第17話 勇者のいない世界

 扉をノックする音に塔子は目を開けた。

 起き上がると部屋の中が暗い。いつの間にか寝てしまったようだ。

 いつも夕方には部屋に灯りが灯るのだが、寝ている塔子のために侍女が配慮して日が暮れても灯りをつけなかったらしい。

「塔子?」

 バレンシアの声に塔子が「入って」と返事を返す。

 疲れた様子のバレンシアが塔子のいる寝台に靴を脱いで寝転がりにくる。

「どうした?」

 塔子が声をかけると彼は眉間を揉みながら吐息を漏らした。

「神殿の邪魔が入ってイライラしている」

 端的な答えに塔子は全てを察した。

 王族の息がかかった神殿は王の魔法使いと言えど中立を貫く魔法使いたちとは真逆の存在だ。神に愛された王族の意はそのまま神の意思であるとする神殿の考えは時として危険だと魔法使いたちは考えている。もちろん、王に忠誠を誓う立場は同じなので表立っての対立は無いものとされている。

「王族の誰かが悪企みしているってことで正解?」

「まあ、そうなるかな」

「エリックの件か、それとも別の話?」

「両方。エリックの体には生命維持の魔法をかけてある。それから他のものに狙われないように結界とアイツの魂が戻りやすいように道行の魔術と、まあ、色々。で、肝心の誰かに魂を抜き出されたのか、それとも自主的なものだったのか調査をするために痕跡を探ろうと思ったら神官がやって来て神の加護をかけてしまった。そうしたらもう魔法で手出しできなくなる」

 神官の使う魔法のようなものは神の力だ。神に祈ってその力を行使する。一方魔法使いは自分の持つ魔力や自然、精霊といったものから魔力を借り思いを形にしていく。

「神の加護か」

 勇者の仲間にも神官がいた。信仰心で不思議な力を使うようなものだがら神に対する愛は半端なかった。神の加護を神官からかけてもらうと怪我をしないし、魔物の攻撃もかわすことができた。持続時間はその神官の力量によるが、魔法使いの結界で弾くよりも強力な作用があったことも確かだ。だから神の加護をかけられたエリックの肉体へ魔法での侵入が困難になったのだ。

 神の意思がどこにあるかなど人間に分かってたまるか。

 英砥は常々そう思っていたが、顔に出すことはなかった。信じる者しか救わない神と己の力だけで生き抜こうとする戦士たちとどちらを応援するかなど決まっている。とは言え、旅の仲間の神官に罪はない。信念の違いというだけでは敵意を向けることはなかった。それに彼はいい奴だったから問題は起きなかったのだし。

 魔王という敵を倒すには神の力を行使する神官が必要だった。魔法使いは魔物や魔人が生み出す瘴気を浄化することはできなかったからだ。瘴気に侵されれば人間は生気を保てない。強い瘴気に当たれば瞬時に死に至ることもあった。それを神の加護で防ぐことができたのだから、その力が必要だったのは言うまでもない。

 塔子はバレンシアの頭を撫でて労る。

「もう一つは?」

「君たちのことだ。神殿が預かりたいと申し出ている。どこで嗅ぎつけたのか、召喚者がいるから保護をと王陛下に申し出た奴がいる。犯人側なんだろうけど、神殿の誰が敵で味方か今はよく分からないからなあ。王太子殿下がうまく取りなして下さって、僕のところでちゃんと保護することになったけど、油断できないな」

「神殿の中に犯人がいるかもってことだよね。王族の誰かと結託しているのか、神官だけの意思なのか。そう言えば神官の中には王族もいるって話だったね。これは気が重い話になりそうだ。そもそも魔王と勇者のいない世界にまた勇者を呼ぼうとしたことが不可解だよね。ま、私は勇者って感じじゃないけど。あれ?そうしたら宗十郎が勇者枠?私が英砥ってことは誰も知らないはずだし」

 塔子は話がこんがらがり出して既にお手上げ状態だ。

「そうだ、君が英砥だって誰も知らない」

 バレンシアが塔子と目を合わせる。

「君らを召喚した者は一度僕の亜空間を通していることを考えると正式に召喚魔法が使えた訳じゃない。それも秘密裏に運ぼうとしたはずだ。なのに神殿が王に申告した。どういうことだ?」

 真剣に考えているバレンシアの横で塔子も唸る。

「神殿は敵じゃない?」

「分からない。そもそも犯人の目的は塔子だったのか。もしかしたら宗十郎なのか。それとも二人まとめてなのか。唯一無二だと言う勇者枠で召喚したのじゃないなら目的が別にあるってことだろ」

「目的が分かれば一番だけど。バレンシアの子飼いの神殿の間諜は何と言ってる?」

 塔子の質問にバレンシアは首を振った。

「神殿は関与していないのでは、と言っている。そもそも彼らは今派閥争いに忙しいらしい。次代の神官長を決める儀式に向けて各派閥が準備に全力を傾けている中で余計な騒動を起こす余力がないらしい。言われてみればそうかもしれないが、人間というものは欲深いからね。間諜を神官にしたんじゃなくて神官を間諜にしたから思想が健全すぎて困るんだよ」

 嘆いているバレンシアに塔子は苦笑した。思想の違いと言われてしまえば後に続く言葉がなくなってしまう。

「あ、そうだ。バレンシア、殿下が私を城へ招待したいらしい。どうしたらいい」

 塔子が投げやりに言うとバレンシアはきょとんとした顔で彼女を見返す。

「カードが届いちゃったんだよ。全く、何を考えているんだか」

 塔子は寝台から降りてカードをバレンシアの方へ投げてよこす。

「うわっ」

 バレンシアも気色の悪いものでも触ったかのように硬直してしまった。

「お色気満載じゃないか」

 晩餐の時に名前呼びを許して欲しいと問うたのはここに繋がるのか、と困り顔でバレンシアはカードを塔子へ返した。

「勇者でもなければ王族の誘いには逆らえないからねえ。どうしようか」

 意地悪くバレンシアが塔子を見る。

「いや、あり得ないでしょ。相手は殿下だよ?」

 英砥を保護してくれた相手とはいえ、よく知った仲だ。例えるなら従兄弟のような。

「それに最愛のガーネット様がいるでしょ、殿下には」

「それねえ。君は知らないのかもしれないけど、あんまり上手くいってなかったんだよ。近衛以外に悟られてないけど」

「へえ?」

「特に君には知られないようにしてたからね、殿下。本当は英砥が好きだったんだよ。殿下は男に手を出したことないから範囲外だって思ってたかもしれないけどね。だから小さい英砥がこっちの世界に来てしまって、しかも女ときたらいくら高潔な殿下でも欲望に忠実になっちゃうよね」

 まるで仕方がないのだと言うような言い方に塔子は眉を寄せた。

「誰の味方なんだよ、バレンシア」

「もちろん、君だけど。でも殿下の気持ちも分かるんだ。英砥は誰にも触れられない宝物のような存在だった」

 一呼吸おいてバレンシアはにっこり笑った。

「ま、殿下は誤解していると思うけどね。塔子は英砥じゃない。彼の魂だったとしても全く違う生き物だよね、君」

 カラカラと笑ってバレンシアは起き上がった。

「さて、夕飯だと呼びに来たんだ。ライラックが今宗十郎の剣の指南をしていて時間がかかりそうだから僕が呼びにきたんだよ」

「そ、ありがと。でも宗十郎が剣って?」

「うん。才能あるよね、彼。まるで英砥を見ているみたいだよ。性格はだいぶ違うけど」

「ふうん。ま、宗十郎はあれこれ才能あるからね。これからが楽しみだと思うよ」

「保護者目線だね、塔子」

「まあね。英砥の目から見ても教えたくなるくらいの逸材だよ」

「なるほど。僕も魔法を教えたいと思ってる」

「宗十郎も魔法には興味あるみたいだよね」

「本人に適性があるんだ。僕の後継になってくれないかなあ」

 バレンシアと共に食堂へ向かうと丁度宗十郎が着替えを済ませてやって来たところだった。湯上がりのホクホクした様子に塔子の手がワキワキと踊る。

「触るなよ?」

 宗十郎が塔子に釘を刺す。

「なに、いつも触らしてくれるのに」

 文句を言おうとする塔子を目線で制して宗十郎は先に席に着いた。

 塔子はむくれ顔で宗十郎の隣に陣取る。

「宗十郎、ライラックに何をされた?」

 バレンシアがニヤニヤと質問すると宗十郎はチラッと彼を見てからグラスに入れられた水を一気飲みする。

「ふうむ。訓練と言えば、アレだな?」

「なになに、面白そうな話?」

「剣の稽古に気を研ぎ澄ます訓練があるんだ。たまに気が高まりすぎて興奮作用が出てくることがあって、そうなると下半身に障りが出ちゃうんだよね」

 塔子とバレンシアがワクワクした目でコソコソと話すと宗十郎がダンっと音を立ててグラスをテーブルに置いた。その目を見た二人は「ひっ」と声をあげて怯えたように手を取り合う。

「魔王だ。魔王降臨だ」

 バレンシアの怯えた言い方に塔子がうんうんと頷いて青い顔をする。

「勇者がいない世界に魔王だけ戻って来ちゃったよ」

 あまりの茶化し具合に宗十郎の前から二人を射殺すような光が出てくる気がした。バレンシアも塔子も愛想笑いを浮かべて取りなすように宗十郎にワインを勧めてみたり、前菜のエビのグリルを渡したりと御機嫌取りに忙しくなった。



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