6-2 再会の作品

 そのギャラリーは、都心の喧騒から少し離れた場所にあった。

 古い校舎を改装した静かな展示空間。

 白い壁、窓から差す光。

 どこか懐かしい匂いがして、斉藤真央は少しだけ立ち止まった。


 展示名:《記憶と余白展》

 その一角に、小さなプレートが置かれていた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 

 >「空白のメッセージ」

 > 制作:斉藤真央、結城駿介、天野蓮

 > 高校時代の合同作品

 > ※当時の詩的対話AIは現在停止中。

 > 観客の解釈と記憶を前提とした、“再生されないアート”。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 展示空間に飾られていたのは、かつての絵だった。

 にじみ。空白。写真の断片。

 そこにはもう、変化する詩も、動く映像もなかった。


 ただ、“止まったまま”の姿で、そこにあった。


 真央はゆっくりと歩み寄り、絵の前に立った。

 誰かが描いた“余白”が、今でも息をしているように感じられた。


 ──もう、AIは動かない。

 ──詩は生まれない。

 ──でも、“記憶”は残っている。


 彼女の胸に、あの日の声がよみがえる。


 >「伝えきれなかったものを、残す」

 >「正解じゃなくて、“問い”があればいい」

 >「AIでも、人でも、“誰かの声”になれる」


 ふと、横に並ぶ観客がつぶやいた。

 「……この作品、何も書いてないのに、

  自分の気持ちが浮かんでくる気がする」


 真央は、そっと笑った。

 それは、あのときと変わらない反応。

 作品が、また誰かの“記憶”になっているという証。


 彼女は鞄から、スケッチブックを取り出した。

 今でも描いている。

 だけど、かつてのように輪郭にこだわらなくなった。

 描ききらないこと、語りすぎないことに、価値があると思えるようになったから。


 ふと、目の前の作品に、なにかが“語りかけてきた”気がした。

 音でも、文字でもない。

 ただ、静かに──問いのような、余韻のような、そんな気配。


 《空白は、消えたものじゃない。

  残したくて、残したものなんだ》


 真央は小さく頷いた。


 たぶん、あの展示を作ったときの私たちも、

 “完成”なんてしていなかった。


 でも、“何かを信じていた”。

 誰かに届くと、そう願っていた。


 そして今、それが現実になっている。


 ギャラリーを出た空の下、

 春の風が髪をなでた。

 高校時代と同じように、やわらかくて、少しだけ寂しい風。


 真央は歩きながら、ふと思った。


 またいつか、あの問いから始めよう。

 また、“空白”から。


 その言葉は、誰に向けたものでもなかった。

 でも、きっとどこかで、同じ風を受けている二人──

 駿介も、蓮も、同じように今も“未完成なまま”歩いている。


 作品は終わらない。

 記憶とともに、問いとともに、生き続けていく。


 それこそが、“アートと生きる”ということなのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る