第26話:「アスフォデルスの取り扱い説明書26・消えてしまった」


 あの時と同じ黎明。部屋にある時計の針は朝の五時を指していた。

 己(おれ)は、アスフォデルスの工房にいる。三階建ての建物で、中は奇妙な品がいっぱいある。まさに錬金術師って感じの部屋だ。

 家の外にはバルレーン達が場所を横に付けて待っている。


「ちょっとー、遅いよー」

「待ってて下さい、今行きます」


 窓の向こう、バルレーンが催促する声が響いた。これから潜るのは街の北側にある『金榮殿の迷宮』である。事前の情報だと十階を境に遠く離れた距離から弓で狙い撃ちにされる事が多いという。この徒党は何せ遠距離への攻撃手段が少ないのが難点だ。


 己は守りを重点的にしなくちゃいけないし、バルレーンは基本病人。ユーリーフは矢の魔術を使えるものの、ゴーレムの操作や回復とやる事が多すぎる。そこで役に立つのが魔法銃だ。

 アスフォデルスは、冒険者を続けるらしい。

 理由はすごく簡単で、生きる為。


「火傷の症状はラベンダーの霊薬を元にした軟膏でなんとかしましょう。光苔も砕いて混ぜてます、一日一回必ず塗ってください」


 昇りつつある太陽に照らされ、机の上の鏡が一度輝く。

 アスフォデルスは己の為に迷宮用の道具を作ってくれていた。

 己達は、生きる為に迷宮に潜らなくちゃいけない。地上での仕事も考えたが、地上での冒険者の仕事は殆ど軍が取ってて少なく、働くならやっぱり迷宮しかない。


「そして、これは強化ランタン。魔力電池で動いて、普通のランタンより強く周囲を照らしてくれます。もしもの時は、この装置を使って血を魔力電池に入れて下さい……そうすれば再度動きますので」


 新しいランタンと、手の中に納まる程の四角い箱が机の上に並ばされる。更に――


「それに今まで使っていたローブにも仕掛けを。短時間ですが魔力電池で発光する様にしました。隠密性は薄れますが、単独行動も取れます」


 全てアスフォデルスが己の為に作ってくれた物だ。

 説明を終えたアスフォデルスは手早く身支度を整える。彼女は自分の髪に手を伸ばす。腰まで届く髪を一房の三つ編みにし、その先を止めるのは黒いリボンだ。

 そこで少し手が滑り、リボンを床に落とすが己がそれを拾い、彼女の髪の支度の最後をしてあげた。


「ありがとうございます、ファングイン……さん」


 あの日以降も、アスフォデルスは己達と再び組んだ。あれだけの事があったからか、どことなくギクシャクした空気が漂っているが、不思議とアスフォデルスは徒党を離れる事はなく、己達もアスフォデルスを離す事は無かった。ユーリーフは己とアスフォデルスが二人っきりになるのに、少しばかり難色を示したが、バルレーンがそれを宥めると渋々了承した。


「ファングインさん……」


 間が一度。躊躇いが、そこから滲み出る。


「………………ねぇ、ファングイン。貴方の顔、見せてくれませんか?」


 何時ものさんを付けず彼女がそう言うと、己はフードを上げその顔を見せる。そうするとアスフォデルスはぽつりと……。


「化粧っ気が無さすぎますね……少し動かないでください」


 ……彼女がそう言うと、ポケットから口紅の入った平たい皿を出し右の小指で一掬いして己の唇に右から引いた。


「ほら、これで美人が出来ました」


 アスフォデルスが右手の手鏡を渡すと、顔が映る。唇には鮮やかな朱色が引かれている。……そう言えば、これが生まれて初めて引いた口紅だ。少しの間を空けて、アスフォデルスはゆっくりと口を開く。


「私は、やっぱり貴方の事を自分の子とは思いません……」


 そうだね、アスフォデルス。貴方にとっては、きっとそうだろう。

 その時、一瞬間が生まれる。言葉に詰まり、微かに漏れる声は震えを帯びていた。

 それでも、震える喉と唇を必死に動かして生まれた言葉は――


「でも、それでも色んな事を考えましたが……今は貴方がいてくれて良かったと思ってます。生きてちゃいけない奴と言って申し訳ありません。それは、貴方の人生に対する侮辱でした」


 彼女は、申し訳なさそうにそう言う。それだけで十分だ、ただそれだけで。

 その青い瞳に己の顔が映る。我ながら何処か不安そうな顔をしていた。彼女はしばし戸惑うと、そこで一旦笑う。


「ほら、笑って」


 それは何処か、ファルトールに似ていた。

 少し反応が遅れた。青い瞳の中では一瞬きょとんとした顔が映る。それでも頑張って、生まれて初めて自分から彼女に笑いかけてみる。

 ……誰かと訣別したとしても、ほんの少し。ふとした言葉の端々にその影が響く時がある、それが人生という物だと己は思う。

 笑ってと、そう言うとアスフォデルスはあの時と同じ様に己の頭を両手で抱き寄せた。


 我が子とは認めてくれなくても――それでも抱きしめてくれた。

 彼女も怖かった筈なのに。それだけで今までの全部が報われ、救われた様な気がした。

 ……己はこのぬくもりを、絶対忘れない。


「違う人になりたかったんです。自分が、どこまでもどこまでも嫌いだったから……だから体も名前も変えたんです」


 己も、その細い体を抱き締める。間違っても壊してしまわない様に。


「でもアスフォデルス、という名前は手向けの花にしました。これからは、別の名を名乗ろうと思うんです……」


 アスフォデルスの花言葉を思い出す。不凋花、不死の花の花言葉は『私は貴方のもの』、『生涯信じます』、『わが後悔は死ぬまで汝につきまとうであろう』。……きっと彼女がもう名乗る事はないだろう。


「ファングインさん。貴方には、私の本当の名前を知っていて欲しい」


 右耳に唇を寄せ。そっと、誰にも聞かれない様に。


「私の、本当の名前は……」


 多分。

 いつも己達の事が嫌いな幸せが、この時ばかりは微笑んでくれたらしい。少しばかりの、後にも先にも一度きりであろう奇跡が起こる。


「ちぇ、る……ーど」


 それは誓いの名。死と訣別し、生を歩む名前。

 アスフォデルスは一度涙ぐむ。鼻を啜る音も。


「……不思議ですね、今まで嫌いだった名前が……貴方に呼ばれたら……」


 己も、思わず鼻を鳴らしてしまう。机の上の鏡にはもうアスフォデルスはいない。


「チェルード。……それが、私の名前」


 一息置いて。


「故郷で、“木の葉”を意味するんです。それが、それが私の本当の名前……貴方に呼ばれるその声の中で、これから生きてくの」


 そこで外から声が。


「ちょっと、まだー!?」

「妾、今日は新型ゴーレムを試したいのじゃ! 早く行かねばデク共が無くなってしまうぞ!」

「……感傷に浸る暇も、へったくれもありませんね。貧乏暇なしって事ですか」


 青い瞳に、茶色い髪が揺れる。

 その姿に夜明けが、朝焼けが重なる。

 ここにいてもいいよと、咲き誇る祝福の花の様に。

 体を離すと、彼女は右手を差し出し。


「行きますよ、ファングイン。一緒に」



 ――この日を境に、魔術師アスフォデルスの名は一切の記録から消える。代わりに一人の冒険者が生まれたが、その因果を結びつける物は何もない。

 アスフォデルスが何処へ行ったのか、それは誰も知らない。

 罅割れた賢者の石は、今も彼女の胸の中で沈黙している。だが、それでも名を失った彼女は歩く。

 不死の花すら手放して、代わりにその柔らかい体を抱きしめて。



「チェルードか。変わった名前だね」


 青空への道が出来上がってく中、バルレーンがぽつりとそう言う。


「……気に入ってるんです。私の、本当の名前だから」


 一つの時が止まり、一つの時が動き出す。

 月は沈み、星は消え、代わりに太陽が空に。


「見てください、ファングイン。――今日は晴れですよ!」

「……」


 朝焼けの空の下、彼女は黒いリボンで結わえた三つ編みを揺らしながら前を向いて歩き始めた。

 魔術すら失って、それでも尚生きる為に。そこに大きな影が重なる、いつまでも離れずに。


 消えたアスフォデルスの一生。


 そして現れる、チェルードの生涯。


 (了)

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消えたアスフォデルスの一生 上世大生 @tomoi66

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