6-3 描き続けるということ

 ──春。

 風のにおいが、少しだけやわらかくなる頃。


 斉藤真央は、小さなアトリエで子どもたちと向き合っていた。

 画用紙の上に、好きな色を自由に置いていくその姿を、彼女は見守っている。


 にじみ、はみ出し、混ざり、消えていく絵の具。

 でも、そこには誰かの“こころ”がちゃんと残っている。


 「先生、これって上手?」

 ある子が不安そうに聞いてきた。


 真央は、笑って答えた。

 「“上手”より、“きみが描いた”ってことのほうが、ずっと大事だよ」


 かつて自分が“描けなかった気持ち”を、

 今はこうして、誰かに渡している。


 ──遠く離れた街。

 写真家になった結城駿介は、取材先の集落でカメラを構えていた。


 写すのは、日々の暮らし。

 炊き立ての湯気、笑う老人、手に土をつけたまま話す農家。


 “決してSNSでは拡散されない瞬間”ばかりだ。

 でも、そこにしかない温度がある。


 彼はシャッターを切ったあと、ふと空を見上げた。


 (今日も、誰にも知られない風景を撮ってる)

 (でも──それで、いい)


 だれにも気づかれなくても、それを“記憶”にするのが写真の役目だ。


 ──大学の研究棟。

 天野蓮は、AI詩生成システムの前に座っていた。


 コードの中には、何万もの詩があり、

 けれど、どれ一つとして“正解”ではない。


 蓮は、その不完全さを愛していた。

 むしろ、“答えが出ない”からこそ、美しいと思えるようになった。


 彼の研究テーマは──

 「AIによる感情模倣ではなく、“受け取りの揺らぎ”の可視化」


 機械は、心を持たない。

 けれど、人の心に反応を生むことはできる。

 それをずっと信じてきたからこそ、彼は今も“言葉にならないもの”を探している。


 ──そして夜。

 真央は、自分のアトリエの机に戻り、

 一冊のノートを開いた。


 それは、高校時代のスケッチブックと同じ型のものだった。


 何も描かれていないページを一枚めくり、

 そっと、鉛筆を置く。


 言葉も絵も、まだ決まっていない。

 でも、それでいい。

 それが、“いちばん美しい始まり”だと知っているから。


 ページの隅に、彼女は小さく書いた。


 > 「答えはまだ見つかっていない。

 >  でも、問いとともに、私は今日も描いている」


 その言葉が、まるで誰かに届くように。

 ──駿介に。蓮に。

 そして、まだ見ぬ誰かに。


 描くことは、問い続けること。

 残すことは、信じること。


 そして、物語は終わらない。

 今も、空白のページの上で、生まれ続けている。


 未完成のまま、だからこそ輝くものが、

 世界にはたしかにある──。

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【PV 430 回】『描けない未来を描く』 Algo Lighter アルゴライター @Algo_Lighter

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