第15話 眠れる貴公子

 風が窓を揺らしてガタガタと音を立てている。

 見上げる空は曇天で塔子は読んでいた本をテーブルに置いて窓に張り付いた。

 バレンシアはエリックの家へ出かけている。宗十郎はバレンシアが手配した家庭教師にこの世界のことや魔法について学んでいるから塔子の相手は出来ない。彼は塔子も家庭教師の授業を受けていると思っているが、塔子は英砥の知識があるから勉強は不要だ。この際、どこかでバイトでも探そうかと思っていたが、召喚魔法を使った犯人が分かるまで外出禁止なので諦めた。バレンシアに迷惑をかけるのは本意ではないのだ。

 塔子は空を見上げて厚い雲の流れを目で追う。

 神に愛された王のいるハルシュフェスタでは快晴が多いのに珍しい。嵐になるかもしれない。

 ふと部屋のドアの外に気配を感じて窓から離れる。するとノックの音がするので「どうぞ」と答えるとバレンシアが入ってきた。

「エリックのところへ行ってたんじゃないの」

「ああ、ちょうど彼の肉体の記憶を潜って見てきたところなんだけど、やっぱり何も分からなくて。君を連れて行ったら何か反応があるかもしれないと思って呼びに来たんだ」

 バレンシアは疲れた様子で言った。

「もちろん、行きたい。けど神官とかも連れてった方がいいんじゃないの?」

「いや、まだその段階じゃない。彼らは王族に近いからね。もしエリックの隠さなきゃならない秘密があったりしたら彼が危険になるだろうし」

 バレンシアは神官を信用していないのか、懸念を抱えているのか、そんなことを言った。

「まあとにかく行こう」

 バレンシアに差し出された右手に自分の手を重ねると瞬時に違う赴きの部屋に出た。かなりの浮遊感に酔いそうになるが、バレンシアが魔力を流してくれたので何事もなく立っていられた。

 見回すとグレーベージュの絨毯が敷かれた部屋はシックで品の良い調度品でまとめられている。濃い色の木材の家具は重厚感があり、紺色のカーテンに金色のタッセルがさらに高級感を出している。

 それは見慣れたエリックの私室だ。奥の扉が寝室に繋がっていて彼はそこにいるはず。

 勝手知ったる部屋を塔子は足早に寝室に向かう。

 扉を開けるとカーテンは開いているのに部屋の中は薄暗い。目が慣れてくると焦茶色の寝具に埋もれるように眠っている美貌の男が目に入った。

「時間の感覚を忘れないように夜になるまではカーテンは開いておくように言ってあるんだが、暗いだろう?それがそもそもおかしい」

 バレンシアが扉に背をもたれかけさせ、腕を組んで言った。

「魔法の痕跡は?」

「いや、見つからない。部屋が暗いのは何か別の作用だ」

 バレンシアの眉間に寄った皺を見ると事態の深刻さが窺えた。

 塔子は広い寝台に遠慮なく侵入してエリックの側まで膝を立てて進んでいく。

 目を閉じていても彼の輝きは失われていない。

 もしその瞳が開けば、蜂蜜色の澄んだ瞳が彼女を見つめたことだろう。懐かしい美貌の主は何も変わっていなかった。

 塔子は彼の白金の髪を撫でて、その温もりに安堵する。

「エリック」

 彼女が呼ぶとわずかに彼の青白かった顔色に赤みが差す。

 バレンシアが目を凝らして観察している。

「どうしてこんなことに?」

 彼女の問いにエリックの形の良い眉が寄せられ、わずかに反応を返してくる。

「バレンシア、彼はここにいる」

 魂がない訳ではない。

「いや、半分は彼の中に残っているんだ。けどもう半分がいない。魂がないって言うのはそういう意味で、半分を取り戻さないと危険な状態になるという事実は変わらない」

「そう、なのか」

 塔子はエリックの額に手を当てる。エリックが少し安堵した表情に見えるのは気のせいだろうか。

「でも反応があったのは良い兆候だ。読み通り塔子の近くにエリックの半分がいる」

 それは本当に良いことなのだろうか、と塔子は半信半疑だ。

「とにかくエリックの魂を取り戻せば良いんだろ」

 塔子は親友の眠る表情を見つめて言った。

「分かっていると思うけど無理はしないで。召喚魔法の犯人の目的が塔子の近くにいるエリックなのか、塔子自身なのか僕にはまだ判断がつかないんだから」

 両方を守ることは難しい。

 魔力の高いバレンシアがそう言っているのだ。

「ああ」

 塔子は低い声で答えた。

 エリックはそのまま眠り続け、英砥が知るあの柔らかな蜂蜜色の瞳を見せることはない。

「エリック、寂しいよ。君の声が聞こえないなんて」

 こんなに触れられるくらい近い距離にいるのに。

 塔子がそう言うとピクリと彼の指先が持ち上がろうとするがわずかな反応なだけに彼女は気が付かなかった。

 しばらく彼女はエリックの側にいて彼の髪を撫でていた。バレンシアはその間彼に魔力を流して生命の維持ができるように魔法陣を組んでいる。

「そう言えば、殿下の妹君はどうなった?」

 何となく塔子が尋ねるとバレンシアはエリックの右手を取ってブツブツ言っていたのを止めて吐息をついた。

「エリック大好き王女か」

「ああ。あ、そうか。まだ英砥が死んで一週間しか経っていなかったな」

 塔子にとっては十七年経っている。

「とは言え、動きがあったのはあった。君が死んで直ぐにマーカー国の王子のところへ嫁に行った。いきなりのことで僕たちも驚いたものだけど、君の葬式も出られないほど早急に行ってしまったよ」

「なぜ」

「さあ。マーカー国の都合らしい。送り出した騎士たちも少数で付き添う侍女も少なかった。我が王国の王女としては質素すぎる道行だったが、それも全て相手国の要求らしい」

 どの国でも王族というのは難儀なものだな、と付け加えてバレンシアはまたエリックのために魔法を組み始める。

「彼女の想いは秘められたままだったのかな」

 塔子は呟いてエリックの頬をゆるく摘んだ。

「モテる男は彼女の気持ちに気が付いていたんだか」

 妙なところで鈍感なエリックが王女の気持ちに気が付いていたかは分からない。知っていて知らないフリをしていたかも知れないし、全然気が付いていなかったかも知れない。本人に直接尋ねることを誰もしなかったし、王女もそれを許さなかった。

 淡い恋の真実は本人たちしかわからないものだ。

「それにしても英砥。君は恋人もいなかったし、そういう意味で人間に興味がなかったよね。リッカとかあの魔獣を可愛がるだけでさ。誰かと添い遂げたいとか肉体関係を持ちたいとか、そういう欲求はなかったの?」

 バレンシアは魔法を行使しながらも興味深そうに塔子へ尋ねる。

「うーん。正直、英砥って淡白だったでしょ。湧き上がる熱い想いとか、そういうのに縁がなかったんだよね。なまじ何でもできた天才だったからじゃない?今の私は違うけど」

「それは見てたら分かる。君が密かに女の姿のライラックの胸を揉もうとしてたこととか実は宗十郎の筋肉を触ってたりしてたことは知っている」

 呆れたようにバレンシアが言った。

「なんだ、バレてたのか。私は英砥の性格の反動か煩悩の塊だからね。でもまあ、そういうわけで英砥は肉体的欲求ってものが少なかったかな」

「面白い話だよね」

 バレンシアは笑いながら言って、ふと真顔になる。

「でも君、エリックといる時は生きてるっ顔してたよ。だから僕も安心したんだ。有無を言わさずこちらの世界に連れてこられて、君の目は死んでいた。義務を負わされたからやるって感じで。でもエリックと絆を深めて、君の目は力を取り戻したように思う。君も幸せを感じてくれているのかと思うと感無量だった」

 近くで見てきたバレンシアだから言える言葉だった。

「そうか。エリックに限らず、君たち仲間がいたからやってこられたんだ。感謝している、バレンシア。エリックにも本当に助けられた」

 英砥の顔で塔子は言った。

「ふふ、小さい英砥。俺たちの英雄。エリックが目覚めたら君の出現にどんなに驚き、どんなに感動するか」

 そう言って今度はエリックに向けてバレンシアは口を開く。

「時間が勿体無いだろ、エリック。女の英砥がこっちに現れたんだぞ。塔子と仲良くなりたいだろ。早く目覚めろよ」

 バレンシアの言葉にエリックはもちろん答えられない。

「あっちの世界に眠れる森の美女って御伽話があるんだ。美しい姫君なんだけど魔女の呪いで眠りから醒めなくて。それで婚約者の王子の接吻で目が覚めるんだ。真実の愛ってやつだよ。エリックも王女の接吻で目が覚めたりして」

「はは、エリックに限って王女のキスでは目覚めないだろうな。君がキスしたら或いは目が覚めるんじゃないのか」

 バレンシアは冗談ではない雰囲気で言った。

「面白い冗談だ」

 塔子は取り合わない。

「冗談じゃないんだけどな」

 呟いたバレンシアの言葉は塔子には届かなかった。


 

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