第23話 最終決戦と人は呼ぶ
例えばゲームでラスボスを倒す時、それは決戦と呼ばれるもので間違いないだろう。ラスボスは魔王で対峙するのは勇者だ。魔王は悪で勇者は正義。
そんな単純な世界は現実にありはしない。
それではラスボスが神で神を倒すのは元勇者。それも煩悩の塊だと付け加えておこう。その彼らの戦いは何と呼ぶ?答えはきっと最終決戦だ。
魔王はラスボスではなかった。フェイクとも言える。
以前の戦いでは勇者の側には仲間たちがいた。酸いも甘いも分け合った心底信じ合える友たち。
今は誰も側にいない。
たった一人、元勇者は敵と向かい合っている。
彼女の首にかかったハルシュフェスタの王の手は軽く捻っただけでも彼女の細い首を折ってしまいそうだ。それでも塔子に恐怖はない。
「神が人に加護を与えるのはなぜかと考えていた」
英砥は脳筋の勇者ではない。回転の速い優秀な頭脳を持ち、見識も高い。おまけに好奇心も旺盛で博愛の精神の持ち主だった。さらに言うなら、神官とはまた違う高潔さを持ち、気高い魂は多くの人々を魅了してやまなかった。
そんな彼が気が付いた単純な事実。
「神が加護を与えることによって世界に影響を及ぼせるってところかな。彼女は直接この世界に手を下せない。そこには明確な不文律があるんだろう。だから加護を使う。加護を与えたから勇者を魔王にすることも可能になった。なんてひどい詐欺だろう」
塔子の可愛らしい口からは嘲るような色を持った言葉が発せられる。
「詐欺だって?神に愛される奇跡を詐欺呼ばわりとは」
「加護、奇跡なんて浅はかな言葉に騙されているうちは幸せだよね。その本質が呪いだなんて思わないから」
塔子は軽く王の手を払いのけた。瞬間、彼の手が形を失った。
「なんて力だ。非力な少女がなぜ」
塔子の魔力は英砥と違って少ない。才能も、ない。
「英砥はね、最初から神を疑っていたんだよ。だから正式な加護を実は貰っていない。神は与えた気になってたけどね。まあ、確かにこの世界にいる限り、神の影響を受けない訳にはいかなかったけど。いきなり異世界に来させといて信用してくれなんて、そんな都合の良い話はないからね。魔力があったのは英砥が他の神に会う機会があって身につけたから。対価にその神の世界の方で一働きしてきたけどね。他にもここの神の知らないところで努力してきたんだよ。全部英砥の努力の成果。そして英砥が倒した魔王がくれた最後の力も。それは何だと思う?」
塔子は見た目だけは清らかに微笑んだ。対する王は空虚な目で塔子を睨む。
「君たち、と言って良いのか、神と傀儡の王が再度勇者を呼ぶことを魔王は分かっていた。だから彼は妨害の魔法を私たちにつけてくれていた。君らの手に落ちないように。さすが元正当な王だよね。そしてあなたが私に接触してきたと同時にこの真実に辿り着く記憶と力を与えてくれた。皮肉な話だけど、神の加護で魔王となった王はその力を捻じ曲げて神のものではない力にすることができた。存在自体は神の規定から逃れられなかったみたいだけど。だから私には魔王の加護があったりするんだよね、実は。こんな情報量、いきなり戻してもらっても脳内大混乱してるんだけどね」
「何を馬鹿なことを。偉大なる神を愚弄することなど出来はしない」
王の言葉に塔子はふと笑みを漏らした。冷たい表情だ。
「どれだけの長い時を彼らは耐えたと思う?勇者に滅ぼされることを願いながら、彼らが何も策を弄さなかったと?馬鹿にするのもいい加減にして欲しいな。この世界を作ったのは確かに神かもしれないが、そこに生きて暮らして足掻いているのは人間たちだ。この世界を動かすのは神ではない」
ぼんやりと塔子の体の輪郭が光っているのは魔王の力だったのだ。
「私は忘れていた。彼らの想いを」
魔王を討伐した時のことを英砥は忘れさせられていた。それが口惜しい。
塔子である今は自分以外の者に翻弄されたことに腹が立つ。
「やり直す時間を魔王が与えてくれた。それって君らを徹底的に潰すチャンスをくれたってことで理解してる」
塔子はそう言って手に力を集める。
「何と罪深いことを」
王は言って歪に笑った。
「神を相手に勝てるわけがない」
「ま、普通はそうだよね。神殺しって言葉は禁忌みたいになってるし」
軽い口調で塔子は言った。
「ふぅ、疲れるね。神を殺すくらいの力を貯めるって、結構重労働」
ふふふ、といたいけな美少女という風情で塔子は微笑む。普段は世俗に塗れすぎて陰っている彼女本来の美貌が輝いている。
身動きすらできなくなっていることに気がつかない神の傀儡である王はただその美しい娘を見つめている。
「塔子」
不意に隣に宗十郎が現れた。
「やっと居場所が分かった。元気そうで安心した」
塔子の眩い笑顔が貪欲な証であることを知っている宗十郎は心底嬉しそうに言った。
「全く、君ってやつは。大抵フラッと出て行って厄介ごとに首突っ込むんだから困った奴だよ。勝手なことして勝手に解決して帰ってくる性格、今度こそ直してくれよ」
バレンシアが魔法使いらしい長い杖を高々と掲げて宗十郎の隣に立って言った。彼の杖から放たれているのは守護の結界だ。
「皆さん、塔子様はまごうことなき尊きお方。ありのままの姿で宜しいのです。わたくし達は塔子様を支えて塔子様が行くべき道を整備して差し上げるのが仕事です。たかだか魔法使い風情が塔子様に説教するとは分不相応。恐悦至極。伏して謝るべきなのです」
神々しい美貌の大神官バルトライがバレンシアの隣で高説をかます。
「はいはい、みんな仲良くね?」
元勇者御一行のメインメンバーの後ろで王太子エレミアが穏やかに声をかけた。
塔子は目を見開いて彼らを見つめる。
世紀の美貌が大渋滞を起こしている。カメラは?カメラはないのか。この眺めをデータにして売れば儲けられるのに。
いや、その前に。
「どうしてここに?」
「どうしてじゃない。月光宮を出るなんて馬鹿なことを」
怖い顔でエレミアが叱ってくる。そんな怒った顔も素敵だな、と塔子は頭の隅で思う。
「月光宮の騎士たちが塔子様がいないと神殿にも捜索願を出されたのです」
答えるバルトライの神々しい笑顔が目に眩しい。
「僕たちは月光宮の結界から出た塔子の気配を感知して急いで跳んできたってとこ」
バレンシアは宗十郎と頷き合って言った。
「ともかく、敵が神だなんて聞いてないけどな」
宗十郎が非常に覚えのある挑戦的な笑みを浮かべた。
「エリック、もう動けるのか」
塔子は恐る恐る尋ねた。
未だに信じられないし、怖い気持ちが勝るのだが。
宗十郎はエリックの魂の半分を持っている。
魔王の最後の魔法でそういうことになっていたらしい。塔子もたった今理解して半信半疑だったのだが。
目の前の宗十郎はエリックの面影どころか、本人そのものに見える。ただ大柄なこちらの世界の人間に比べると塔子たちの世界の人間は小柄なので宗十郎の体も彼らに比べると小柄に見える。
「心配させやがって、この野郎」
英砥が唯一エリックに見せる気安い態度と同じ様で塔子はその言葉を口にした。
「俺も知らなかったんだから、仕方ないだろ」
宗十郎が片眉を上げて言った。そんな仕草もエリックそのもの。
塔子と本人の宗十郎にしか分からない会話だったが、察しの良い仲間たちは全員宗十郎に注目して納得顔になっている。
「何だよ、本当に人騒がせなやつだな」
バレンシアが思ってもみなかった「宗十郎がエリック」という事実に苦笑して、エレミアもバルトライも複雑そうな表情を隠しもしない。
「仲良く団欒中悪いがね、こちらは忙しい身なんだ。後で出直してもらおうか」
神の傀儡である王が呪縛が解けたように後退しながら言うが、すぐに足が止まって動けなくなる。
「父上、私が公務を引き継ぎますのでご安心を。いつでも引退なさって良いように万全の備えをしてあります。心置きなく消えて頂いて構いませんよ」
肉親である王太子の表情は容赦なく相手を潰す時の冴え渡る美貌になっている。塔子は内心「またしてもシャッターチャンス到来!」と叫びながらも心を鬼にして敵に視線を集中させた。
「ふははは。愚かな人間ども。神の怒りに触れればどうなるか身をもって知るがいい」
悪役がよく言うようなセリフだよな、と塔子がどこか他人事のように思いながら聞いていると宗十郎にはそれが分かったのか、少し呆れたような視線を隣から感じる。塔子は無視して先ほどから力を溜め込んだ右手をゆっくり持ち上げる。
英砥とは違う苦労を知らない小さな手。
この手には魔王に堕とされた無念の勇者、歴代の王たちの力がこもっている。
積年の神への恨みは確実に神殺しの力となっていった。
神の傀儡である王を通して実態を見せない神への攻撃となす。
意に染まぬからと、そう何度も国を作り替えられてたまるものか。
王から発せられる圧倒的力の激流をバレンシア、バルトライの両方の魔力が防ごうと結界を形作る。それに加えて宗十郎の攻撃魔法が炸裂する。
力と力がぶつかり合う中で塔子は静かに右手を拳銃のように構える。人差し指を相手へ向け、「神」に照準を合わせる。
轟々と渦巻く巨大な力同士の反発の波に体が吹き飛ばされそうになっても、塔子の集中力は切れない。
王の向こうの神が息を呑む。
今こそ。
塔子の指から漆黒の弾丸がほとばしる。
暗黒の軌跡がどんどん広がり辺り一面を飲み込んで無限の闇を作り出していく。それは王もその背後の神をも飲み込んでいき、やがて収束して見えなくなるほど小さな点となり、プツンと弾けて消えていった。
「え、なんか呆気なくない?神殺しだよね」
バレンシアがすぐに反応して声を上げる。やや不満そうなのは仕方がない。塔子もそう思っていたところだ。
「そう言うことを言うものではありませんよ、バレンシア」
バルトライが諌めるも、彼も同等の意見のようだった。
「父上は、どうなったのだ」
エレミアは今後の算段をつけているのか政務の時の抜け目ない表情で説明を求める。
「えー、どっちの王様ですか?魂の方の陛下は魔王だった訳で、英砥が冥土へ送ってくれましたし。それは別の神の管理しているところなのか、ちょっと僕もよく分からないけど。体だけの陛下は神様ともども消えちゃいましたね。すごーい、僕たち神殺しを成し遂げましたよ?」
バレンシアのいつもとは違う馬鹿みたいな発言にバルトライが咳払いをして注意を促している。
バレンシアはそれでハッと気がついて姿勢を正した。
「とにかく神がいなくても僕たちは国を守って運営していかないといけないってことですね。殿下、御即位おめでとうございます」
深々とお辞儀をしてからエレミアに忠誠の敬礼を捧げる。バルトライもそれに倣い、同じく忠誠の敬礼を捧げた。
「神がいなくても世界は壊れない、という認識であっているのだな」
「それは私が保証します」
エレミアの言葉に塔子が答えた。
「そもそも、神、いや彼女がこの世界を作ってから本当は見守るだけで介入してはいけないらしいのです。彼女の行動を他の神様たちも問題視していたらしくて、時々分からない程度にこの世界に介入されていたみたいです。それで英砥だった頃に知り合った神様にちょっと確認を取ったところ、彼女を消しても問題ない、とのことでした。成熟した世界であれば存続する、と。世界のあり方として魔王たちが世界を安定させるのに一役買っていたらしいんですよね。元王様に元勇者って凄い人たちだったんですねぇ」
「塔子、色々ツッコミどころ満載の解説だけど一つだけ確認させて」
バレンシアがソワソワと塔子にまとわりつく。
「え、何?」
「この世界の神様って女だったの?」
「ああ、そうだよ。知らなかった?」
「知るわけないでしょ。僕は神官と違って神の力を使ってる訳じゃないしね。そうか、女だったのか。って神様に性別があるって初めて知った」
ブツブツと言い出したバレンシアを押し除けてバルトライが塔子の手を取る。
「塔子様、あなた様がこの世界の救世主です。神殿はあなた様を神と崇め、信望することを誓いましょう」
「いやいや、それはかなり頓珍漢な解釈だよね?ちょっとエレミア、笑ってないでどうにかしてくれない?バルトライ、これは代々の魔王の力がなした偉業だよ。そこはキッチリお詫びして訂正しておくからね?勘違いしないで?」
塔子の必死の言い草に宗十郎が大笑いし出して、それに釣られるようにエレミアも笑い出す。
「ちょっとエレミア、お父様を亡くして傷心なのは分かるけど、早く正気に戻ってくれないかな。王の葬儀とエレミアの即位式と、やること盛りだくさんでしょ。あと、ちょっと言いづらいんだけど言わせて。エレミアのお父様を殺した私を恨んでるかもしれないけど、泣きたい時は胸を貸すから。だからまだ友達でいてくれるかな」
塔子は許しを乞うて安心したいのだ。でもそれは自己満足だ。本当に友達というのならエレミアの判断に黙って従うべきだ。だから王を殺したことについて許しは乞わない。けれど友達でいたいから不器用な言い方でそれを伝えた。
「塔子」
エレミアは笑いを収めて塔子を見つめる。
「君の小さな胸を借りて私が誰にも見せられない涙を君だけに見せる日を未来に予約させておいてもらうよ。友と呼んでくれるのは嬉しいが、それ以上の関係でも私は大歓迎だ」
「……ありがとう?」
なんだか素直に礼を言って良いのか分からなかった塔子だったがエレミアの本心からの好意的な言葉だと理解して胸を撫で下ろす。
「本当に君は分かっていないな。君は父上だけでなく私を救ったのだよ。魔王となった父王たちの魂を救済し、次は私が魔王の側へ堕ちていくはずだった未来を変えてくれた。そんな君を私が恨むはずがない。そして君にだけそんな過酷な運命を背負わせたことを王として謝罪したい」
真摯に言ってエレミアは頭を下げた。
「ちょ、王が頭を下げるとか、ダメなやつ」
塔子が慌ててエレミアの頭を上げさせようと彼の腕を掴んだ。
「英砥が教えてくれた土下座というやつの方が良かったかな?」
にたっと笑って言ったエレミアに塔子は苦笑を返した。
「英砥が色々余計なことを教えてたって忘れてたよ、もう」
高潔なはずの勇者は、煩悩の塊の元勇者となんら変わらない感覚の持ち主だったのかもしれない。同じ魂でも性格が違うのはもちろんだが、根っこのところは同じなのかな、と塔子は納得したのだった。
そもそも、英砥という人間は感情の動きが鈍いくせに悪戯好きだった。だから世間様には英砥の清らかなイメージがついてしまった訳だが、欲望に忠実な塔子が感情を隠せば、そのまま英砥の出来上がりだ。
なるほど。なるほど。
塔子は自分は前世も今世もやっぱり何も変わってないのだと悟った。それを知っているのは親友のエリックで幼馴染の宗十郎だ。
「エリックもお辞儀をよくするようになったよね」
そう塔子がエリックに話しかけて皆が気が付いた。
「エリック?」
そこに宗十郎の姿はなかったのだった。
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