした時間と釣りを満喫する。


 結局魚は釣れなかったけど、湖の光がキラキラ揺れるのを見ているだけで、なんだか悪夢のモヤモヤが薄れていくような気がした。


 湖のヌシが水面を揺らし、落ち着きのあるしわがれた声をそっと響かせる。


 「人の子よ、光は心と共にある。ルミナ草の光は森の光と常に繋がっておる」


 その言葉を新たなヒントとしてメモ帳に「ルミナ草=森の光」と書き込む。湖の水面が、ルミナ草の光を映してるみたいに穏やかだ。


 その後湖のヌシに別れを告げ、私たちはそのままシルバに導かれるまま森の奥へと進む事にした。



 シルバが湖畔の小道を進み、霧がキラキラ漂う森の奥へと導く。木々の間を抜けると、幻想的な植物が群生するひらけた丘にたどり着く。


 すぐに鑑定スキルを使ってみると、そこは――スターフラワー・グローブと呼ばれる場所であることがわかった。


 スターフラワー・グローブ:スターフラワーという植物が群生する場所。


 スターフラワー:小さな青白い花で、ルミナ草と似た光を放つ植物。


 群生地と言うだけあって、無数のスターフラワーが青白い光を放ち、まるで星空の絨毯が地面に広がっているみたいだ。


「わぁ、綺麗……! こんな場所、初めて!」

「ピカピカ! この花、すき!」


 毛玉がスターフラワーの群生する丘にちょこんと飛び乗る。そこへ、アーシャが「はぁい、可愛い子! このキラキラ、最高じゃない!」と風と共にフワッと現れる。


「アーシャ! そうなの! シルバが連れてきてくれたの。この花、ルミナ草に似てるよね?」

 

 アーシャが「言われてみればそうかもね! それなら、もっとキラキラにしなきゃね!」と手を振ると、キラキラの蝶がスターフラワーに舞い、光がチカチカ点滅し始める。


「え、ちょっと、アーシャ! またやりすぎ!」

「うわっ、ごめん、ごめん!」


 蝶がモクモクと光を巻き上げ、スターフラワーがたちまちキラキラの嵐に包まれる。シルバが尻尾を振って光を落ち着かせ、毛玉が「ピカピカ、変!」と私の肩に飛び乗る。


 デジャヴを感じるアーシャの失敗に、みんなで笑い合う。


「アーシャったら、キラキラもいいけど、控えめにね」

「ふふっ、またまた反省! でも、今回もいいキラキラ実験だったわ!」


 アーシャのポジティブさが、悪夢の重さをさらに軽くしてくれる。スターフラワーの光が、ルミナ草とそっくりだ。


 メモ帳に「スターフラワー=ルミナ草と似た光」と書き込む。ルミナ草の光が、森全体と繋がっている気がする。



 夜、庭の椅子に座り、毛玉と星空を見上げる。カゴの中で、ミストクリスタルが冷たくキラキラと光っている。メモ帳には「ルミナ草=心と光」「自分のペース」「森の光」と走り書きが並ぶ。


「ねえ、毛玉。私、これからは自分のペースで生きていきたい」

「うん! とってもいいと思うよ!」

「ありがとう、毛玉」


 現実世界の私は、悪夢や希死念慮きしねんりょに縛られ、適応障害で何もできない自分を責め続けていた。でも、この世界なら、ゆっくりでもいい。


 毛玉の魔法スキル、アーシャのポジティブさ、シルバの導き、モスの寡黙な支え、湖のヌシとのゆったりとした時間――全部が、私を支えてくれる。


「この世界なら、私、生きていける。ゆっくりでも、ちゃんと前に進める気がする」


 星空の下、ルミナ草の光が「焦らなくていいよ」と、柔らかな光を放ちながら囁いてる。毛玉が「クゥ!」と寄り添い、明日への希望が胸に灯る。明日も、きっと、いい日になる――。

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