🔹第5章:その手で触れる未来

5-1 直前の夜

 空き教室に、夜の気配がゆっくりと満ちていく。

 蛍光灯の明かりが、絵の具とコードとカメラの影を、床に静かに落とす。


 展示会前夜。

 放課後を過ぎても、真央たちは“最後の仕上げ”に追われていた。


 「……このパネル、もう少し手前に出したほうがいいかも」

 駿介が、展示台のバランスを見ながら言う。


 「それだと、センサーが死角になる」

 蓮が、淡々と修正案を返す。

 「視線の動きを正しく取得できなければ、詩の表示が乱れる」


 「じゃあ、詩の反応を0.8秒遅らせよう」

 真央が、手を止めずに言う。

 「そうすれば、視線が奥のパネルに抜けても、余韻が残る」


 その提案に、ふたりは静かに頷いた。

 まるで、音楽のセッションのようだった。

 誰かが“問い”を投げ、誰かが“余白”を整え、誰かが“手ざわり”を残す。


 作業は進んでいる。

 けれど、完成に近づけば近づくほど、心は落ち着かなくなっていった。


 「……なあ、完成って、どこなんだろうな」


 駿介がぽつりとこぼしたその言葉に、真央も蓮も、少しだけ手を止めた。


 「明日展示するってことが“完成”なの?」

 「それとも、“誰かに届いた”瞬間?」


 蓮は、少し考えて言った。


 「……AIに“完成”という概念はない。“出力を止める”条件があるだけ」


 「でもさ、人間は“終わらせる”ことでしか、何かを残せない気がする」

 駿介の言葉には、どこか切なさが混ざっていた。


 真央は、描き終えたパネルの一角を見つめた。

 そこには、わざと残した“空白”の部分がある。


 「私、この絵……“完成してない”のが完成なんだと思う」

 「……余白、ってやつ?」

 「うん。

  描ききれなかった気持ち。伝えきれなかった感情。

  それを“残す”ことが、きっと私の答え」


 蓮は、その言葉に耳を傾けたまま、小さく息を吸った。

 「僕のAIも、答えを出してない。

  ただ、“問いを返す”ようにしてある。

  選んだ言葉が正しいかどうかは、観客が決める。

  だから──あれも“完成していない”」


 「じゃあ、全部“未完成”なんだ」

 駿介が笑った。

 「でも、それって……人間っぽいよな」


 夜が、ゆっくりと深くなっていく。

 静かな空間の中で、誰もが“心の奥の何か”に、そっと触れていた。


 “わからないままの感情”

 “言葉にならない想い”

 “誰かに届くかもしれない余白”


 それらすべてが、この作品にとっての“完成”だった。


 展示を迎えるその夜。

 言葉も説明もないまま、

 三人の手は、静かに止まり、ただそっと作品を見つめていた。


 そして、誰もが思っていた。

 「明日、誰かがこの問いに答えてくれるだろうか」と──。


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