回し車

黒石廉

春、僕らは河原で季節外れの花火を楽しむ

 半袖になるには、まだ少し肌寒く、上着を羽織ると少し汗ばむ頃合い、僕らは、河原で季節外れの花火を楽しんでいた。

 どこかに花火禁止の札は出ているかもしれない。僕らは大学生で、大学生というのは、馬鹿なことをしなければならないものと決まっている。

 といっても、僕らは大馬鹿でもないので、大人数で騒いだりはしない。僕と彼女と友人とその恋人、四人でちょっとしたダブルデートみたいなことを楽しんでいるだけだ。とりたててサークルなどに入っていなくとも、大学生活は楽しめるものだ。大人たちが言う通り、大学生活はずっと味わっていたい最高のひとときなのだろう。

 友人がどこからか引っ張り出してきた去年の夏の残り物はまだ湿気っておらず、ちかちか瞬く鮮やかな光は僕らの目を、燃える火薬の微かな匂いは鼻を楽しませてくれる。

 とりわけ線香花火のちりちりとした輝きと立ち上る香りはいつもノスタルジックで、恋人と一緒ならロマンチックな気分にもさせてくれる。

 ひとときの楽しみが終われば、解散し、あとはそれぞれが恋人同士で過ごす。「きれいだったね」「楽しかったね」、そんなことばをお互いにささやきながら、僕らはお互いの服を遠慮がちに脱がしていくだろう。

 まだ大きかった線香花火の玉を落としてしまったのは、彼女の服の脱がし方を入念にシミュレートしていて手元に集中できなかったからではない。

 太鼓の低音が僕の手を揺らしたからだ。

 低音のあとにはチンという高い鉦の音がする。

 二度目の鉦の音とともに、仰々しい着物姿の二人組があらわれた。神社の神楽殿から逃げ出してきたとしか思えない姿だ。

 どちらもよたよたとおぼつかないような足取りのように見えて、一歩一歩、河原の土を踏みしめている。歩いているように見えて、どこか跳ねているようでもある。

 笑みを浮かべた面を被った方は腰を曲げながら、ひょこひょこと地面を踏みしめながら、こちらに向かってくる。

 もう片方は苦しげな顔で舌を出した面を被っている。街灯の光に長く白い髪が輝いている。

 彼女は両手をひろげ、くるくるとまわりながら、右手の笏で老爺を打ちすえようとしている。

 ただ、その試みはうまくいかない。老爺はするりするりと笏の一撃を躱す。そのたびに、彼は貼り付いた笑みを老婆に向け、老婆のほうはそのたびにこれまた貼り付いた渋面を左右に振って地団駄を踏む。

「なんだよ、あれ?」

 友人が顔を少し歪めながら、吹き出した。異様な光景でありながら、滑稽であった。滑稽でありながら、気味が悪かった。笑いたくても笑顔が作れない、怖がろうにも表情が緩む。友人の顔は、この不可思議な光景を示すものだった。

 僕もまた笑顔をうまく作れない。唇が引きつる。あの老爺のような顔になっているのではなかろうか。

「いや、あいつら近づいてくるし、キモいから、さっさと帰ろう」

 そういった矢先、チーンという音とともに老婆と老爺が視界から消え……。

 数メートル先にいたはずの二つの面が目の前に現れた。

 二人がこちらをねめ回すように見つめる。

 僕は、とても嫌なことに気がついてしまう。

 あるべきはずの物見の穴がどちらの「面」にも穿たれていなかった。あるべきはずの顔と面の境らしきものが見えなかった。

 くるくると老婆が回転する。手にした笏も回転する。

 老爺が避けた笏は、友人の肩に当たる。ぺちんという音がした。

「おいっ! いt……」

 痛いと言いたかったのだろう。

 最後まで言えなかったのは、肩から上が弾けとんだからだ。

 中途半端な角度から棒で叩かれたスイカのように頭が弾ける。スイカのように赤みを帯びた友人の中身が、スイカとは違って薄めの皮の裏にくっついて飛び散る。

 悲鳴。

 友人の彼女の悲鳴、僕の彼女の悲鳴。僕の悲鳴も混じっているだろうが、よくわからない。

 老婆が舌をだした渋面をこちらに向けて、地団駄を踏む。

 そうして、くるりと回転する。

 狙いはあくまで老爺のほうで、僕たちは関係ないはずだ。

 でも、老爺は腰が直角に曲がっているとは思えない機敏さで、友人の彼女の腰を掴んで、盾にする。老婆の方も同じくらい機敏に笏を振り回す。ゆるやかな舞なのにどういうわけか、恐ろしく速かった。

 笏が友人の彼女の腰から上を吹き飛ばした。

 腰を抜かして地面に倒れ込んだ僕たちの上を、友人の彼女の上半身が飛んでいく。

 びちゃびちゃと血と臓物が僕らの上に降り注ぐ。

 ソーセージもホルモン焼きも、もう一生食べられない。

 僕の頭の中で、恐怖とおかしな感想がないまぜになる。

 それでも、僕の身体は生存本能に忠実らしい。

 僕は立ち上がる。

 彼女の手を取って引き上げる。

 逃げようなんてことばは出てこなかった。でも、伝わったのだろう。

 伝わらなかったのは、「一緒に逃げよう」という気持ちだ。

 彼女に突き飛ばされた僕はたたらを踏みながら、老爺の方に倒れかかる。

 奇跡的なバランスで直立していた友人の彼女の腰から下は、僕の足踏みに耐えられなかったらしく、僕の方に倒れかかってくる。もちろん、血を撒き散らしながらだ。

 ごぼっという音のあと、僕の口から吐瀉物が飛んでいく。

 こんなときでも、相手があんな化け物でも、小心者な僕は気を使ったのだろうか。無意識に下を向いて、吐瀉物を他人にかけないように動いてしまう。まるで老爺とおそろいのように腰が曲がる。

 Tシャツの背を何かがかすめていく。

 眼の前にあるのは、回転する老爺の腰、それと貼り付いた笑み。

 まるで、よくやったと褒めてくれるようだ。

 ぽこんという音がした。

 僕は体勢を立て直す。風船のように膨れ上がっていく彼女の横を走り抜ける。

 ぱちんという音とともに背中に何かが飛び散ってくる。

 首筋に生暖かい何かがつき、急速に冷えていくが、僕は振り返らない。

 ひたすら走った。

 振り返らずに走った。

 気配が消えたところで、僕は首筋を撫でる。

 貼り付いた膜のようなものをはがして、確かめる。

 彼女の顔の皮の一部が僕の手のひらの上でびろんと垂れ下がっていた。

 少しの肉片とともにくっついていた片目が僕を見つめていた。

 悲鳴をあげるのと、彼女の片目がポンと破裂するのと、どちらが早かっただろうか。

 どこか遠くで絶叫が聞こえる。


 ◆◆◆


「ねぇ、大丈夫? うなされていたよ」

 僕は自分の叫び声で目を覚ます。

 心臓の鼓動がはっきりとわかる。

 夢だ。夢なんだ。

 僕は彼女にすがりつこうとする。

 すがりつこうとして気がつく。

 そもそも僕に恋人なんていたのだろうか。恋人以前に友人だっていないんだ。僕の横に寝ているのは誰だ?

 暗闇に目が慣れていく中、眼の前に見えるのは、下を出した腫れぼったい顔、苦悶の表情を貼り付かせた面。

 僕は、彼女だと思っていたそれを突き飛ばした。

「痛いっ? 寝ぼけてんの?」

 それは、不機嫌そうな声をあげる。

 僕は不安になる。

 僕には彼女がいて、それを忘れているだけではなかろうか。

 悪夢で少しおかしくなって、見間違えただけではないだろうか。

 その証拠に彼女は、僕に向かって笏を振り回してこないではないか。

「ごめん。なんか無茶苦茶怖い夢を見ていた」

 彼女の返事を待たずに僕は立ち上がって、洗面所に向かう。

 背中がぐっしょりと濡れていた。

 とりあえず、顔を洗おう。

 僕は洗面台の前に立つ。

 電気をつけると……。

 鏡に映るのは、貼り付いた笑顔。

 どこか遠くから自分の悲鳴が聞こえた気がした。

 走り出しながら、振り返った鏡には真っ赤な肉片をつけた背中とそれを見つめる固まった笑顔が映っていた。


 ぶんという音とともに笏が背中の上をかすめていく。

 僕はたたらを踏むようにして転がりながら、逃げていく。

 前の方に若者たちの集団が見える。

 助けてもらおう。

 いや、助けを呼んでもらおう。

 せめて、話を聞いてもらおう。

 僕は若者のところに跳ねるようにして近づいていく。腰を伸ばすことができないのに、驚くほど身体が軽い。

 すがりついた若者の顔が恐怖の表情を浮かべる。

 毎朝鏡で見てきた顔が恐怖を浮かべる。

 ぶんという音ともに笏が風を切る。

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