第3話

「今夜の依頼人は一般人Hさん。なんでも半年前ストーカー被害に遭ってて警察に通報したらストーカーの女がヒスってマンションから飛び降りたんだとさ。不謹慎にもやっと安心して眠れると思ったら、夜中になると変な寒気と一緒に飛び降りてくるんだってよ、死んだはずのストーカー女が、また同じように屋上から、毎晩。その後はどういう訳かベランダまで来て、ずっと窓をカリカリ猫みてえに引っ掻いてるんだと」

 少し狭い軽バンの車内。猫駒さんの口から怪談を語るような口調で紡がれる依頼内容は、傍から見ていればただのタチの悪い作り話。なにかの見間違いとしか思えない内容だった。しかし、私はこの話が少なからず本当であろうことを本能で感じ取っていた。

「死傷者は今のところなし。窓の外から見てるだけっぽいけど、いつ襲うかも分かんない。人の形が残ってなくても不思議じゃ無いねェ」

 落下死した人の姿を想像してみるが、あちらこちらに曲がった手足を思い浮かべたあたりで想像するのも嫌になり、私はかぶりを振った。すぐ隣を陣取る長い足に負けじと自分の存在を主張しながら、窓の外を見る。時刻は夕暮れ、もうそろそろ帰らないと門限を破ることになるだろう。まあ別に破ったとて、咎める人もいないのだが。

「ねえ猫駒、俺がおかしいのかな。それともお前が俺の話を聞いていなかったのかな、どうしてこの車に部外者が乗ってるの?俺帰れって言ったよね?」

 狭い車内で私の隣を陣取る長い足の持ち主、時雨さんがさも不機嫌そうに声を上げた。それに私も負けじと言い返す。

「別に猫駒さんに無理言って着いてきただけなので、どうぞお気になさらず。前にも出ません、猫駒さんと車で待ってますので。あ、そこ右です」

「何がしたいんだ一体……」

 不服そうに時雨さんは足を組み直す。私はそれを知らん顔して猫駒さんにある場所へ向かってもらっていた。必要な物を受け取りに行くためだ。

「多分着いたよヒトちゃん。ここ、金物店だけど合ってる?『鬼研塚』とかいうスッゴイ凶悪な名前してるし……」

 しばし険悪な静寂が流れていた頃、車はようやく私の目的地に着いた様だった。確かに猫駒さんの言う通り名前はちょっと怖いが、中身は至って普通の金物店だ。店主も優しくていい人だ。私の中で一番信頼出来るのは、ある意味、何も知らない他人という点ではこの人しかいないだろう。

「合ってますよ。ちょっと受け取らなくちゃいけない物があるので、三分程お待ちください」

「だってさ猫駒、三分あればこの子置いて現場に向かえるよ。置いてけって事じゃないの?」

 この人はどうしたって私を置いて行きたいんだろう、まあ確かに足手まといが来たところで怪異の狙う的が増えるだけの話だ。理解はできる。困るけど、置いて行かれたらそれまでの話だ。そう思って私はさっさと店の扉を開ける。

「いらっしゃい。仁見ちゃんか、約束通り研ぎ終わってるよ」

 扉を開けると鼻を突く研磨剤と煙草の香り、ショーケースに並んだ刃物達が私の顔を鈍く反射している。

「鬼研塚さん、お久しぶりです」

 皺だらけの顔でニカリ笑う鬼研塚さんは待ってましたとばかりに裏から桐箱を出してくる。そんな大層な箱に入れなくてもいいと買った時にも父が言っていたのに、結局鬼研塚さんが譲らなかったのをよく覚えている。

「しかしまぁ、お前さんも律儀だね。死んだ親父の包丁を研ぎたいなんて、仁美ちゃん位だった頃の俺だったら絶対に考えつかねえ、ましてやあんなこと……いや、野暮だな」

 古ぼけたライターでタバコに火をつける鬼研塚さんのボヤきを無視して、恐る恐る桐箱に触れる。ゆっくりと蓋を持ち上げれば、見覚えのある輝きがきらりと、私を嘲笑うように目に入る。

「随分、綺麗になりましたね」

 喉から絞り出すように言えば、鬼研塚さんは煙で輪を作りながらしゃがれた声で笑う。

「当たり前だ、この鬼研塚オレが研いでんだ。どんなに錆びてようが俺の手にかかりゃこの通りだよ」

 変わらないその言葉と態度に私は少し安心して、桐箱を抱き寄せる。切っても切れない縁が、私に絡みついているのを再度思い出す。

「お代はここに置いておきます。お釣りは大丈夫、いつもお世話になっているので」

「そうかい、また来いよ」

 桐箱を抱えた私を一瞥した後、鬼研塚さんは灰皿へ煙草を押し当てながらいつもの挨拶を交わす。このぶっきらぼうさの裏にある小さな優しさは、昔から私に対する態度が変わっていない証拠だった。

 扉を開ける。視線の先にはこの一日ですっかり見慣れた軽バンと、それに寄りかかって不機嫌そうにスマホをいじる美青年。扉が音を立てて閉まれば、少しだけスマホから目線を外して一言。

「遅い」

 とだけ口を開いてさっさと車に乗り込んでしまった。どうやら、同行が許可されたらしい。どういう風の吹き回しか分からないが、さっさと行かないと本当に置いて行かれそうだ。そう思って私はさっさと車に乗りこんだ。

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