第2話
「……うるさくてごめんねェ、気性の荒い猫が住みついてんのさ」
「構いません。動物は好きなので」
バツが悪そうに私から目を逸らす目の前の男に、私はそう笑いかける。猫が果たしてあんな音を立てて落ちるものかと疑問が残るが、別にそんなことは今の私にとってどうでもいい些細なことなのだ。
「そんじゃ改めて自己紹介。オレは
顔では人好きのいい笑みを浮かべているが、どう見てもこの人は私を警戒している。まあ当然のことだろう。いきなりやってきた上で依頼内容が『友達になりたい』なのだから、裏があると考えても何らおかしく無い。
息を吸って、吐き出して。ソファーにもう一度深く座り直せば、古びたスプリングが軋んで、うっすら
「私、化け物が見えるんです。ほとんどの人には見えてない、欲望のままに人を貪り食う化け物が」
「ふぅん、時雨に何とかしてもらいに来たの?」
「いいえ別に。折り合いは既につけているので必要ありません」
化け物が見えるのなんてどうだっていい。私は今、ただひとつの目的の為に動いている。たった一つ、あの日決めたことのために私はこうしてここにいるのだ。
「四年前に一度、助けて貰ったんです。あの人は輝いていました。日が落ちきった夜の街で、あの人は私に憧れを見せてくれました」
色褪せた名刺を取りだして、くすんだ色の古びたローテーブルに置く。四年の歳月でよれたり汚れたりしてしまったが、まだちゃんと内容は判別できるはずだ。
心持ちはかつてから変わってしまったけど、私は違う私になりたい。使えもしないカッターを構えて涙を流している私じゃなくて、あの人のように、時雨さんのように一人で立てる人になれるように。
「強くなりたいんです。強くなって、時雨さんと対等に話せる友達になりたいんです。憧れじゃなくて、対等に」
「アイツに憧れた。ねェ、趣味が悪ィよお嬢さん。今からでも他の男にしない?オレとか今フリーなんだけど」
それは強く『やめておけ』と私に伝えてくるような質問で、猫駒さんの目はこちらを見定める視線をついに隠さなくなった。
静かな事務所に時計の針が進む音だけ響く。口を開くのが躊躇われるが、この質問に答えられなければもう二度と私は前に進めないだろう。そう思った。
一度目を閉じる。軽く息を吐いて、静かに吸う。ゆっくりと目を開いて、相手に目線を合わせる。
「遠慮しておきます。じゃないと、私は変われないから」
口から出た言葉は、私の心の底からの本音だ。
猫駒さんは私の顔を穴があきそうなくらい見つめた後、呆れたようなため息をひとつ。徐にポケットからスマホを取り出した。どこかに電話を掛けるらしいそのスマホの背面は、色んな種類の猫のステッカーで埋め尽くされている。
「もしもし?あァ、うん。お前にお客さん。女の子だよ。あ、お前さっき寝ぼけてベッドから落ちたろ、こっちまで響いてる。うん、着替えてさっさと降りてこい。二分だ、間に合わなかったらこの先一週間お前の分の昼メシは作らない。それじゃ」
電話先の相手が誰かは何となく察しがつくが、もう少し容赦があっても良いのでは無いだろうか?電話を切った後「ごめんねェ、ちょっと待ってて」と言って笑う猫駒さんに対してどういう返事を返すのが適切なのか、私には分からなかった。
だいたい一分半が経過しようとした頃だろうか、猫駒さんが徐に口を開いた。
「あァそうだ、お嬢さん……仁見ちゃんだからヒトちゃんって呼ぶね。ヒトちゃんが最後アイツに会ったのが四年前だから……多分今のアイツを知らないよな。ちょっとショック受けるかも、てかなんならその依頼達成できるか怪しいかも」
今のアイツ……時雨さんの事だろうか、四年前とそんなに違うのかと問おうとしたが、その言葉が紡がれることは無かった。
「猫駒、流石に二分は鬼なんじゃないの?」
憧れが、四年前と同じ姿で私の前に現れたからだ。
「お客来てるって言ってんだろ、非常勤のお前とは違ってオレは忙しいの!それにこの子は俺の客じゃない、お前に用があるんだよ」
「ふうん。それで?見るからに急用でも無さそうだけど、何しに来たの?」
私の中で、憧れの姿が崩れる音が聞こえた。はて、こんなに冷たい人だったであろうか?私が知らないだけで、元々こういう人だったのかもしれないが、あの軽薄な笑みとはまた違った冷たい距離感に、私は少なからずショックを受けていた。
「あ、あの私」
「言わなくていい、全部聞いてたし。よくもまあいけしゃあしゃあと友達になりたいなんて抜かせたものだ。俺と対等に?笑わせないで、こっちは命かけてるんだ。何を勘違いしたのか知らないけど、俺は何も出来ない小娘を横に置いて戦うつもりは無い。わかった?」
繰り出されるマシンガンのような言葉は、以前と変わらずこちらの口が開くことを許さない。以前より冷たくなった言葉は私を明確に拒絶していた。
「何もできないのなら、そうであることに感謝した方がいいよ。さあ猫駒、話は終わりだ。今夜だってやることがあるんだ、要らない手間が増える前にさっさとその子を帰してやって」
ぱたり。パッと見たところ棘しか見当たらない言葉とは裏腹に優しく閉じられた扉を、私は呆けながら見つめることしか出来なかった。
「あいつほんとサイテー。結構付き合い長いけどあそこまで酷いとは思ってなかったわ。酷いやつでごめんねェヒトちゃん、でもあんなノンデリやめた方がいいよ。甲斐性もないし」
呆れたようにため息をつく猫駒さん。その後も私を慰めようと色々声をかけてくれたけど、私はまだ彼の去っていったあの扉から、目を離せないでいた。
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