第21話 もしもあなたが
「本当に大丈夫?」
きっちりした王太子の正装に身を包んだエレミアが寝台から起き上がれない塔子を覗き込む。
「うん、平気。殿下は早く仕事に行ってきて」
呻き声が言葉になった様な話し方にエレミアは寝台に腰を下ろして塔子の髪を撫でる。
「飲み過ぎかな?」
エレミアの尊顔が塔子の真近くで憂い顔を作っている。
「これが二日酔い……」
英砥の時はいくら飲んでも酔わなかったが、塔子は違うようだ。そう言えば塔子の父は下戸である。
「しばらく寝たら大丈夫だから」
「神官を呼ぼうか」
治療の術を使える神官に治してもらえれば確かに楽かもしれないが神官には接触したくない。
「いらない。呼ぶなら胸の大きな若い女子にして」
「それは妬けちゃうからダメだな。君が欲情するのは私だけにして欲しいんだ」
「えー」
そんなやり取りをしつつ、時間が来てエレミアは仕事へ行ってしまった。
塔子は静かになった部屋で爆睡し、それでスッキリした目覚めの後、侍女のアリアが用意してくれた軽い朝食を食べて元気を取り戻した。
ああ、酷い目にあった。
もう酒は飲まない、とは思わないが飲む時は注意しようと考えながら、彼女はエレミアがお気に入りのテラスでソファに寝転んだまま風に当たっていた。
「失礼、レディ。あなたが塔子様?」
アリアも護衛もいない。そんな場所に男が現れた。
不審者だ。よく見てみると、純白に金色の刺繍の入った神官の服に身を包んだ誠実そうな清らかな美貌の主が立っていた。首から下げられた細長いストールは黒地に銀と金の細かな紋様がびっしりと刺繍され、地位の高さを窺わせる。艶やかな長い髪が光に当たってキラキラして見える。
塔子はこの美貌の主を知っている。
以前はまだ幼さの残る顔だった。いや、英砥が死ぬ前はもうこの顔だったか。
神官、いや今は出世して大神官バルトライ。
「どなた」
知っているとは言えない。塔子は渋々起き上がってから用心深く尋ねた。
「お初にお目にかかります。わたくしはバルトライ・オワイエ。神殿から王太子殿下の命で治療にやってきました。突然お声をかけた無礼をお許し下さい」
そう言って彼は深くお辞儀をした。昔英砥が教えた通りの日本式のお辞儀である。
そのことにやけに感動してしまった塔子は懐かしさに笑顔を浮かべる。
「せっかく来てくれたのにごめんなさい。もう元気になったので治療は必要ないです」
「そうなのですか?」
彼はゆっくりこちらへやって来た。
背が高い痩身の青年だ。神官らしい清らかで透明感のある美貌は昔から変わらない。やや中性から女性的に傾く美しさである。少し近寄りがたい雰囲気も併せ持っているから余計に神秘的に思えるのだ。さらにこの世界でも少ない銀髪と銀の瞳は神々しく見える。
「見たところ、まだ体調が万全というわけではなさそうですが」
片膝をついてバルトライは塔子を覗き込む。
「頭痛に気だるさ、と言ったところでしょうか」
診察されてしまった。
塔子は割と痛みに強い方である。怪我をしてもへっちゃらな顔をしていられるし、どこかでぶつけて大きく腫れても痛いとは言わない。
「ふむ。手を握っても良いですか」
大神官という高い地位にいても謙虚な姿勢で接してくれる。
塔子はなんだか笑えてきてしまう。
バルトライは高位貴族の出身だ。だから育てられ方が少し周りの神官たちと違い、そのせいで友達が少なかった。それを気にしていたのに、他人になかなか気さくに接することができなくて苦労していたものだ。今は地位も高くなって、そういった態度が逆にカリスマ性を醸し出している。少しは社交性も身につけている様だが、塔子から見ればまだまだな気がする。まあ、世俗に塗れた元勇者が気高い神官に説教できることなどないに等しいのだが。
「手を握って何をするんです?男女二人きりで肌を合わせてすることって、何かしら」
わざと純粋そうな顔を装ってバルトライに言ってみると彼はやや目を見張って、誤解されそうなことに心外だという風に首を振った。
「わたくしは治療に参ったのです。王太子殿下が月光宮に迎えられた高貴なるお方。わたくしに二心はありません。どうぞ警戒を解いてくださいませ」
煌めくような笑顔で彼は塔子の右手をやや強引に握った。
塔子は身体中に結界を張るイメージで魔力を展開し、彼に気が付かれずに彼の魔力を受け流す。
バルトライは神官でも特異な魔力を持っている。手を握った相手の思考を読むことができるのだ。それを知っている元勇者である塔子はもちろん対策も知っている。
やや驚いたようなバルトライだが顔には出さずに治癒魔法を流し込んできた。
温かい魔力が塔子を包む。英砥だった時に治癒魔法だけ受け取る方法を開発済みだから問題ないのだ。
「ありがとう。体が楽になってきました」
なんとなく、という感じだが礼を言わない道理はない。
「お役に立てたのなら幸いでございます」
バルトライは銀色の瞳を細めた。
「時に塔子様は異世界からやって来られたのだとか」
「どうしてそれを?」
「わたくしは神官の中でも極めて魔力の揺らぎを察知しやすいのです。ですから異世界へ繋がる道が開かれたことを知りました。極秘に王太子殿下にお会いして英砥の姪であるあなたがこちらの世界に呼ばれたのだと知りました。無論、このことは誰にも話していません。お聞き及びかもしれませんが、神殿があなたを保護したいと申し出たのはわたくしからの情報ではありません。わたくしは英砥の仲間。そして友なのです。だからあなたを守ると神に誓いましょう」
穏やかに話す彼を塔子は好ましく思う。バルトライは塔子が英砥なのだと確信している。だがそれを表に出すことはない。お互い長年の付き合いでそんなことはお見通しだ。
「まったく」
吐息をついて塔子はバルトライの方へ身を乗り出した。それから彼の頭を乱暴に撫で回す。
「な、何をするのですか」
彼の抗議に塔子は屈託なく笑う。
「親愛の印だよ」
英砥の言葉を借りて言うとバルトライは俯いた。
「あなたは知らない。わたくしが勇者英砥の葬儀を執り行ったのです。彼の死に顔も確認しました。どれだけ胸が潰れる思いだったか」
低い声で言って彼は俯いた。
「間抜けだったでしょ。勇者が刺されて死ぬって」
どんな攻撃もかわした勇者がただの探見で殺されるなんて有り得ないのだ。でも彼は亡くなった。
「そんな風に言うものではありません。あなたは、全く変わらないな」
とうとう塔子を英砥として認めた発言をしてしまったバルトライはそれに気が付かずに目を細めて塔子を穴が開期そうなほど見ている。
「変わったよ。例えば、ほら」
塔子はひしっとバルトライに抱きついた。途端に彼は固まってしまう。
異性に抱きつかれる経験のなかった彼に嫌がらせのようにグイグイとそんなに存在感のない胸を押し付けてみる塔子。さっちゃんくらいあれば良かったけど、と考えながら、でも効果はあったようでニヤリと笑う。
女性らしい胸の感触を認めて途端にバルトライは真っ赤な顔になっていく。
「な、な、な、なにをしているのですか」
「親愛の印を、と思って。どう?気に入った」
英砥が決してしなかった嫌がらせである。
「離してください」
「いや」
簡潔に答えて塔子は更なる嫌がらせを思いつく。
「あら、どうしましょう、神官様。胸が苦しくなってきたみたい。直に見てもらえます?」
「は?」
バルトライが虚無を抱えたような顔になる。
「私が自分で脱いで見せますからぁ」
そう言ってブラウスのボタンに手をかけると慌てたようにバルトライが姿を消した。
「なんだよ、いいとこなのに」
悪態をついた塔子にバルトライの気配だけが吐息をついたことを知らせる。
「バルトライ?」
姿は見えないがここにはいるらしい。
「はい。ここにいます」
「どう、この遊びは気に入った?」
「いいえ。あなたが、もしもあなたがわたくしを好いていてくれて、本気でわたくしのものになりたいのだと思ってくれているのならば、わたくしもあなたの想いに全力で応えようと思います。ですが、あなたは遊びだと言う。こんなに悲しいことはありません」
予想以上の温度の低さに塔子は慌てた。
「バルトライ?私は親愛の情を持ってだね、君に接しているだけで悪意はないんだ」
「ふ、あなたの詭弁は相変わらずだ。高潔なあなたがまさかわたくしを弄ぶようなことはすまいと思っていましたが、今世のあなたは詭弁を弄するだけでなく、遊びでわたくしの愛を乞うとは」
軽蔑しました、と言外に言われている。思っても見なかった反応に塔子は慌ててしまった。
「バルトライ、悪かった。君が女性にどう反応するか見たかっただけなんだ。許してくれ」
大真面目なバルトライを揶揄うなどしてはいけなかった。英砥の時はちゃんと節度をもって接していたから彼からも敬愛を返してもらえていたのだと今更ながら残念女子は気が付いたのだ。そんなことも分からなくなって情けない、と煩悩の主は暗い顔になる。
「反省しましたか」
バルトライが銀色に光る姿を見せてくれる。少し微笑んでいるようだ。
「バルティ」
愛称を呼んでホッとした塔子に彼は穏やかな表情で手を差し出す。握手だと思って塔子は嬉々として右手を出した。しかし、その手を引っ張られて、どう言うわけか彼の腕の中に収まってしまった。
「バルティ?」
「もう少しこのままで。友を亡くしてわたくしがどれだけ参っていたのか、あなたは想像できますか」
見た目は男性的ではないのに腕は力強い。逞しくなったな、と塔子は嬉しく思った。
「英砥、こんなに小さくなって戻ってくるなんて」
「ははは。これが女子高生というやつだよ」
「あなたが話してくれた乙女たちのことですね。とても好ましいですね」
真面目が服を着ているバルトライは側から見ればその乙女を手籠にしようとしている様にしか見えないことなどご存知ないらしい。
「ま、君が敵でないのなら良しとするか」
塔子は呟いて、しばらく彼の好きな様にさせていたのだった。
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