5-2 解釈のはじまり
展示会場に足を踏み入れた瞬間、空気の質が変わる。
体育館の一角を使った仮設の展示空間は、照明と布パネル、スクリーン、AIのインタラクション装置によって、まるで別世界のような静けさを帯びていた。
午前の時間は、関係者と在校生向けのプレオープン。
まだ一般公開ではない。
けれど、“人に見せる”ことが始まるその第一歩だった。
「緊張、するね……」
展示の隅で立っていた斉藤真央が、低くつぶやいた。
肩越しに、誰かの足音と話し声が近づいてくるのが聞こえる。
生徒たちが、作品の前に立ち止まり、静かに鑑賞を始めていた。
──展示名:「空白のメッセージ」
中央には、淡いにじみの絵。
その上に、写真の断片的なレイヤーが重なり、空白の中央にはAIが生成した“詩の言葉”がゆっくりと浮かんでは消える。
《風景のまんなかに、名前がない。
でも、それがいちばん、君に似ている》
その言葉に、ひとりの生徒が立ち止まり、動かなくなった。
写真部の今井だった。
「……なんか、あの日のこと思い出した」
彼はぽつりと言った。
「家で飼ってた犬がいなくなった日。
理由なんかないけど、この言葉、あのときの景色に似てる気がする」
駿介は、その横顔を遠くから見つめていた。
AIが言葉を選び、空白に漂わせた。
それが、まったく関係ない記憶を呼び起こしている。
(これは、もう俺たちの手を離れてるんだ)
そう思った。
作品が、“受け取られはじめた”のだ。
他の生徒も、スクリーンの前で足を止めていた。
誰も声を上げない。
でも、長く立ち止まるその沈黙こそが、答えだった。
「……これ、恋の詩だと思った」
「え? いや、これ、喪失の話じゃない?」
「“名前がない”って、記憶喪失っぽくない?」
口々に交わされる声が、作者たちの意図を超えて広がっていく。
真央は、それを遠くから聞きながら、胸が少しだけ苦しくなった。
(こんなに、いろんな解釈があるなんて)
(こんなにも、届くなんて)
天野蓮は、静かにノートPCを見ていた。
AIは予測されなかったパターンを記録していた。
観客がどの瞬間に立ち止まったか、
どの言葉で反応が長引いたか、
どの空白に視線が集まったか。
「AIは、人の“揺らぎ”をまだ完全には読めない」
蓮は独りごちた。
「でも、“揺らぎに反応する人間”を、呼び起こすことはできるんだ……」
真央と駿介が並んで立ち、
初めて、誰かが泣いているのを見た。
一年生の女子生徒だった。
彼女は、AIが表示した言葉を見つめながら、
そのまま、そっと涙を拭った。
《言わなかったことが、ずっとここにいる》
──その言葉を、誰が選んだのかは、もうわからなかった。
AIか。
絵か。
写真か。
観客自身か。
でも、そこに“感情”があった。
確かに、それだけは間違いなく、本物だった。
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