5-4 鑑賞という創作

 校内フェスティバル当日。

 いつもの体育館が、人と熱とざわめきで満たされていた。

 けれど──《空白のメッセージ》の展示室だけは、

 まるで音が“吸い込まれていく”ような静けさがあった。


 入場制限のある一室。

 数人ずつ、ゆっくりと入る。

 淡いにじみの絵。

 重ねられた写真。

 そして、観客の視線や立ち位置によって変化する詩。


 《なにかを思い出す前に、

  なにかを忘れていた》


 一人の男子生徒が立ち止まる。

 肩がわずかに震え、

 その目は、作品の空白をじっと見つめていた。


 AIが表示する言葉は、完全な即興ではない。

 展示を通じて学習した過去の“解釈の傾向”を、静かに蓄積し、

 そこから、また“別の問い”を編み出す。


 「……俺、誰のこと考えてたんだろう」

 その生徒は呟いた。

 作品に“見られた”気がしたのかもしれない。

 でもそれは、不快ではなかった。

 むしろ、自分でも思い出せなかった記憶のかけらに

 “もう一度出会った”ような感覚だった。


 ある女子生徒は、絵の前に座り込んだまま、

 何分も動かなかった。


 彼女の前に表示されたのは──


 《この空白には、

  まだ誰の名前も書かれていない》


 そして、画面下に小さく現れたボタン:


 「あなたがこの空白に名前をつけるなら?」


 タッチペンで書き込まれた名前は、“おかあさん”。


 天野蓮は、制御端末の画面でそれを見た瞬間、

 少しだけ息を止めた。


 (作品が──返事を受け取ってる)


 彼がプログラムしたのは、“詩的対話型AI”。

 けれど今日、この展示空間の中で起きているのは、

 まぎれもなく人とアートの“会話”だった。


 斉藤真央は、観客の表情をそっと観察していた。

 絵を描いた本人として、

 そこに“正解の感情”を求めたことは一度もない。


 けれど──

 誰かが絵に近づいて、

 “意味のわからないにじみ”を前に涙ぐんでいる。


 それを見た瞬間、胸の奥に何かが静かに満ちていった。


 結城駿介は、カメラを持って展示室の隅に立っていた。

 でも撮ってはいなかった。

 この展示は、誰かの心の中にだけ残るものでいいと思ったからだ。


 (これはもう、俺たちの作品じゃない)


 (これは──“観た人の中にある作品”だ)


 展示が終わったあと、

 作品の一部に書き込まれた無数の言葉たちは、

 にじんだ筆跡のように、記憶の片隅に広がっていた。


 「完成」などなかった。

 作品は、観られた瞬間から変化し、

  触れた人によって“生まれ直して”いた。


 鑑賞することは、受け取ることではない。

  心の中で“もうひとつの作品を描くこと”だった。


 その日の夕陽が、展示室のカーテン越しに落ちていく。

 空白のままだったキャンバスの中央に、

 光が一筆、線を引くように差し込んだ。


 ──その瞬間、誰かが静かに言った。


 「……これ、たぶん、わたしの話だ」

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