終焉と刻印
ナナシマイ
*
透き通った鋼の羽の片方を、フローャは己の背からもぎ取り、愛する男へ献上した。
「あなたが使ってちょうだい」
きん、と。男の手に渡ったそれは細い剣へと変化する。
「ありがたく。婚約は解消しておくかい?」
剛健なつくりをした城の一室。
多数の視線が注がれるなか、おどろおどろしい影の色彩を持つその男は、ひどく軽薄な笑みを浮かべた――重い意味を持つ言葉とは裏腹に。
「不要よ――」背を流れていく血には構わず、フローャは首を振る。「それとも、あなたが解消を望んでいるのかしら、ヲーダヲ?」
「心外だなぁ……正真正銘、きみのためなのに。婚約者に殺された妖精姫だなんて称号、イヤでしょ」
「あら。それならあなたは、婚約者を殺した妖精王子だわ」
触れれば切れそうな緊張感はたしかに漂っている。しかし、あくまでも世間話の範疇であるというふうに、フローャとヲーダヲは向かい合っていた。
「ふたつ忘れてるね」
「聞きましょう」
「ぼくは
喉もとには切っ先。耳にはフローャのすべてを否定する言葉。
普通の女性であれば、婚約者から向けられる拒絶に哀しみを覚えることだろう。しかし片羽を失くした双剣の妖精姫は、自身を切り裂こうとするその鋭さを、うっとり噛みしめる。
愛しているからこそ、なのだ。
「忘れるもんですか。わたしはずっと、あなたに粛清されることを望んでいたのよ」
「だから、あの国を謀ったんだ? 粛清妖精の王家に嫁ぐ者として?」
笑顔から少しも表情を変えず、ふわりと影色の羽を広げた王子の、なんと美しいことか。
……なんと、恐ろしいことか。
(ああ、でも。わたしはこのために、ヲーダヲと婚約をしたのだわ)
ふたりを囲む粛清妖精の王族たちは、黙ったまま。
婚約を交わした若者に最期の会話の時間を与えるための慈悲ではない。
王子であるヲーダヲが、かならず任務を遂行すると確信しているからだ。そこにフローャに対する情はかけらもない。いっときでも未来の家族として迎え入れたのだとしても、世界が不要と判断したものは徹底的に排除する。
粛清妖精とはそんなふうに冷酷で、そして、世界の歩みに忠実であった。
その生真面目さが、愛おしくてならなかった。
「ふたつ教えてあげるわ」
「うん、聞こう」
「時の魔女が管理する粛清のリストに、どうやって自分を載せたか」
ひたりと影の伸びるように、ヲーダヲの瞳がこちらを捉える。興味を宿したその視線を浴びるだけで、フローャの身は喜びに打ち震えた。
「簡単なこと。時の魔女の『唯一』がこの時代に遺した痕跡を、消したの」
ざわりとどよめく周囲の者たち。
その反応よりも、すっと目を細めたヲーダヲただひとりに、フローャの意識は向いた。
「ふうん? きみがぼくの仕事を手伝いたがったのは、そのための布石ってこと。よく知恵がはたらいたね。まっ、ぼくとしては、自分の仕事がラクになるならなんでもよかったけど」
要か不要か。たったそれだけの物差しであらゆる事象を計ることのできるこの王子の思考を、自分はどれだけ理解できただろう。
(ほんのひとかけらだけだったとしても、構わない)
自由に生きることも難しい身の上。
せめて、望むとおりの終焉を。
愛する者に殺されたいと願ったのか、自分を殺すにふさわしい者を愛したのか。今となってはわからないが。
「ふたつめよ。剣の系譜はね、切り刻むことにだけ執着すると思われがちだけど。同じくらい、刻印されることにも快楽を覚えるわ」
「うわぁ……」
軽薄な言動をしてみせながら、その実、誰よりも粛清妖精としての役割をまっとうするヲーダヲ。うわべだけをさらっていく彼の表情を、心の思い出帳に写し溜めていくことが、なによりも幸せだった。
もう間もなく、自分は最愛の婚約者によって殺されるだろう。
「ねえ」フローャは甘い声をかけた。「わたしとあなたで、史上最悪の妖精になりましょうよ」
その誘いに応えることもなく、なんの感慨も見せずに。ヲーダヲは、細い鋼の剣を振り、フローャの胸に終焉を刻んだ。
瞳にあるのは、切れ味に対する満足感だろうか。
つゆほどの情も持たない王子の手のなかで、これから先も、自分の一部が生き続ける。彼の生き様が、そこへ刻まれていくのだ。
それ以上の幸せはないと笑みながら、双剣の妖精姫は生を終えた。
終焉と刻印 ナナシマイ @nanashimai
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