現実2

「遅いですよ」


 先生の車はすでに玄関前にあった。かわいらしい色と形の車。


「いいでしょう? 外車ですよ外車」


 そんなことは知らない。二人で後部座席に乗り込むとすぐに発車する。


 運転は荒っぽいし法定速度をぶっちぎっていたが、当然どこにもぶつからない。


「報酬は何がいいですか」


 私は尋ねた。


「え? いいです、そんなの。勝手にやってることですから」


 そうも行かない。こんなやつに借りを作ったら、後が怖い。


「そう言わないでください。なんでも、とは言いませんけどできる限りのことをしますから」


「そうですね……」


 そのとき彼女のお腹が鳴る。


「ご飯が食べたいですね。朝食べられなかったんです」


「何がいいです?」


 安く上がりそうでよかった。


「あなた方のお弁当がいいです」


「……何でですか」


「誰かの手料理をしばらく食べてないことに気づいたんです」


「……別にいいですけど、たいしたものじゃありませんよ」


「お姉ちゃんひどくない?」


 そういえば、今日のお弁当の中身は妹が作った唐揚げだ。


「訂正します。たいしたものです。すばらしくおいしいです」


「馬鹿にしてる?」


 どう言ったらいいんだろうか。まあ妹もこんな軽口がたたけるのなら心配は要らなさそうだ。


「お腹すいてるなら今食べます?」


「後でいいです」


 そんなやりとりをしてるうちに現実の家につく。アパートの一階で一人暮らしだ。その事情は知らない。呼び鈴を鳴らす。誰も出てこない。裏に回って窓をのぞく。カーテンは閉まっている。明かりは消えている。静かで人の気配はない。


「誰もいないみたいですね」


「ほんとですか?」


 先生が窓に大きな石を投げつけて割った。


 私が呆然としてるうちに、先生はカーテンを除けて家の中の様子をのぞく。


「いないみたいですね。 行きましょう」


 彼女はすでに車の方に向かって歩き出していて、慌てて追いかけようとするが、妹はまだ窓の中をのぞいている。引き返して声をかける。


「何かあるか?」


「ううん、行こ」


 窓は後で先生に弁償してもらおう。


「どこか他に彼女が行きそうな場所に心当たりはありますか」


「わかりません」


 車の中、運転しながらの質問に妹は答える。


「二人の思い出の場所、とか」


「学校サボって一人で行く理由がありません」


「それもそうですね。となるとどこに行きましょう」


「警察」


「却下、絶対に却下。大事にしたくありません」


「そうは言っても行方不明ですよ、普通に警察のお仕事です」


「嫌です。警察は嫌いです」


「わがまま言わないでください。なにかやましいことでもあるんですか」


「ないと思いますか、逆に」


「……あなたがあれなのは知ってますけど、今はそんなこと言ってる場合じゃないでしょう」


「警察なんて無能です。私が娑婆にいるんですから」


「嫌な説得力ですね」


「そんな連中より、こういうときは愛ちゃんに頼りたいんですけど、居場所も電話番号も知らないんですよねえ。勇気ちゃんが教えてくれなくて」


「私、知ってますよ」


「本当ですか?」


 病院と部屋を教える。


「また入院してたんですね。いや、それにしてもラッキーです」


「行きましょう」


「その前に、途中の公園でご飯にしませんか? さっきはああ言いましたけど、我慢が出来そうにありません」


「いいですけど」


 妹が現実といちゃついていた公園で車を降り、三人並んでベンチに座った。私の弁当を先生に差し出す。


「おいしそうですね。あなたは食べなくていいんですか?」


「あとでパンでも買いますよ」


「お姉ちゃん、私の半分こしよう」


「いいって」


「あんまり食欲ないし」


 妹もいろいろ思うこともあるんだろう。


「そういうことならもらうが」


 弁当を開けると、唐揚げ、ポテト、サラダ、白いご飯が詰まっている。


「すみませんね、凝ったものじゃなくて」


「十分、っていうかむしろこういうのがいいんですよ。いただきます」


 先生はまず唐揚げにかぶりつく。


「悪くないですね」


「でしょう。妹が作ったんですよ」


「へえ、すごいですね。……それにしてもどこかで食べたような味です」


「まあ、ありきたりなものですから」


「ありきたり? そうでしょうか」


 そう言って先生はまた一口かじる。


「ああ、そうだ、思い出しました。どこで食べたのか」


「どこです」


「私の友達にね、食人趣味の奴がいるんですが、そいつの作った唐揚げにそっくりです」


「……どういう意味です?」


「愛ちゃんのところまで行く必要もなかったみたいです。だって、もう見つかりましたから。彼女はここにいます。いえ、あります、と言った方が正しいでしょうか」


「そんなことあるはずないでしょう。これが現実だって言うんですか」


「じゃあ、聞けばいいじゃないですか、これを作った人に」


 妹の方を見る。彼女は薄く笑っていた。


「その人の言う通り。現実ちゃんは唐揚げになってしまいました」


「お前……」


「おいしかったでしょう」


 意味がわからなかった。


「なんでこんなことをした」


「食べたかったから?」


「なぜ!? 何を!?」


「えっと、お腹がすいていたから。おいしそうだったから。好きだったから。愛していたから。羨ましかったから。憎かったから」


「わからない。全然わからない」


「わからなくてもいいよ」


「なんで私達にも食べさせたんだ」


「お姉ちゃんにも現実ちゃんの味を知っておいてほしかったの。同じ罪を背負ってほしかった。だって現実ちゃんはきっとお姉ちゃんにも食べてもらいたかったと思うから」


「……? 現実がそう言ったのか?」


「ううん、現実ちゃんは死にたくない、助けて、って言ってた。だけど死んじゃったからにはもう、私とお姉ちゃんで食べてあげるしかない、ってそう思ったの」


「だからわからないって! 先生に食べさせたのはなんでだ!?」


「何もかも現実ちゃんの思い通りになるのは癪だったから」


「思い通りって、現実が望んだことじゃないだろう!?」


「お姉ちゃんっていっつもそうだよね。全部わかってるくせにわからないふりするの」


「私に何がわかってるって言うんだ」


「べつに。くだらないこと話してたらまたお腹が空いてきちゃった」


 そうして、妹は私に襲いかかってくる。


「くそっ」


 前蹴りで距離を離す。


「お姉ちゃんのこともずっと食べたかったんだよ」


「ふざけるな馬鹿」


「現実さんは見つかったみたいなので私は帰りますね」


 理想は公園の外に止めてある車に向かっていく。


「待て。いや待ってください」


「好きなだけいちゃいちゃしてればいいじゃないですか」


「これがいちゃいちゃしてるように見えますか」


 妹はものすごい力で抱きついてきて首筋に歯を立てようとする。


「見えますよ。私もそんな風に愛し愛されてみたいものです。というわけで愛さんのところに行ってきますね」


「というわけで、じゃないですよ!」


 ここを去られるという面でもまずいが愛さんのところに行かせるという面でもまずい。


「儂の娘に何をするつもりじゃ」


 公園に入ってきたのは校長先生だ。


「何故あなたがここにいるんです?」


 理想が尋ねる。


「見舞いの帰りじゃ。ところでおぬしらは何をしておるのかのう」


「見てわかりませんか!?」


 妹に抱きつかれたまま私は叫ぶ。


「わからんのう。何かのプレイか?」


「そんなわけ無いでしょう、っていうか助けてください」


「仕方ないのう」


 彼女はそう言って思い切り助走をつけたドロップキックを妹にお見舞いした。


 妹が倒れて、もちろん私も倒れるが、腕の力が緩んだので何とか脱出して脚で突き放す。


 妹はふっとばされてもすぐに体勢を立て直し、近くでキックの後まだ起きられないでいる校長先生に気づき、飛びかかる。


 胸にもやっとしたものを感じる。


「誰でもいいのか、って思ってる顔してますね」


 私の顔を見て理想先生が言う。


「そんなこと思ってません」


「では、彼女が他の誰かを食べてしまってもいいと言うことですね」


「うーん……、ってそういう問題じゃないですよ」


 馬鹿馬鹿しいくらい当たり前の話で、そもそも誰であろうと人間を食べちゃいけない。


 校長先生から妹を必死で引きはがす。すでに血で真っ赤だ。腕と指が何箇所か食いちぎられていて、妹の口も血で染まっている。


「だ、大丈夫ですか」


「まあまあじゃな」


 妹を羽交い締めにしながら尋ねると、ピースしながら答える。人差し指がなくなっていたのでやっちゃいけないサインみたいだったけれど。


「おいしい……」


 妹は正気を失った顔でぶつぶつと言っている。


「でも指が」


「見ておれ」


 ピースした手をぐっと前に押し出す。すっかり血は止まっている。目をこらすと、じわじわと傷口が膨らんでいくのがわかる。それはどんどんと伸びていって、三十秒後には元の姿を取り戻す。腕の傷も消えている。


「どうなってるんですかこれ」


「ちょっと生命力が強いだけじゃ」


「食べ放題ですね」


 理想が不穏なことを言っている。


「まあ、これ以上はやれぬな」


 そう言って妹の顔に何かをつける。妹の顔をのぞき込む。


「ボールギャグ……」


「よく知っておるのう。そっちの趣味でもあるのか?」


 SMの道具について調べた記憶があった。いつだったか。何故だったか。考え事で気が緩む。振りほどかれて、今度は妹に肩をつかまれ、引き寄せられる。頭を私の頸に寄せ、噛みつこうとして、出来ずによだれが流れる。私の頸を流れ、鎖骨をたどり、胸の谷間に堕ちてゆく。


 ボールギャグを外そうとして、妹は手を口元にやる。そこで私は彼女を突き飛ばして脱出する。校長が倒れた妹にのしかかり、今度は手首を背中側で縛り、ついでに脚も縛る。


「いったいどうしてこんなことになってるんでしょうか」


「一度人を食ったことで箍が外れたんじゃろう」


「そんなことがあり得るんですか」


「人なら知らんがまあ、こやつは人ではないからのう」


「人ではないってどういうことです」


 妹が不思議な力を持っていることは知っている。でも私たちは同じ母親から生まれた双子の姉妹だ。妹が人以外であるわけがない。


「神と呼ばれる存在に近いものじゃ。人が神になったか、神が人の胎を借り人のふりをしておったのかまでは分からんがの」


「神……」


「とはいえ破壊神みたいなものじゃがな。いずれこの星を喰らい尽くす、そんな存在」


「ちょっと待ってください。何でそんなに詳しいんですか」


「同族じゃからな」


「あなたも神様ってことですか?」


「まあそうなるのう。何を隠そうこの世界を作ったのが儂なのじゃ」


「そうは見えませんね」


「ま、全知全能とは行かぬがな。それに実際のところかつて途方もなく巨大だったわしの体がこの世界になったという方が正しいが」


「神様って言うのはそんなに何人もいるものなんですか」


「まあな。実際のところ人とほとんど変わらないものもおる」


「それじゃあ、神って言うのはいったい」


「基準などない。感覚的なことでしか分からぬ。おぬしの妹は神で、おぬしは神ではない」


「全知全能の神はいるのですか?」


「知らぬな。しかし居て欲しくはないのう」


「何故?」


「さっきまでの話が子供のごっこ遊びとさして変わらぬものになるからのう」


「私の妹がそうだと言ったらどうします?」


「は?」


「私の妹は全能なんです」


 そのときぶちりという音が聞こえて、校長の体がちぎれる。


 胴体のほとんどが消失し頸から上と下半身が残る。血があふれる。


 振り向くと拘束を解かれた妹が、血だらけの口をもごもごと動かしていて、何かしたのは分かるが何をしたのかはさっぱり分からない。


「逃げますよ」


 呆然とする私の手を、理想先生が引く。彼女は校長の下半身を抱えていて、私も頭を拾って抱える。


「いや、すごいですね」


「妹がどうやって拘束を外したか分かりますか」


「さあ、誰か協力者が居たんじゃないですか?」


「協力者?」


「たとえば、私とか」


「死ねばいいのに」


「辛辣ですね」


「人がたくさん死にかねませんよ。現に何人か死んでます」


「まだ、一人だけじゃないかな」


「現実と校長で二人です」


「校長生きてるますし」


「そうじゃぞ。勝手に殺すでない」


 頭がしゃべる。


「どうなってるんですかそれ」


「声帯は残っておるからな。ミニ心臓とミニ肺をつくって何とかしておる」


「人体の神秘ですね」


「こんなのが人体であってたまるか」


「そんなことより妹ちゃんが迫ってきてますよ」


「げ、まずいまずい」


「頭を投げておとりにしましょう」


「せめて脚の方にしましょうよ」


「私はね、顔より脚の方が好きなんですよ」


「知らねえよ」


 思わず言葉が悪くなる。


「どっちでもいいが、早くした方が良いぞ。もう大分近づいておる」


 もう五メートルもなかった。


 理想から足を奪って投げつける。ひるませるつもりで力一杯ぶつける。


「ああ、もったいない」


 ぶつかって妹がよろけたのを見て思いっきり走る。後ろからぐちゃぐちゃと気持ち悪い音がしたがすぐに遠ざかって聞こえなくなった。






「ここどこですか」


 結構長い間、無我夢中で走って知らない場所に着く。


「ここらは来たことがあるから心配要らん。問題はあやつをどうするかじゃ」


 そんなときに携帯が鳴る。勇気からだ。


「何?」


「お前の妹殺しちまったんだけど、いいよな」


 いきなり聞こえてきたのはそんな言葉。


「は?」


「いいよな」


「よくない」


「つっても、病院にいきなり乗り込んで暴れてる奴なんて殺すしかねーだろ」


 暴走した妹はどうやら食欲を満たすためか人がたくさんいる病院に行ったらしい。病人の肉なんて美味しくなさそうだが。


「なるほどね」


「……ずいぶん冷静だな」


「どうでもいいんだ、多分」


「妹のこと大好きだったじゃねえか」


「ああ、だけど、肉体の死は些事だ」


「何言ってんだ?」


「早く逃げた方がいい」


 電話の向こうから悲鳴が聞こえる。


「何だ?」


「妹がよみがえったんだ」


「へえ」


「愛さんと一緒に逃げろ、お前でもかなわないぞ」


「そんなこと言われちゃ逃げる訳にはいかねえな」


「愛さんはどうするんだ」


「いざとなったら勝手に逃げるだろ、窓からでも」


 愛さんの病室は三階だったはずだ。


「死ぬのでは」


「平気平気。病気はともかく怪我したことはねえんだ、姉貴は」


「心配しなくてもいいよ、僕も、勇気も大丈夫だから」


 愛さんの声が聞こえた。


「何だ降りてきてたのかよ。姉貴もこう言ってるってことはホントに大丈夫だってことだ。わかるだろ? じゃあな」


 電話が切れる。


「今すぐ病院に行きましょう」


「これは病院で何とかなるもんでもないがのう」


 生首が言う。


「いえ、そうではなく」


「分かっておる。娘たちがピンチだと言いたいのじゃろう?」


「はい」


「心配せんで良い。我が娘たちはそんなにやわではないわい」


「しかし」


「おぬしはずいぶんと自分の妹を過大評価しておるようじゃのう」


「現に妹は全知全能なんです。本気になったら誰もかなわない」


「本気とは何じゃろうのう」


「え?」


「まあよい。では様子を確かめに行くことにするかのう」


「……そうですね、行きましょう」


「私は帰りますね」


 理想先生のその言葉を「まだ居たのか」と「もう行くのか」が混じり合った気持ちで聞き流す。


「ほんとに自由じゃのう。愛に会っていかなくて良いのか?」


「まあ、いろいろ準備もしたいですし」


 乙女のような恥じらいを顔に浮かべる理想先生は珍しく見た目にはかわいいと思った。準備の内容はあまり聞きたくならないが。


「ではまた後でな」


「はーい」


 先生を置いて、私たちは走って行った。


 今更ながら、生首を持って走る私が通報されないか気になった。


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