4-4 ゆらぐ心、近づく距離

 放課後の美術室は、いつもより静かだった。

 夕陽が机の上を斜めに照らし、絵具の瓶の影を長く引いている。


 斉藤真央は、完成途中の“空白のメッセージ”の一部を見つめていた。

 にじみ。淡い青と赤が交わる、その曖昧な部分。

 視線をそこに置いているのに、思考は別のところをふらふらしていた。


 ──あの詩。

 “あなたが書かなかった言葉が、いちばん長く、そこに残る”


 蓮が生成したはずの詩。

 けれど、それはまるで、誰かが真央の中を覗いたかのようだった。


 (……私の気持ち、誰にも見えてないって思ってたのに)

 (あの機械に言われるまで、気づけなかった)


 そのとき、ドアが静かに開いた。


 「……ここにいたんだ」


 結城駿介の声だった。

 カメラを肩に提げたまま、彼は真央の描いている絵に目を落とす。


 「なんか、少し雰囲気変わった?」


 「……わかる?」


 「うん。“誰か”を描いてるように見えた。顔はないけど」


 真央は、驚きと照れが入り混じったような顔で笑った。

 「自分でも、誰なのかわからないの。……でも、誰かを描いてる気がしてる」


 「そういうの、俺にもあるよ。

  カメラ向けたとき、“誰か”に撮らされてる感覚になるとき」


 二人の間に、やわらかな沈黙が流れた。

 けれど、それは居心地の悪いものではなかった。


 「ねえ、駿介」

 「ん?」

 「……AIの詩、どう思った?」


 しばらく考えて、彼はゆっくりと答えた。


 「“心がある”って感じた。……でも、それはたぶん、俺たちが“感じたかった”からなんだろうなって」


 「うん。……でも、感じたことは本物だよね」


 「そう。誰が書いたかより、“誰に届いたか”のほうが、ずっと本物だと思う」


 そこへ、ふたたびドアが開いた。

 天野蓮が、静かに入ってくる。

 彼はふたりを見るなり、ふと視線を外した。


 「……話してた?」


 「うん。ちょうど、あなたの“詩”の話」


 真央のその言い方に、蓮は一瞬だけ目を伏せた。


 「僕のじゃないよ。あれはAIが選んだ言葉だ」


 「でも、それを“つくった”のは、あなたでしょ?」


 真央は、いつになく強い声で言った。


 「“何も言ってない”のに、伝わることがあるって、初めて思えた。

  それって、あなたが“言葉にならない何か”を探してるってことだよね」


 蓮の指先がわずかに揺れた。

 言葉を飲み込むようにして、彼はうなずいた。


 「……たぶん、僕は“話したい”んだと思う。

  でも、話し方がわからないから、“詩”に頼ったんだ」


 駿介がカメラのシャッターを一度、無音で切った。

 誰もポーズを取っていなかった。

 ただ、その空気を、記憶に残したかった。


 「“話し方”なんて、なくてもいいんだと思う」

 「……え?」


 「話せないことを、一緒に見つけるのが、俺たちの“作品”なんじゃないかな」


 真央も、そっと頷いた。

 誰もが、言葉を完璧に持っているわけじゃない。

 でも、“伝えたい”と思う心だけは、確かにそこにあった。


 その日、三人は何も決めなかった。

 新しいアイデアも、進捗もなかった。


 けれど、それぞれの心が、ふとした瞬間に近づいた。

 触れないまま、でも同じ方向を向くように──


 “交差した視線”の奥に、ひとつの絆が芽生えはじめていた。

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