幽世クラブ

@kakuriyoclub

第1話:“クラブ”と呼ぶには、あまりにも非合法

 神様はきっと、忘れられるのが一番こたえる。


 それは、霧島ユウカが初めて僕に話しかけたときに言った言葉だった。


 県立青波高校三年、春。窓から見える桜は、ほとんどが散ってしまっていた。花びらの代わりに残った新芽が、風に揺れて微かに光っている。教室に流れる空気も、新年度特有のざらついた緊張感から、徐々に薄れてきていた。


「転校生を紹介します」


 担任の乾がそう言ったとき、誰もが少し背筋を伸ばした。なんだかんだ言って、転校生という存在には特別な匂いがある。場違いで、異質で、それでいて少し羨ましい。


 静かにドアが開いて、ひとりの少女が入ってきた。霧島ユウカ。


 黒く長い髪。肌は驚くほど白く、表情は穏やかすぎるほど静かだった。制服の着こなしは完璧で、乱れがなかった。けれど、まるでそこに“生命”だけが欠けているような、そんな印象を受けた。


 彼女は自己紹介を求められたが、一言も発しなかった。担任が気まずそうに肩をすくめ、静かに席へ案内する。その席は、教室の一番後ろ、窓際。誰かがいたような気もしたが、思い出せなかった。


──あれ、ここって……空席だったか?


 そんな疑問が脳裏をよぎる。


 昼休み、僕はなんとなくその席を横目で見ながらパンをかじっていた。


「なあ、あそこ誰かいたっけ?」


 隣の席の志田にそう尋ねると、彼は口をもぐもぐさせたまま言った。


「最初から空席じゃなかったか? てか、お前気にするタイプだっけ?」


「……いや、なんとなく」


 腑に落ちないまま、話はそれきりになった。午後の授業が始まり、ユウカは一言も発さずノートを取り続けていた。まるで何年もこの教室にいたかのような空気の馴染み方だった。


 放課後、教室を出ようとしたときだった。


「……右肩、重くないですか?」


 背後から聞こえた声に、僕は思わず振り返った。ユウカが、こちらをじっと見ていた。


「何の話?」


「憑いてます。あなたの右肩」


「……なにそれ」


 ユウカは少しだけ首を傾げた。


「見えるんですよね、あなたも。昔から」


 言葉を返す前に、彼女はくるりと踵を返して教室を出て行った。廊下の奥へ消えていくその背中に、僕は声をかけることができなかった。


──どうして“見える”って知ってる。


 それが、彼女との最初の会話だった。




 夜、自宅の部屋に戻っても、その言葉が頭から離れなかった。


 僕には、昔から“見える”ものがあった。だけど、ずっと黙っていた。誰にも言わなかった。


 暗がりの中に浮かぶ白い影。誰もいない教室に響く、話し声。家の前に立ち尽くす、顔のない誰か。


 見えても、関わらない。


 それが、僕のやり方だった。


 だから彼女がそれを“知っていた”ことが、恐ろしかった。




 翌日。昼休み、僕は校舎裏の渡り廊下で彼女に再び会った。


「幽世クラブに入りませんか」


「……何それ」


「幽世(かくりよ)クラブ。非公式の、私的な活動です。変なものを扱います」


「幽霊退治?」


「違います。見て、調べて、必要なら干渉します。でも、排除はしません」


 そう言って彼女は笑った。どこか悲しげに、それでいて楽しんでいるようにも見えた。


「憑いてたの、まだ残ってます。昨日の右肩のやつ」


「……取ってくれるのか」


「ええ。今から、生徒会室の上の倉庫へ来てください。そこで“それ”を見せます」


「なんでそんなことまでわかる」


「私も、見えるんです。あなたと同じように」




 その日の放課後。僕は言われたとおり、生徒会室の上にある旧倉庫に向かった。


 ユウカが待っていた。扉の向こうは埃とカビの匂いが混ざった空気が充満していた。


 そして、部屋の奥。


 そこに、“何か”がいた。


 黒い影。人の形をしているが、輪郭が崩れていた。うっすらと、こちらを向いていた。


「声を出さずにいてください」


 ユウカがそう言い、懐から白い紙を取り出す。何かの紋様が描かれていた。彼女がそれを空中に浮かべるように投げると、紙はすっと光を放ち、影の中心に吸い込まれた。


 影は、音もなく崩れ、霧のように消えた。


「終わりました」


 ユウカは、何事もなかったように言った。


「ありがとう。でも、どうしてこんなことを……」


「私、探してる人がいるんです」


「……誰を?」


「弟です。でも、名前が思い出せないんです」


 その言葉に、僕は言葉を失った。


「家族も誰も、そんな子はいなかったって言う。でも、私は知ってる。彼はいた。確かに、いた」


「だから、探してる。記憶の中の、空白を」


 彼女の瞳は、悲しみの奥に燃えるような強さを持っていた。


「このクラブの名前も……昔、弟が言ったんです。『クラブって、かっこいいね』って」


「部活じゃなくて、“クラブ”。あの子は小学生だったから」


 その言葉が、胸に刺さった。


「一緒に探してくれますか」


 そう言って差し出された彼女の手は、少しだけ震えていた。


 僕は、その手を取った。


 それが、幽世クラブの始まりだった。

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