第6章:記憶の中で生きるもの
6-1 それぞれの道
春の陽射しが、ゆっくりと窓際に落ちていた。
高校の卒業式を終えた午後。
制服のままの三人が、最後にもう一度、美術室に集まっていた。
「ここ、あんまり変わらないね」
真央が言う。
「でも、空気がちょっと、違って見える」
「俺たちが変わったんだよ」
駿介が答える。
手には、卒業アルバムと古びたカメラ。
いつもと変わらぬその姿に、どこか安心感があった。
天野蓮は、窓の外を見ていた。
風が、まだ残る冬の名残をさらうように吹き抜けていた。
「三人とも……これから、どうするの?」
真央が尋ねる。
「俺は……写真を続ける。
大学の映像メディア系に進んで、ドキュメンタリーを撮ってみたい。
“記憶に残らないもの”を、ちゃんと残す仕事がしたくてさ」
駿介は照れたように笑った。
それは、あの展示の日の観客の涙を見たときから、少しずつ芽生えた想いだった。
「私は、美大に進むよ。
でも、“描ききらない”表現を、もっと突き詰めたい。
意味じゃなくて、空気とか余白で伝えられるもの……」
真央の目は迷いなく前を見ていた。
かつて、“完成”にこだわっていた彼女は、
今、“未完成”を選び取ろうとしていた。
蓮は少しだけ、考えるように言葉を選んだ。
「僕は──大学ではAI研究を続ける。
でも、人間の“対話”や“詩”を扱う研究に進むつもり。
あの展示で、“誰かの心に触れられるコード”があるって分かったから」
それは、かつての彼からは想像できない答えだった。
孤独を埋めるために選んだAI。
けれど今、彼のAIは“誰かの記憶に届くもの”へと変わっていた。
「……じゃあ、またどこかでさ」
駿介が言う。
「答えのない“問い”を持ち寄って、何か作れたらいいよな」
「うん。また“空白”から始めよう」
真央が静かに返す。
蓮は、微かに笑った。
それは、小さな息のような笑顔だった。
夕方、三人はそれぞれの方向へ帰っていった。
制服の背中が、少しずつ遠ざかっていく。
でも──その背中には、迷いではなく、確かな“選択”があった。
それぞれが、自分の表現を選び、
自分の問いを抱えて歩き出す。
“空白のメッセージ”という展示は、もうそこにはなかった。
でもあの記憶は、
それぞれの未来の中に、まだ消えずに、生きていた。
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