4-2 空白のメッセージ

 静かに、筆先が止まった。

 斉藤真央は、描きかけのキャンバスをじっと見つめていた。

 中央に置いたにじみの輪郭──

 その周囲には、まだ何も描かれていない“空白”が広がっていた。


 「……ここ、あえて描かないってのもアリかも」


 呟いた言葉に、すぐ近くでカメラを構えていた結城駿介が反応した。


 「余白を残すの?」


 「うん。描かないことで、“見る人が意味を埋める”ように」

 「なるほどな……。

  たとえば俺がそこに“誰かの笑い声”を思い浮かべたら、それが答えになるってことか」


 二人の会話を、天野蓮が少し離れた机から聞いていた。

 彼はノートPCに表示されたコード画面を眺めながら、思案げに呟いた。


 「AIにも、それは設計できる。

  “空白”を、観客の選択によって変化させるインターフェースとして定義する。

  触れた場所、視線、反応時間──それらを意味の“生成条件”にする」


 「“空白をどう見るか”で意味が変わるアート、ってこと?」


 「そう。“解釈されることを前提にした余白”」


 真央は、その言葉に少し驚いたような目をした。

 蓮が“解釈”という言葉を使ったのが、初めてだったからだ。

 彼にとって、意味は常に「設計」されるもので、感情や解釈といった“不確かなもの”は、苦手な領域だったはずなのに。


 「じゃあ、作品の中に“語らない部分”を意図的につくる?」


 「そう。それが“問い”になる」


 駿介が立ち上がり、スケッチブックに鉛筆でラフを描き始めた。


 「たとえばさ、写真の中央は完全にブレてて、何が写ってるかはわからない。

  でもそのまわりに、絵の“にじみ”がかかってて、AIが“言葉の断片”を生成する」


 「言葉の断片?」


 「“会ったはずの誰か”とか、“笑い声だったような静けさ”とか──

  意味が曖昧な詩的フレーズを、観客の動きに応じて選び出す」


 「……それって、“記憶をつくる”装置みたいだね」

 真央の声が、ぽつりと落ちた。


 「たしかに。

  もともと存在しない記憶が、作品を通して“あったような気がする”になる」


 蓮の口元が、ほんのわずかに動いた。

 微笑みではなかった。

 でも、それは“理解された”ことへの、静かな喜びのしるしのように見えた。


 「じゃあ、タイトルは?」

 誰ともなく問われて、三人が一瞬、沈黙した。


 「……“空白のメッセージ”は?」


 真央が言った。

 「読めない文字みたいに、見る人が意味を読み取るアート」


 駿介と蓮が、そろって頷いた。

 誰が“決めた”わけでもない。

 でも、今この瞬間にだけは、三つの視点が重なったことがわかった。


 その日のノートには、こう記された。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 > タイトル案:「空白のメッセージ」

 > メインモチーフ:記憶のにじみ、曖昧な中心、変化する言葉

 > ゴール:意味を提示するのではなく、“生まれる瞬間”をデザインする

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 


 そして、誰も言葉にはしなかったけれど、

 このプロジェクトが“ただの展示”ではなく、

 彼ら自身の“青春の記憶”になるかもしれないという予感が、そこにあった。


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