第16話 誘い

 一度城に戻るというバレンシアと別れて塔子は彼の屋敷に戻された。

 昼時だったのでライラックが食堂に呼んでくれてすぐに向かうことにする。

 席に着くと直ぐに食事が運ばれた。彼女のかたわらでは宗十郎が優雅な所作で昼食をとっている。ナイフとフォークの世界に慣れているとはいえ、塔子はやっぱり箸が恋しいな、と思う。

 今日の昼食はサーモンのムニエルのバターレモンソース和えにカラリと揚がったポテトが添えられ、生野菜が彩りよく飾られているメインの皿に野菜たっぷりのスープと焼きたてのブリオッシュのようなパン、ピクルス、ウィンナーにチーズの皿、そしてデザートのプリンが用意されていた。

 全て完食して、塔子はふと思い出した。

 高校に入りたての頃、宗十郎が帰り道に寄り道しようと言い出して車を高速道路に向かわせた。その頃までは彼の車で常に一緒に帰っていたので何とも思わなかったのだが、さっちゃんや愛莉と友達になってからは幼馴染でも男女が車で一緒に帰るのはちょっとおかしいのだと指摘されてようやく悟った。確かに家が別のなのだから別々に帰ればいいのだ。それから塔子は宗十郎の車で帰ることは無くなったのだ。話を元に戻すが、その日は海の見えるカフェで夕食を食べようということになって急遽宗十郎が手配してくれたのだ。丁度夕暮れの見える席で美しい海と茜色の空を見ながら美味しい食事を奢ってもらった。

 宗十郎と一緒にいるといつも美味しいご飯にありつける。エリックに顔が似ているだけでなく、やっていることも彼とよく似ている。エリックは英砥によくご飯を奢っていたし、ほぼ毎日彼と食事をしていたような気がする。

 そんなことを考えて塔子は無意識に笑みをこぼしていた。

「どうした、塔子」

 宗十郎がご機嫌な塔子に不思議そうに問いかける。

「うん?今日もご飯が美味しいなって思っただけだよ」

「そうか。ここの食事も確かに美味いけど俺はアンダンテのイタリアンが食べたいな。ほら、塔子の誕生日に連れてっただろ?」

 宗十郎は食後の紅茶のカップを置いて言った。

「うん、あそこは良かったね。景色がまず良い」

 丁度その店のことを考えていたので塔子は笑ってしまった。あれは誕生日だっただろうか、とぼんやり考えながら。

「海が綺麗だったよな」

「空も綺麗だったよ」

 そう言い合って二人で笑った。もう二度と戻れないと言われた世界の思い出は思っているよりも輝いて見えた。

「この世界でも色んな所に出かけてさ、綺麗な景色を見たり、美味しいもの食べたり、お喋りして笑って、それで喧嘩もしてさ、たくさん幸せだって思えるような経験をしよう」

 宗十郎が元の世界で出会うはずだったたくさんの縁をこちらでも見つけられるように。ずっと宗十郎の手助けができるように。

 塔子にはその責任があると思うのだ。

 すると宗十郎が何か言いたげにこちらを見つめ、そして席を立って塔子の肩に手を置いた。

「言っとくけど」

 宗十郎がいつもの二倍増しでキリリとした表情を見せる。思わずぼうっと見惚れた塔子の額に彼は自分の額を寄せてくる。

「俺はお前のせいでこっちに来たとか思ってないし、お前がいなきゃ何もできないような非弱な存在じゃないのは確かだ。俺の人生は自分で責任を持つ。そうでなきゃ、お前と対等にいられないだろ。俺の人生を勝手に脚色するような傲慢な真似はやめろよな」

 そう言って、彼はニヤリと笑った。

 塔子は返す言葉もなく、ただ頷いた。

「分かってたならいいけど」

 宗十郎は額を離して、それから塔子の唇を指先でなぞってから自分の席に戻っていった。何事もなかったように紅茶のカップを持ち上げて、彼はチラリと固まっている彼女に視線を投げる。

 この動悸は何だろうか。

 塔子は初めて魔王を前にした時のような、それでいて温かくて懐かしいような感情を覚えて戸惑う。

 見慣れたはずの宗十郎が全然知らない人に見えてくるから不思議だ。

 まだ変な動悸が治らないうちに宗十郎が紅茶を飲み終わってカップを置いた。

「午後はまた勉強らしいけど、お前は?何するの」

 さらりと尋ねてくる様がいつもの彼だったので塔子は落ち着きを取り戻した。

「本を読んでるよ。それからバレンシアの手伝いとか」

「そうか。俺も早く魔法が使えるようにならないとな」

 なりたい、ではなくならないと。

 塔子はその言い回しに彼の決意を知る。

 この世界でやっていこうと思えば魔法を使えることがどれだけ有利かはバレンシアを見ていたら分かる。こちらに転移してきて間もなくはそういうことにも気付けないものなのだが、彼は違った。

 心配することはなさそうだな、と塔子は内心苦笑した。

 宗十郎とは食堂で別れて、彼女は与えられた部屋に戻った。

 しばらくぼうっとしていると侍女が手紙を持ってきた。

「塔子さま、王太子殿下よりお手紙が届いています。旦那様からは直接お渡しするように、とのことですので持って参りました」

 本来なら屋敷の主人であるバレンシアが手紙の検閲を行う。それから彼女に手渡して良いものか判断するのだが、流石に権力者の手紙を検閲するようなことをバレンシアはしないらしい。

 手紙を受け取った塔子は蝋で固められた王太子の紋を確認してから開封する。

『ウルファイアの月が美しい夜、あなたのことを想いながらセレイスの泉に浸り、輝く栄光に歓びの詩を捧げよう。いずれ来る華々しい神世の祝福にあなたをいざなうことを誓う』

 美しい文字を書く王太子の署名と共に意味不明の文句が並んだカードをざっと見て、塔子は呪いの手紙を手にしたようにそのカードを指先で摘んだ。

 不敬極まりない態度だが、これが王族特有の言い回しが詰まったお誘いだということはよく分かっているので避けたい事態に体が先に拒絶したのだ。

 この意味不明な情緒に溢れた詩のような文句を要約するとこうなる。

『ウルファイア神に愛された王の城で月の映る泉(王太子の宮殿は月光宮で温泉がある)に一緒に入りながら愛を交わしましょう。その後に私が贈る詩は歓びの詩(初夜の後に王族の男性が相手の女性に詩を贈る習慣がある)。いずれ子を孕んでその子が王になる日が楽しみですね』

 そんな意味のカードをもらって喜ぶ女がどこにいる。

 塔子は断る理由を考えるせいで眉間に皺が寄って頭まで痛くなってくる。

 ああ、さっちゃんの胸をさわさわしたい。そんな現実逃避しながらベッドに寝転がる。

 王族の誘いを断ることはまず無理だ。

 英砥も王女を嫁に、という話がなかった訳ではないが大体クールな彼よりも親しみやすいエリックの方が人気があったのでのらりくらりとかわせたのだ。もちろん、英砥は智略に長け、根回しも得意だったから塔子とは全然違う。今の塔子ができることと言えば、知らぬふりと雲隠れである。英砥の知識があっても地頭が英砥とは違うのだから仕方ない。前世とは違う戦い方をしなければならない。

 まずいことになった、と塔子は顔馴染みで助けてくれそうな人物を脳内検索し始めた。前世で絆を深めた友は国内外に多くいるが、こと王族とのトラブルに関してエリックほど頼りになるやつはいなかったな、と再認識してしまう。

 違う意味で落ち込みながら、彼女は枕に向かってもう一度深いため息をついたのだった。

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