第22話 首謀者、または諸悪の根源

 政務の合間に月光宮に帰ってきたエレミアが額に青筋を浮かべながらバルトライを塔子から引き剥がしてから急遽テラスでお茶会が始まった。

 黙々と茶を啜る王太子とニコニコと聖人君子の様相の大神官を前にして塔子はアリアの絶品サンドイッチに舌鼓を打つ。

「それじゃあ、私たちは君に疑われていたわけか」

 塔子の話にエレミアが吐息をつく。極上の麗しき尊顔が悲しみに曇っている。

 バレンシアに保護されて誰が元勇者を召喚したのか、敵なのか味方なのか、という話をぶっちゃけて、塔子は開発中の和食のおにぎりっぽい何かを口に入れた。

「何の目的で異世界召喚が行われたのか調べないことには安心して生活できないじゃない」

 塔子はもぐもぐとご飯のような何かという不可思議な食べ物を咀嚼した。

「そうかもしれないけど、わたくし達のことは信頼して欲しかったです」

 高貴なる光を放つバルトライが紅茶のカップを置いて眉を寄せた。

「仕方ないでしょ。仲間だったとはいえ、今や住む世界が違うんだから」

 塔子が言うとエレミアもバルトライも寂しそうな表情をした。

「君は私たちを残してさっさと死んでしまったからね、そうやって気楽なことを言えるんだ」

 王太子の冷ややかな視線にも塔子は動じない。英砥であったならば気遣いを見せるだろうが、塔子は気にしない。

「英砥を殺した犯人が異世界召喚を行ったと見るのが正しいのだろうか」

 エレミアは考えながらトントンと指で机を打つ。

「そうとは限りませんよ。全く別物かもしれない。それにエリックが眠ったままなのも解明しないと」

「そうだな」

 真剣な様子の二人とは正反対に片っ端から食器を空にしていく塔子は咀嚼することに忙しい。

「英砥を刺した短剣は普通のものでしたし、魔力を探知できませんでした。そうなると異世界召喚は別の首謀者がいることになるのではないでしょうか」

 バルトライの言葉にエレミアも頷いた。

 しかし。

「あ、それは違うかもね。私を刺した犯人は覚えてないけど、剣は儀式用のものだった気がする。飾り剣なのに刺さるんだって思ってびっくりしたから。ん?違うな。刺された途端に魔力が放出されてきたんだっけか」

 あやふやな記憶を手繰り寄せて塔子が言うと呆然とした二人の視線が塔子に注がれた。

「本来は攻撃用のものではない短剣だったと?しかし現場にあったものはごく普通の騎士団も多くの者が使っている剣だった」

 エレミアが唸る。

「剣自体が偽装していたのかもしれません。稀に呪具になる剣があると聞きました。神の加護の反対の作用です。命を奪い、その力によって術を成すという」

「なるほど、そういったものがあれば異世界召喚の術の施行を助けるのかもしれないな」

「英砥、他に何か思い出しませんか」

 二対の目が塔子に期待を寄せる。

「思い出していたら苦労しないんじゃない。二人のことも疑ってたくらいなのに」

「それもそうか」

 エレミアはまたため息をついて立ち上がった。背後にはいつの間にか近衛騎士が迎えに来ていた。

「すまないが私は政務がある。席を外すが二人はくつろいでいてくれ」

 そう言って月光宮を出ていった。

 残された二人は神殿の敵になりそうな相手を話し合い、しばらくしてバルトライも用事があると暇を告げた。

 一人になってみると、何だか寂しい。英砥の頼もしい友たちは塔子にとっても未だに友なのだと実感した。

 そして。

 宗十郎はどうしているだろうか、と考える。エリックのことも心配である。

 引きこもるよりは打って出る方が性に合うなと結論を出し、彼女はその前に、と卓上に残ったお茶請けを全て平らげたのだった。

 そう言うわけで昼食時にあまりお腹の空かなかった塔子は散歩と称して月光宮を抜け出した。護衛騎士がいくら優秀とはいえ、元勇者は出しぬく方法を知っているのだ。

 王城の造りは知り尽くしている。

 英砥だった頃に秘密の通路まで網羅した探検をし尽くしていたから目を瞑っていても行きたいところに行ける自信がある。

 そう言った記憶もだんだんと思い出しただけで最初から戻っていたわけではない。もしかしたら王城を歩いていたら重要な記憶を思い出すかもしれない、との思惑もある。よって、安全な月光宮を抜け出したわけだが、英砥似の少女が王城をウロウロするのは頂けないと分かっている。だから認識阻害の魔法を使って歩いている。英砥には余裕でできた魔法だが、今の塔子にとっては魔力がグッともっていかれる感覚があるくらい疲れる魔法である。あまり長時間はできないな、と考え英砥が殺された現場にだけ行ってみようと思い立つ。

 確か騎士団の本部からそう離れていない王宮の庭だった。

 芳しい花の香りが胸を満たしたのを覚えている。

 昼下がりの庭には誰もいない。

 紫の小さな花をたくさんつけた枝が垂れ下がり、庭を秘密の場所っぽくしている。

 英砥が来た時にはまだ咲いていなかった花の木だ。彼が来たときは白い大きな花びらの木、膝丈くらいの黄色い草花、桃色の幾重にも重なった花弁の美しい花など色とりどりの花が庭を埋め尽くしていた。一週間くらいでその花々がなくなったのはどうしてだろう、と疑問に思いながら塔子はベンチに座ってみる。そして合点がいった。騎士団による調査で花が刈り取られたのだ。視線を低くすると刈り取られた跡が見えた。

 勿体無い。

 そう思うが仕方ない。王城で殺人事件が起こったのだから。しかも殺されたのは勇者。かなり驚かれたことだろう。

 塔子は辺りを見回した。

 ここが最後の場所。

 何も感じない。

 塔子の中で英砥は別の生き物だ。映画で観た人生のような。それでも無意識に感じていた憎しみを発見し、友への後悔を自覚し、そして親友が幸せであれることを祈っている。

 ふわりと穏やかな風が通り抜けていった。

 花宮英砥はここで確かに幸せだった。

 ならば花宮塔子はここでどんな人生を送りたいのか。

 まずは親友の魂を取り戻す。それから宗十郎の道を見つけるのを手伝う。ずっと見守るつもりではいるが、彼の選び取った選択肢の邪魔になるようなら彼の目の入らない位置にいるべきだし、影響を与えるような存在でいてはいけないと思っている。

 不意に怖気立つような存在が近くにいることに気が付いた。

 とん、と肩が叩かれる。

「見つけた」

 その声はよく知るようでいて、まるで知らないような男の声だった。

 心臓が大きな音を立てている。

 振り返るべきか、否か。

 塔子が判断する前に自分の存在自体が宙に放り出されるような感覚に陥る。

 目まぐるしく世界が変わっていくのを知覚するのが精一杯だった。


「それでは魔王というものを倒せば良いのですね」

 異世界から召喚された青年は神から加護と魔王を倒すための剣を戴く。

 彼は見目のすこぶる良い男だった。どこかエレミアに似ている。

 彼の旅は順調だった。仲間に恵まれ、魔物を倒すことにも困難はない。やがて魔王の住む森へやって来た。

「魔王がいるのはここだと聞いていたけど」

 彼は形の良い眉を寄せて辺りを見回す。

 森と呼べるのは入り口までだった。

 暗い空。汚泥のようにぬかるむ地面。神から見放された地。禍々しいというよりも、悲哀のこもった場所のように彼には思えた。

 仲間は気が付いていない。

 勇者と呼ばれた青年だけが持つ違和感。しかし、目の前に現れた存在は魔王と呼ぶに相応しい力と恐ろしい負の気配に満ちていた。目を離せぬほど美しい存在なのにその穢れは目を背けたくなるという矛盾を含む命。

「お前は何をもってして私を害そうとする?」

 魔王が聞き惚れるような美しい声で問うてきた。

「何をもって?」

 神にこの世界に呼ばれて、そして魔を打ち倒せと命じられた。

「愚かな青年よ、己の判断に後悔せぬように真実を見抜く目を持つといい。私がどうしてこうなったのか、その真実を知ろうともしないで私を倒すというのか」

 悲哀。この魔王から放たれるのはそれしかない。

 しかし、神の加護を受けた青年には義務がある。魔王は倒すべき存在。

 魔王は恐ろしいほど強かった。死闘の末、勇者は魔王に打ち勝ったのだ。

 満身創痍で初めに召喚された場所へ戻ると、さらなる神の祝福を与えられた。神に愛された神の国の頂で王となる。

 ハルシュフェスタ王国の祖王は神に愛され、神の加護をもってしてあまねく国を治めて平安を守った。

 そう賛辞を受けて十数年。

 彼はようやく真実を知った。真実への糸口は神との対話の中にあったのだ。

 いつものように禊をして神殿の特別な儀式の間で神との対話を行う。

「神よ、魔王の魂をあなたの寛大な心で癒してほしい。今度生まれてくる時には安らかな幸せに包まれるように」

 過去を振り返って、勇者だった彼は王となり、そして親となってようやく魔王の鎮魂に思い至った。

『彼は既に幸せな人生を送っていたのだ。私の愛するそなたが気を配るようなことは何もない』

 神は彼に寄り添い、その体を、魂を、舐め回すようにして言った。その怖気が立つような執着心に彼は身震いが止められなかった。

「幸せな人生とは」

『彼もまた王であった者。一時の栄華を誇った者だ。私の怒りを買い、国を滅ぼすこととなった。そなたとはあまりにも違うもの。可愛いそなたが気にする価値もない』

 その答えに彼は心を冷やした。

 神は何をしたのか。

 異世界から勇者を呼んで一国の王であった男を滅ぼした。その前に、その男は王から魔王に、どうして変化した?

 神の加護を受けたハルシュフェスタの王は神の御心を感じることができる。そしてその記憶の中に潜ることも可能とした。

 彼は知った。

 魔王と呼ばれたその人はハルシュフェスタを前身とする王国の主人。そして賢君として栄えある栄華を極めた逸材だった。その男が神をたった一度否定したことで栄光から一転、地を這う存在になったのだ。王を愛する人々は魔物に姿を変え、他の人間を襲った。魔力の多いものは魔人に。異世界から神のお眼鏡に叶った勇者が現れるまで、彼らの悲しい変化は止められなかったのだ。

 神の御業は人間を虫けらに変えてしまった。

 勇者であった彼は苦悩した。そして。

『そなたも私を否定するのか』

 神は加護を与えた彼の心を読み取ってしまった。

 加護とは取り消せない力。彼はもう一人の魔王として堕とされた。しかし彼の姿形は王として政を担っている。魂を体から剥がされ、分離した存在は歪になった。

 魔王はこうして作られた存在だった。

 元は異世界からの勇者。

 ふとその歴史を見ていた塔子の耳に蘇る声があった。

『勇者よ、私から置き土産をやろう。長年、私が希った消滅を与えてくれた礼だ』

 長い戦いの中で英砥と魔王はいくらか言葉を交わす間柄になっていた。最後の戦いの中で彼はそう言って英砥の剣に倒れた。

 その後、何も起こらなかったので英砥は忘れていたが、今こそその真意が塔子には視えた。

 恐ろしい事実。

 ハルシュフェスタの王は王位を継ぐと同時に神の傀儡となる。自分好みの男を異世界から呼んだ女神。彼女は魂を魔王として引き剥がし、自分の意のままに自分を崇める美しいだけの男を作り出したのだ。代々、王の魂は引き剥がされて地に落とされる。

 加護は呪い。

 あまねく治世は牢獄。

 恐ろしいその事実に英砥は気が付くと同時に神から記憶を奪われた。だから生き永らえたのだ。抜け殻のように友と過ごす甘い時間は確かに幸せだった。

 英砥は刺される間際に思い出した。

 魔王の望み、そしてその正体を。

 騎士団の使う短剣に偽装された魔王の剣をエリックが持っていたのは偶然じゃない。エリックは中庭に来て英砥を呼んだ。振り返る先で光ったのは真実の刃。

『お前たちはやり直せ』

 魔王の声が頭の中に響いた。


 塔子は肩を叩いた人物の手から瞬間的に離れて身構える。武器などない。ないがやられる前に攻撃しなければ殺される。

「そんなに怖い顔をしなくてもいいだろうに。私がそんなに怖いかい?」

 ハルシュフェスタ王国の王その人はエレミアによく似たその尊顔で微笑んだ。自覚して見れば魔王も同じ顔をしていた。

「探したよ。確かにこちらに呼んだのに邪魔が入って君に辿り着けなかった」

 魅力的な声。仕草。美しい顔に色気の立ち昇る肢体。

 完璧な男が目の前で微笑んだまま塔子の頬を撫でる。

「神官にも探させたのだがね。私の魔法使いにも」

 王は嬉しそうに今度は塔子の髪を撫でる。

「今度は逃しはしない。勇者よ」

 はっきりと彼はそう言った。

「神は勇者に魂を移せと仰られている」

「は?」

「長年続いたハルシュフェスタの栄光に更なる栄光を求めておられるのだ」

「意味が分からない」

「今度の体は幸運にも女体。そも勇者の男は懐妊できないからな。こちらの世界の男とは全く違う。だから女である必要があった。魔王は良い仕事をしてくれたようだ。そして君は再びこの地にやって来た。エレミアの子を孕むために」

「何を言っているのか全く理解できない」

 塔子が目をすがめる。

「君のその魂は少し世の中の汚れに染まったみたいだが、大丈夫。神の加護のお陰で英砥の魂に戻ることができるよ。エレミアとの間の子に、その魂を移し替えて次代の王に、いや永遠の王になるのだ」

 もはや常軌を逸している。

 塔子はにこりと笑って見せた。

「そう言う押し付けがましいの、なんて言うか知ってます?」

 塔子の美少女的スマイルに王は愛しそうに目を細めた。

「教えてくれるかな、なんと言うんだ?」

「ありがた迷惑、もしくは余計なお世話って言うんです」

「ふふ、勇気を振り絞っての強気な発言だね」

 王は取り合わない。

 そもそも彼の意識は神の意を反映するだけのもの。

 塔子の首に王の手がかかる。

「手間をかけさせないでくれたまえ。せっかくエレミアが月光宮に君を囲っているのだ。その間に子を孕んで来るべき日に備えるといいよ」

 空虚な目が塔子を捉える。

「エレミアの愛情を、そんな風に悪企みに利用させたりしないから」

 今度こそ、英砥を守ってくれた人たちを守る。

 塔子の強い意志が光を帯びる。

「なんの真似だ」

「そろそろ神も世代交代しなきゃね?空っぽの王サマもそう思うでしょ」

 彼の魂は魔王として、そして代々の王たちも魔人として英砥が全て葬り去った。それだけの力を持つ特別な勇者だった。その特別な英砥も死んでしまった。

 誰も知らぬままエレミアが即位して空っぽの王となり、その魂は魔王の種として地に落とされるのだとしたら、この悪循環が延々と続くことになる。

 塔子は絶対にそんなことを許しはしない。そして。

 忘れていた事実を思い出す。

 エリックは自分が英砥を刺してしまった事実を受け止められなかった。溢れ出す赤い飛沫を止めるように震える両手でエイドを抱きしめ茫然としていた。だが次の瞬間には狂ったように悲痛な声で英砥の名を呼んでいた。

「お前がやったんじゃない」

 そう声をかけるだけでも精一杯で。

 英砥は彼がその事実を忘れるように最後の力を振り絞って忘却の術をかけた。

 力尽きるその瞬間まで、エリックが誰か愛する人と幸せに暮らせるように祈りながら。

 誰がこんな最悪な事態を引き起こした?

 親友とこの先一緒に暮らしていこうと、そう話していた矢先に。

 誰が魔王を生み出した?

 勇者として魔王を討伐して平安を取り戻したと思っていた世界に。

 塔子は静かに怒りの炎を燃やして、目の前の神の代理人であるハルシュフェスタ王を睨め付けたのだった。


 

 

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