理想5、またはエピローグ3、もしくは次なるプロローグ、あるいは単なる蛇足
「生み出されたこと、存在していること、それ自体は不幸でしかありません。だから私達は幸福を求めるわけです。あらゆる人にも物にも概念にも価値はありません。だから私達は豪華なレッテルを自分自身に貼り付けようとします。私は誰よりも幸福で、誰よりも価値があります。だからどうしたというのでしょうか。幸福にも価値にも意味はありません。あらゆる存在は生まれるべきではありませんでした。あらゆる存在が消えゆくべきではないのと同様に、です。私は今生きています。それは、どうしてなのでしょうか」
黄昏の中、教卓に腰掛けた理想がひとりで虚空に向かってつぶやいている。
「悪いものでも食べたんですか先生」
それを見かけた現実がドン引きしながら教室に足を踏み入れる。
「失礼ですね。たまに人が真面目なことを言っているのに」
「真面目って言うより電波だけどね」
現実の後ろからひょっこりと夢が顔を出す。
「お二人で何をしに来たんですか?」
「忘れ物を取りに来ただけです。すぐに帰ります」
現実は自分の机の中からノートを取り出しカバンに入れる。
「まあそう言わずに、ちょっとお話していきませんか」
「もうすぐ下校時刻ですよ」
「はい、それじゃあなにか面白い話してください」
理想は現実の言い分を無視して言う。
「……この前、飼ってる猫がいなくなったんですよ」
「死んだんですか?」
「いえ、外に探しに行ったんですけど、いつの間にか家に帰ってきてました」
「それで?」
「それだけですけど」
「話のつまらなさを競う大会があったら日本代表ですね」
「それでいいので早く帰らせてください」
「まあちょっと待ってください。あなたに渡すものがあるんです」
「……ここで先生と会うのは偶然のはずですけど。これも幸運ってやつですか」
「いえ実のところ誰でも良かったんですけど、あなたたちで良かったかもしれません」
そう言って理想は教卓の上にあった二つの紙袋を二人に押し付ける。大きさの割にはずしりと重い。
「なんですか、これ」
「餞別ってやつです。これから私は旅に出るので」
理想は教室の床に降り立つと軽く伸びをして言った。
「中身について聞いたんです。それに餞別って言うなら逆でしょう。旅立つ人に送るのが――。いや、というか旅って、授業はどうするんですか。愛さんだって。まあ私としてはせいせいしますけど」
「早口ですね」
「ツッコミどころが多すぎるんですよ!」
「心配しなくてもただの旅行ですよ。いつ戻るかは知りませんけど」
「心配なんてしていません!」
「それじゃあ私はそろそろ行きます。まあお元気で」
理想は私達に背を向けて、教室の出口に向かっていく。
「ちょっと待ってください、結局これって――」
現実は紙袋に手を突っ込む。手に硬いものが当たる。取り出すと、それは銃だ。なんの伏線もなく現れる拳銃。不思議な力なんてありそうにないただの拳銃。
それを見た瞬間、現実の体は自然と動き、理想に向けて銃を構える。ずっしりとした重さを手に感じる。
「これって本物ですか?」
「撃ってみればわかるでしょう」
理想はドアの前で振り向いて微笑む。
「どういうつもりで――」
「あ、ちょっと待って」
いきなり夢の声が割り込んでくる。彼女は拳銃を横からちょっといじってこれでよし、とつぶやく。一拍おいて、現実は、彼女が安全装置を解除したのだと気づいた。
現実は苦笑の後にため息を漏らし、銃をおろしかける。
「撃たないの?」
夢が言う。
「どうせ当たらないでしょ」
「当たらないからだよ」
それもそうかと思って、銃を構え直す。銃口の先では夕日に照らされた理想が不敵に笑っている。
白昼夢みたいだ。夕方だけど。現実はそう思ったので、ためらいなく引き金を引くことができた。
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